いつのまにか俺は笑いやみ、蒸し暑い部屋で天井に差す青白い光を見あげている。蟬も力つきたのかいまは静かだ。パネルみたいに薄い壁で隔てられた隣の部屋にも、家のなかにも、ひとの気配はない。光はゆわんゆわんと揺れ、にじんで輝きを増していく 。まばゆさに耐えきれず俺は目を閉じる。あともう少しだ。光が全身を包みこむ日を、俺は待っている。
――三浦しをん「夢みる家族」
現代文学の主人公に見られるナルシシズムの原因はつねに私の脳裏から離れない問題である。「マジンガーZ」とかにでてくる敵側のロボットが毎回創意工夫と多様なイメージに溢れているところに対し、正義の味方の方は毎回同じである。普通にマジンガーZは多様性の敵と認定して良いが、正義がアイデンティティを持つものであるという想定がすでにある。
人間はおそろしく馬鹿なので、それが逆に、アイデンティティのあるものは即ち正義であるという風にいつもひっくり返ってしまう。