★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

先生、ヤンキーに文化なんて校則違反で

2013-04-15 08:51:43 | 思想


日本文化とかプロレタリア文化とか食文化とかより、よっぽど文化らしい文化だと思わせる本。闇から浮き出たデコカー御神輿は、法隆寺や文化住宅や讃岐うどんよりも、ある種の芸術なのである、といえなくもないと、思わせる。

とはいえ、まだまだ分析が印象批評で終わってる感もなきにしもあらず。なにしろ、闇から浮き出たデコカー御神輿に近寄るのは怖いからな。あと二〇〇年ぐらいたてば、ほんものの伝統文化に昇格しているであろうが、そうなってからでは遅いのである。知事から予算打ち切りを宣言されかねない。金はないのは今も一緒かな…

大学での嬌声でも危険性あり

2013-04-14 23:12:24 | 文学


熱海へ下る九十九折のピンヘッド曲路では車体の傾く度に乗合の村嬢の一団からけたたましい嬌声が爆発した。気圧の急変で鼓膜を圧迫されるのをかまわないでいたら、熱海海岸で車を下りてみると耳がひどく遠くなっているのに気がついた。いくら唾を呑込んでみても直らない。人の物いう声が遠方に聞こえる代りに自分の声が妙に耳に籠って響くので、何となく心細くなってしまった。

――寺田寅彦「箱根熱海バス紀行」

最近、この民衆たちと官僚は立場が逆転している

2013-04-11 23:58:47 | 文学


 ところが先日、病気で寝ながら、ラジオの所謂「番組」の、はじめから終りまで、ほとんど全部を聞いてみた。聞いてみると、これもやはりアメリカの人たちの指導のおかげか、戦前、戦時中のあの野暮ったさは幾分消えて、なんと、なかなか賑やかなもので、突如として教会の鐘のごときものが鳴り出したり、琴の音が響いて来たり、また間断無く外国古典名曲のレコード、どうにもいろいろと工夫に富み、聴き手を飽かせまいという親切心から、幕間というものが一刻も無く、うっかり聞いているうちに昼になり、夜になり、一ページの読書も出来ないという仕掛けになっているのである。そうして、夜の八時だか九時だかに、私は妙なものを聴取した。
 街頭録音というものである。所謂政府の役人と、所謂民衆とが街頭に於いて互いに意見を述べ合うという趣向である。
 所謂民衆たちは、ほとんど怒っているような口調で、れいの官僚に食ってかかる。すると、官僚は、妙な笑い声を交えながら、実に幼稚な観念語(たとえば、研究中、ごもっともながらそこを何とか、日本再建、官も民も力を合せ、それはよく心掛けているつもり、民主々義の世の中、まさかそんな極端な、ですから政府は皆さんの御助力を願って、云々)そんな事ばかり言っている。

──太宰治「家庭の幸福」

「鉄の女」死去 

2013-04-09 23:12:58 | 思想


サッチャーが死んだというので、日本のメディアも騒いでいたが、「やったことについては賛否両論あるが、信念を貫いた人」「名言多し」「政治家であるとともに家庭人としてもがんばった」など、戦後思想の様々な試行錯誤や葛藤があたかもなかったかのごときその文言にあきれ果てるばかりである。上の三つはそっくりそのままある意味ヒトラーなどに当てはまるんだがな…。

そもそも、態度が「ぶれない」ことがいいことだと思っている輩は、他人の意見を敢えて無視する勇気を出そうとしているのかもしれないが、実際のところは、他人の意見を勝手なかたちで理解してしまう人間に限られる。私の周りをみても例外はない。

「ぶれない」だけで、一国の首相がつとまると思っているのか。政治は写真じゃねえんだよ(笑)。

「鉄の女」とは、ソ連によるネーミングらしいが、ソ連にしてみりゃ労働者の象徴たる(笑)「鉄」を冠した称号を与えているわけであり、褒めすぎのような気がしないでもない。サッチャーが「労働者よ自立しろ」と言ったのを、もしかしたら「万国の労働者よ自立せよ」と聞き間違えたのかもしれん。フォークランド紛争の時の「国際法が力の行使に勝たなければならない」というせりふも、一瞬何を言っているのかわからないところがあるなあ、力の行使をしたのはおまえもだろ、と。「後退はあり得ない」。確かに、資本主義に対する抵抗に後退はあり得ない、と共産主義者なら思うであろう。「鉄の女」語録がおもしろいのは、サッチャーに対立する人間たちの勇気をも鼓舞したところにあるのではないだろうか。それにくらべると…

大学の卒業要件に豆腐るをいれろとか世迷い言を述べたり、憲法が国民からの自らへの倫理的な命令だということすら理解せん癖して改憲を唱えたり(たぶん、本音は「憲法はイラン、法律だけでいい」てな感じではなかろうか。)、原発事故の終息宣言を勝手に出したり、原発爆発させちゃったくせにオリンピックを開こうとしたり……、頼むからいったん「後退」し、大学で一般教養からやり直していただきたい。というか恥を知れ、という感じである。

煙突には詩があるね……

2013-04-07 12:10:14 | 文学
その不思議な動機というのは南堂家の図書館に新しく取付けられている煙突であった。
 ……事実……私が南堂伯爵未亡人の素行調査にアンナにまで夢中になり始めた、そのソモソモの動機というのは、アノ粗末な、赤煉瓦の煙突に外ならなかったのだ。

 大久保百人町附近の人は知っているであろう。
 昔風の鉄鋲を打ち並べた堂々たる檜造りの南堂家の正門内には、粗末な米松の貸家がゴチャゴチャと立ち並んでいて、昔のアトカタもなくなっていることを……同時にその裏手へまわってみると正反対に、同家の由緒を語るコンモリした松木立や、ナノミ、樫、椿、桜なぞの混淆林の一部が、高い黒土塀とがっちりした欅造りの潜り門に囲まれて正門内の貸家とも、又は、附近の住宅ともかけ離れた別世界を形づくりつつ昔ながらに取残されていることを……。

(夢野九作「けむりを吐かぬ煙突」)


煙突ではない


城は見えているのか見えていないのか

2013-04-05 23:28:40 | 文学


Kが到着したのは、晩遅くであった。村は深い雪のなかに横たわっていた。城の山は全然見えず、霧と闇とが山を取り巻いていて、大きな城のありかを示すほんの微かな光さえも射していなかった。Kは長いあいだ、国道から村へ通じる木橋の上にたたずみ、うつろに見える高みを見上げていた。

──カフカ「城」

ローマの妄想

2013-04-03 23:48:07 | 音楽

神×川大学吹奏楽部が、「ローマの噴水」をとんでもないカットで自由曲として演奏しているのを聴いて以来、レスピーギはかわいそうな作曲家だと思っていたのだが、ほんもののローマの噴水を見たら、××大学の噴水とものすごく大きなくくりでは同じようなもんであったので、レスピーギの誇大妄想はやはりかわいそうなレベルだということになった。つまり、ただ外国に行ったからといって認識が変わるわけではないのである。

「ローマの松」の方は、「なんで松w」と思っていたのだが、ローマの凱旋門のあたりをてくてく歩いていると、「アッピア街道の松」のあのテンポと爆裂ぶりがなんとなく腑に落ちた。まあ妄想すれば作曲ができるほど世の中甘くはないわけであるが。