サッチャーが死んだというので、日本のメディアも騒いでいたが、「やったことについては賛否両論あるが、信念を貫いた人」「名言多し」「政治家であるとともに家庭人としてもがんばった」など、戦後思想の様々な試行錯誤や葛藤があたかもなかったかのごときその文言にあきれ果てるばかりである。上の三つはそっくりそのままある意味ヒトラーなどに当てはまるんだがな…。
そもそも、態度が「ぶれない」ことがいいことだと思っている輩は、他人の意見を敢えて無視する勇気を出そうとしているのかもしれないが、実際のところは、他人の意見を勝手なかたちで理解してしまう人間に限られる。私の周りをみても例外はない。
「ぶれない」だけで、一国の首相がつとまると思っているのか。政治は写真じゃねえんだよ(笑)。
「鉄の女」とは、ソ連によるネーミングらしいが、ソ連にしてみりゃ労働者の象徴たる(笑)「鉄」を冠した称号を与えているわけであり、褒めすぎのような気がしないでもない。サッチャーが「労働者よ自立しろ」と言ったのを、もしかしたら「万国の労働者よ自立せよ」と聞き間違えたのかもしれん。フォークランド紛争の時の「国際法が力の行使に勝たなければならない」というせりふも、一瞬何を言っているのかわからないところがあるなあ、力の行使をしたのはおまえもだろ、と。「後退はあり得ない」。確かに、資本主義に対する抵抗に後退はあり得ない、と共産主義者なら思うであろう。「鉄の女」語録がおもしろいのは、サッチャーに対立する人間たちの勇気をも鼓舞したところにあるのではないだろうか。それにくらべると…
大学の卒業要件に豆腐るをいれろとか世迷い言を述べたり、憲法が国民からの自らへの倫理的な命令だということすら理解せん癖して改憲を唱えたり(たぶん、本音は「憲法はイラン、法律だけでいい」てな感じではなかろうか。)、原発事故の終息宣言を勝手に出したり、原発爆発させちゃったくせにオリンピックを開こうとしたり……、頼むからいったん「後退」し、大学で一般教養からやり直していただきたい。というか恥を知れ、という感じである。