「僕にはやれ法則だの、二二が四だのはさっぱり気に食わない。むろん僕にはその壁を額でぶち抜くことなど出来ない。…だからと言ってそこに石の壁が有り、僕には力が無いという、それだけの理由でこの壁と妥協したりはしないつもりだ」
(ドストエフスキー 地下室の手記)
私が多分小学一年の頃、危うく親父を失明させかけた事が有ります。
茶筒を思いっきり親父の顔めがけてブン投げて、眼鏡を破損させたのです!
幸い大したケガには至らなかったのですが、その時きっと親父は私に対して、実の子ながら何を仕出かすかわからないキケンなガキと映ったことでしょう…。
私はその時算数の勉強を教わっていて、おそらく人生最初であろう窮地に陥っていたのです。
確かマイナス+マイナスの計算だったと思います。これがてんで分かりません。
「いいか!ここにリンゴが有ると仮定するんだ!マイナスのリンゴ二つとマイナスのリンゴ一つたすとさあ、いくつ…」”…エエーッ、と…ゼロ!”
「何でダア!バカモン!」
何だか目に見えない壁に段々追いやられて、押しつぶされてしまうんじゃないかと感じて、苦し紛れにやってしまったのです。
親父がこのように呟いていたのを今でも思い出します。「こいつは本当にバカなのか…」
傍らのオフクロの言葉は違いました。「この子はもしかして天才よ!」…
私には無いはずの数字を計算することがどうしても分からなかったのです。
実際に無いんだから何をどう計算しようとゼロとしか思えません。
もし、マイナスの数字なんぞあるんでしたら、借金などいつでも返せるはずではありませんか?
一体架空の数字のために何人の人が毎日自ら死を選んでしまうことか!
数学の世界では”そうなっている””そういうことにする”ことが物言う世界ですね。
しかし、このように私には多く”そうなっていない”のです。
偶数は割り切れる…二つのリンゴは等分出来るという…しかし全く同じ形状、同じ大きさのリンゴなど一つも無い…一つに虫が入っていたらどうなる…
簡単に割り切れると思っている人は…そうです、分離思考なのでしょう…
私はこの時分のある時、本当に机の上のリンゴがそこにある、という認識が出来なくなってしまった事が有ります。
今、突然思い出したんですけど…
”机とリンゴは本当に別々に存在しているのか?””机は部屋と別々に有るのか?”そして”私”…は
この感覚は身に覚えていて時折、もたげてきます。深い瞑想状態の時とかに…
それから…今これを書いてるときとか…エッ!
これは想定外です!だから昔のことをアリアリと想起するのはコワイんです。強力なんです!
絶対に動かないと思われた壁なんてすぐ突破されちゃうんです!私は今自分の部屋の中に居るのか、部屋と一つなのか、どうだかわかりゃしません!
過ぎ去った過去、ああなってた、こうなってた過去の事実…そう決まっているのですか?”全ては決まっている”訳じゃない…”決まっていない”訳でもありません。
一元だか二元だか知りませんが”決まった定見が有る”という…それが幻想ではないでしょうか?
言葉にはそれを使うにふさわしい時と場合というのが有ります。
昨日のイングランドのバセット選手、あの倒れ込みながらオウンゴールを決めてしまった瞬間、まるで間違えて核爆弾を投下してしまったみたいな顔でした。
でも、あなたのせいじゃない…起きるべきことが起きてしまっただけなんですよ…
(ドストエフスキー 地下室の手記)
私が多分小学一年の頃、危うく親父を失明させかけた事が有ります。
茶筒を思いっきり親父の顔めがけてブン投げて、眼鏡を破損させたのです!
幸い大したケガには至らなかったのですが、その時きっと親父は私に対して、実の子ながら何を仕出かすかわからないキケンなガキと映ったことでしょう…。
私はその時算数の勉強を教わっていて、おそらく人生最初であろう窮地に陥っていたのです。
確かマイナス+マイナスの計算だったと思います。これがてんで分かりません。
「いいか!ここにリンゴが有ると仮定するんだ!マイナスのリンゴ二つとマイナスのリンゴ一つたすとさあ、いくつ…」”…エエーッ、と…ゼロ!”
「何でダア!バカモン!」
何だか目に見えない壁に段々追いやられて、押しつぶされてしまうんじゃないかと感じて、苦し紛れにやってしまったのです。
親父がこのように呟いていたのを今でも思い出します。「こいつは本当にバカなのか…」
傍らのオフクロの言葉は違いました。「この子はもしかして天才よ!」…
私には無いはずの数字を計算することがどうしても分からなかったのです。
実際に無いんだから何をどう計算しようとゼロとしか思えません。
もし、マイナスの数字なんぞあるんでしたら、借金などいつでも返せるはずではありませんか?
一体架空の数字のために何人の人が毎日自ら死を選んでしまうことか!
数学の世界では”そうなっている””そういうことにする”ことが物言う世界ですね。
しかし、このように私には多く”そうなっていない”のです。
偶数は割り切れる…二つのリンゴは等分出来るという…しかし全く同じ形状、同じ大きさのリンゴなど一つも無い…一つに虫が入っていたらどうなる…
簡単に割り切れると思っている人は…そうです、分離思考なのでしょう…
私はこの時分のある時、本当に机の上のリンゴがそこにある、という認識が出来なくなってしまった事が有ります。
今、突然思い出したんですけど…
”机とリンゴは本当に別々に存在しているのか?””机は部屋と別々に有るのか?”そして”私”…は
この感覚は身に覚えていて時折、もたげてきます。深い瞑想状態の時とかに…
それから…今これを書いてるときとか…エッ!
これは想定外です!だから昔のことをアリアリと想起するのはコワイんです。強力なんです!
絶対に動かないと思われた壁なんてすぐ突破されちゃうんです!私は今自分の部屋の中に居るのか、部屋と一つなのか、どうだかわかりゃしません!
過ぎ去った過去、ああなってた、こうなってた過去の事実…そう決まっているのですか?”全ては決まっている”訳じゃない…”決まっていない”訳でもありません。
一元だか二元だか知りませんが”決まった定見が有る”という…それが幻想ではないでしょうか?
言葉にはそれを使うにふさわしい時と場合というのが有ります。
昨日のイングランドのバセット選手、あの倒れ込みながらオウンゴールを決めてしまった瞬間、まるで間違えて核爆弾を投下してしまったみたいな顔でした。
でも、あなたのせいじゃない…起きるべきことが起きてしまっただけなんですよ…