人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

夏の夜、ダンテスは微笑む

2015-07-19 13:13:44 | 人生の裏側の図書室
ある時誰かが第慈に尋ねたことがある。「どうしてそんなことまでわかるの?」
第慈、笑って答えて曰く「それは、君が僕だからさ。」
雨宮第慈講話録1十三番目の瞑想(SCL刊)より

以前にも少し触れたことのある、ダンテス・ダイジこと雨宮第慈さんの講話録(全4巻)のことを改めて書いてみます。
彼の入手しやすい本は全て読んでみましたが、これが実に味わい深く読めました。
講話録と言っても一応そうした形をとっているのは第一巻ですが、その一冊からしてそうなのですが、シリーズ全体として若き瞑想指導者第慈を囲んでの自由な座談会の記録と言う趣です。
この知られざる饗宴がもたれたのは昭和53年から54年にかけて。私も探究意欲に火が付いていた頃で、毎日、毎日新たな発見が有るんじゃないかとワクワクとした日々を送っていたものでした。
暇つぶしに何度か顔を出していた、大学を超えた怪しいサークル早稲田大学UFO研究会の裏でかくもディープな寄り合いが持たれていたのかと思うと感慨深いものが有ります。
もし、私がその場に居たら…果たしてタダで済んでいたでしょうか…

この書はまずその時代背景というものが伺われることで大変貴重です。
この時代の精神世界は、目立つところでは何と言っても生長の家、白光真宏会、GLA…これら新宗教が全盛を極めていて(私はあまり興味は無かったですが)行的な方面では密教、ヨガなどの修行系が主流だったと思います。参加メンバーの中にもそうした関係の人も居て、それぞれの視点からの意見、質問に対し、第慈はそれらに迎合するでもなく、否定するでもなく微妙なスタンスで対応していきます。
そこには前世、予言、超能力、守護霊…といったこの時代特有のエーテル的言説にも触れて、彼自身も霊能者であり、時には質問者に前世談を聞かせることも有るのですが、そっちの世界に捉われたり、溺れたりすると見るやスルリと交わしたり、実に機を掴むのがうまいです。
「雨宮さんは輪廻説を肯定する立場なの?」
「いや、肯定も否定もしません。それはね、ものをどこから見るかによるんだ。」
(講話録2君がどうかい)
又、ここではバグワン、クリシュナムルティ、カルロス・カスタネダといった後の精神世界の巨匠?ともてはやされる、当時の新感覚の教師が一部で注目されて始めた、という時軸をも捉えております。(いやあ、私の周辺ではこんな勉強熱心で目敏い人たちは居ませんでした。)
この書では、このように何が芽生え始め、どこに向かおうとしているのかという、時代の息吹を感じさせますが、ダイジの言葉には全く古さを感じません。
オールタイムの古くて新しい叡智が語られているという感じです。
そして又、ワクワクするよなスピリチュアル座談会の模様を生で伝えている得難い資料です。(本当の秘儀伝授はこのようなところで行われているとか?)
ダンテス・ダイジというと少年の頃から幾度か自殺未遂をしたとか、その死についてもそうした説が囁かれていますが、この書からはそうしたイメージは伺われません。むしろ若き求道者たちに(この時点で彼自身まだ28歳!〉生の燃えるようなパッションを鼓舞しているように思えてなりません。
「実相というものが厳然として存在していて、実相的個性というものがみんなに備わっているんだ。」
(質問者)「その個性というものはいいも、悪いもないんですか?」
「ない。絶対的にいいことだ。」
(講話録3最高に生きたい)

O一般書店では取り扱っておりませんが、中野ブロードウエイ4Fで常時置いています。
コメント
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