人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

自我ーこの世の王ー

2015-08-02 13:59:54 | 雑感
今日もまた、どっかで聞こえて来そうです。…
”自我は諸悪の根源!自我に欺かれてはいけない!”
”自我の縛りから離れないといけない!”
そして、あくなき戦いは始まる…
”じゃ、そうしなくちゃ!”
”でも、そうしようとしたって、どうにもならなんわ!”
そんな経験誰でもあることでしょう。
何時までも、どこまでも…何とかしようともがいても、そこに君臨し続けているのは…”自我、じが、JIGA”…
松雪O子も、はなOも”JIGA”! いや性(SAGA)!
きっと、このような涙ぐましい努力をし続けている人は自我というものを自分の力で太刀打ちできるものだと思っているのですね。
こういう試みというのの悉くが”自我の、自我による、自我のための戦い”であることに気づくべきなのです。
どう見ても勝てる相手ではないのです。
相手は何と言っても”この世の王”なのです。
あなたの人生、世界、歴史…すべてを牛耳っているのです。
では、我々はこういう厄介なものをもたらした神に不服、異議申し立てをするべきなんでしょうか?
又吉先生と同じように人一倍自意識過剰で、すぐ四字固めよりつらい思考の雁字搦め地獄に陥ってしまう私は、誰かにスリーパー・ホールドかなんかで私を眠りに落としてくれないかと、どんなに願ったことでしょう。
でも私はそのような苦しみを持ったことに感謝しています。
何故ならば、その苦しみにより、その自我の縛りというものを自覚出来るようになったからです。
世間にはこの自覚が出来ない、という人も居ます。
それは、いつも自分が正しいと思い込んでる人、何でも自分の力で何とか出来ると思ってる人に多いです。
”さあ、お前が掴んでいるものを手放してごらん!”と喜ばしきおとずれがやって来た時、これがどういう事なのか、私には即座に感覚的に分かります。
そしてあの苦しみというのはこの時のために有ったんだ、と思えるのです。
(いつも正しい人は得てして、手放すべきものが何かが分からないようです。)
そして又、自我というのは決して排除されるべきものでなく、この世に生きるのに無くてはならないものなのだ、ということも感じられるようになります。
というより、それは我々が物心付いた時から我々と共にあるのです。
天与のものに悪いものなどあるかろうはずが無いのです。
神に自我の圧制に対して訴えても、治外法権により訊いてくれません。
この世のことは我々自身の”自由意志にのっとるべし”という黄金律があるのです。
この世の王様ー自我はこれによって強大な王国を築いたのです。
でも私には王様は最近、”私はもう疲れたよ!裏方さん”と訴えているように感じています。
裏方がお出ましになるのは、我々が白旗を掲げた時です。自由意志で。
その事に気付いた人はアチコチ居る事でしょう。
でもそれがこの我々の現実世界にどう反映されるのかは分かりません。
各々の自由意志でやりたいことをやってる訳ですから…
”自由意志なんて無いんですよ~”とこの世で何を言おうと自由です。
して、私は今日も飽きもせずしょうもないブログ書いてます…

コメント
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