真夏の暑さもピークが過ぎ、疲れがどっと出てきてダル重い今日この頃…この夏大いにネットを盛り上げた脱スピ系ブログもそろそろネタ切れになって来たのでは…と余計なこと案じています。
問題の提起は大いにやったらいいです。でも多くの人をたぶらかすスピ・ビジネスと同じように、人の誹謗、恨み、つらみなどは何時までも続けられないですね。
それに何と言っても、行政機関、それから天下のポリスに訴えるって話が登場するに至っては穏やかな話にはならない…。
彼らは泣く子も黙る実力行使部隊です。またぞろ治安維持法が復活して宗教、スピ界一せい取り締まりが始まるんでしょうか?
私はこの一連の動きを見てて感じるのは、淘汰されるべきは淘汰されるであろうということです。
これはものすごーくいいことだと思います!
それで何が残るかと言うと、その気がある人間だけが残るでしょう。
その気とは自分を超えたところからの誘いです。
その気のある人間はやれ宗教だの、スピリチュアルだの巷で一定のジャンルで括られたものなどに、自分の生き方を求めたりしません。
むしろ生きる事そのものが昔から宗教や哲学の名で、今、スピリチュアルの名において語られてきたものの内実そのものだという事を知っている筈です。
スピ・ビジネス、また脱スピ、ノン・スピの数々の扇動的言説(勿論そればかりではありません)を脇目に、ただ内なる催しに従って生きるだけです。
そしてもし、その歩みの中で自分を超えたあるものによって捉えられてしまったなら、表面的宗教やスピ界の括りから卒業出来ても、その内実からは卒業することなど出来ない事を知るでしょう。
この内催しというのは、そうですね…その人の上に起きているんですね…
”自分が”という線を超えたところで…。
そしてこの人生の地殻変動というものは、火山噴火や地震と同じく誰も止めることは出来ません。止めるのは間違ってます。
もしこの世に罪というものが有るとしたら、私はこの名状し難い顕れに対してフタをする事、覆いを掛ける事だと思っています。そしてその中でもっと質の悪いのは、この世の常識を超えた働きに対し、全く常識的な解釈でスリ替え、その範疇に収め閉じ込めてしまうことだと思います。
これは、この世の形骸化した宗教ではごく日常的に行われていることです。
その報いはもう現れている…内なる太陽は二度と輝くことは無いだろう…
彼らはそれを望まないのだから仕方ありません。世の中自由と平等で出来ているんですねえ…
宗教もスピ・ビジネスも廃れるのはこれまた致し方ありません。
スピリチュアルなのは人間そのもの、人生そのもので、それがフタ開けされたら、模造品は淘汰されるしかありません。
人間は心の奥にある意志、欲求というものに、どうしたってこうしたって背を向けることなど出来ないのです。
背を向けていたら、何時までもどこまでも不充全感が付きまといます。
やがて精神的ストレスが飽和状態に達し、人生の裏側のポリスマンが実力行使をするのか、のっぴきならない事態になってついに降参…
というのが、ストーリーなんて無いとうそぶく人もよく知ってる人生のストーリーですね…。
こういう人にはあの日を忘れないで欲しいです…内なる光が輝いた日…いやそうじゃない、懺悔の涙にくれたあの日を…
”覚醒だのワンネスなど意味ないじゃん!””探究は終わった、もともと悟ってるから…”自分の頭だけで分かっちゃって、チッポケな自分だけで決着してしまう人など懺悔の値打も無い!…さっさと引き揚げた方がいいです。
その気のある人の邪魔しないでください! そんなことしたらポリスマンが黙ってないですよ!
問題の提起は大いにやったらいいです。でも多くの人をたぶらかすスピ・ビジネスと同じように、人の誹謗、恨み、つらみなどは何時までも続けられないですね。
それに何と言っても、行政機関、それから天下のポリスに訴えるって話が登場するに至っては穏やかな話にはならない…。
彼らは泣く子も黙る実力行使部隊です。またぞろ治安維持法が復活して宗教、スピ界一せい取り締まりが始まるんでしょうか?
私はこの一連の動きを見てて感じるのは、淘汰されるべきは淘汰されるであろうということです。
これはものすごーくいいことだと思います!
それで何が残るかと言うと、その気がある人間だけが残るでしょう。
その気とは自分を超えたところからの誘いです。
その気のある人間はやれ宗教だの、スピリチュアルだの巷で一定のジャンルで括られたものなどに、自分の生き方を求めたりしません。
むしろ生きる事そのものが昔から宗教や哲学の名で、今、スピリチュアルの名において語られてきたものの内実そのものだという事を知っている筈です。
スピ・ビジネス、また脱スピ、ノン・スピの数々の扇動的言説(勿論そればかりではありません)を脇目に、ただ内なる催しに従って生きるだけです。
そしてもし、その歩みの中で自分を超えたあるものによって捉えられてしまったなら、表面的宗教やスピ界の括りから卒業出来ても、その内実からは卒業することなど出来ない事を知るでしょう。
この内催しというのは、そうですね…その人の上に起きているんですね…
”自分が”という線を超えたところで…。
そしてこの人生の地殻変動というものは、火山噴火や地震と同じく誰も止めることは出来ません。止めるのは間違ってます。
もしこの世に罪というものが有るとしたら、私はこの名状し難い顕れに対してフタをする事、覆いを掛ける事だと思っています。そしてその中でもっと質の悪いのは、この世の常識を超えた働きに対し、全く常識的な解釈でスリ替え、その範疇に収め閉じ込めてしまうことだと思います。
これは、この世の形骸化した宗教ではごく日常的に行われていることです。
その報いはもう現れている…内なる太陽は二度と輝くことは無いだろう…
彼らはそれを望まないのだから仕方ありません。世の中自由と平等で出来ているんですねえ…
宗教もスピ・ビジネスも廃れるのはこれまた致し方ありません。
スピリチュアルなのは人間そのもの、人生そのもので、それがフタ開けされたら、模造品は淘汰されるしかありません。
人間は心の奥にある意志、欲求というものに、どうしたってこうしたって背を向けることなど出来ないのです。
背を向けていたら、何時までもどこまでも不充全感が付きまといます。
やがて精神的ストレスが飽和状態に達し、人生の裏側のポリスマンが実力行使をするのか、のっぴきならない事態になってついに降参…
というのが、ストーリーなんて無いとうそぶく人もよく知ってる人生のストーリーですね…。
こういう人にはあの日を忘れないで欲しいです…内なる光が輝いた日…いやそうじゃない、懺悔の涙にくれたあの日を…
”覚醒だのワンネスなど意味ないじゃん!””探究は終わった、もともと悟ってるから…”自分の頭だけで分かっちゃって、チッポケな自分だけで決着してしまう人など懺悔の値打も無い!…さっさと引き揚げた方がいいです。
その気のある人の邪魔しないでください! そんなことしたらポリスマンが黙ってないですよ!