人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

白と黒のコントラスト

2015-08-13 14:55:21 | スピリチュアル
こないだ、何かと話題のノンデュアリティ系の著者の本を書店で立読みしてたら、もう”ドヒャあ!”って感じになりました。
問題の種の”私”をどうするか、ということで、確か私というものは意識がそう認識させるものだから、意識が無くなればいい、と言う文脈だったと思います。
一体、どうやったら無くなるんだろ?…真夏日の炎天下で水も飲まずにずっと突っ立ってたら、運がよければ?そうなる可能性は高いですね。
でも、搬送先の病院で運悪く?意識が戻ってしまえば、再び悪夢の”私”との腐れ縁が始まるでしょうね。
熱中症になった方ならお分かりでしょうが、突如四肢などがマヒし始め、やがて思考回路もマヒし、立ってられない状態になる…いつの間にか路上で倒れてしまう…これは自意識(自分で働かせられる意識~意念)では如何ともし難くなってしまう状態というものを物語っているわけですね。
(随意、不随意…形が有る、無い…これらが人生の表側と裏側との境目であり、又それらはどっかで重合している、一如になっているところに人生、世界の妙が有る…という事を日夜綴っている次第なのです。)
意識というものは今まできちんと認識されてこなかったので、あくまで私の理解なのですが、随意的な思考と区別して純粋意識という言い方をしますが、これは不随意的なものです。
先の著者はもしかしてまだ随意と分離していない準純粋意識?(これは実に曖昧な表現をしています。どういうのか私にはわかりません。)の領域のことを述べているのでしょうか?
そうでなかったら、もう”死者をして語ってもらうしかない!”

私はしばしば”上よりの恩寵に捉えられる”という事を言います。
そうなってしまった時、いつも心象に映るものが有ります。(映像が映る訳ではありません)
ちょうど、天候が不安定な時分に黒雲と白い空、雲とがくっきりとした輪郭で浮かび上がる光景にも似た、モノクロームのコントラストといった感じです。
そして又、それはこの世の終わりと新たなる世界とが同時にすべてを覆い、開かれる…といった何とも言い表しがたいものです。
それが、随意的なものを手放し、不随意的なものが顕れる、ということと関係していることは何となく分かります。
ある人にその事を話したら「善と悪との戦いですね」と言われましたが、それはちと違います。
黒、闇というのはその場合悪というより、随意的なものをスポイルさせる何か…”自分は何でも出来る”とか”何でも知ってる”という思いを無力化させる、恩寵のあらわれだと思っています。
このようになるのにも、熱中症のように前兆というものもあります。ジンジンという感覚などがまさにそうです。
ただほとんどはいつの間にか起きてしまうのですが…
そしていよいよと言う時に、”神、恩寵の手がかかる”と表現していることが起きます。
これが恩寵に落ちてしまうシグナルのことで、そうなるに任せる他に道が無いとしばしば言っていることなのです。随意的な力が落ちるためです。
これが起きないうちでしたら、”逃げるのなら今のうち”です。
千歳一隅の機会、何回も生まれ変わってようやく巡り会ったとしても…それはどうしようとあなたの任意です!
あなたの時はまだ来なかったらしい…果たしてその時はやってくるのかどうか…知りません!
でも私はこれと真逆なことも言ってみたいです。
あなたの時はまだ来ていないのかもしれない…でも神の時は何時だって来ている!
何でいつも逃げてばかりいるんだろうか?
それに預かるかどうかは、あなたの自由です…。
コメント
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