大学一年の頃、父に連れられてどっかのアパートにお邪魔しました。
そこへ「まあ、お坊ちゃん久しぶり~…大きくなったわねえ…」と気安く声を掛けてくる中年のオバサン…やたらと腰が低く(この時は…)私は何だか急に王子様になった気分です。
”知らんなあ?誰だ?…女中さんかいな?…”私はキョトンと首を傾げるばかりです。
”ここは一体、何だ?親父の別荘か?…”すると、”キャッ、キャッ”とにぎやかな声と共に、5,6歳くらいの女の子がやってきました。
オバサンは私を女の子に「ホラ、お兄ちゃんよ!」と紹介するものだから、もう、ビックリしたのなんの…”な、何で!一体、どこの子なんだ?”
やがて4人で晩飯を食べている時、”こういう一家団欒のようなひとときは何年ぶりだろ…”と感慨にふけっているうちに全てを理解しました。
”親父が十日に一度くらいしか家に帰ってこないことも…、私が5,6歳くらいの時、どっかで見たことのある父の会社の秘書のような女性、顔など覚えていないが、それがあのオバサンだったのだ…物心ついてから、ずっと感じていたが…思っていた以上に私の家庭は複雑だったんだ!”
事実が分かったからと言って、何かが、私の生活、性格が変わる訳でも無く、その夜はそこからほど近い、病気の母と二人暮らしをしていた閑散とした本宅へ帰りました。いささか狐につままれたような気分でしたが、普通によく眠れました。
こう書いていると私のノーテンキぶりに呆れる方もいるかもわかりませんが、友人にこの事情を告げると「君は何でグレないんだ…何で親父をとっちめたりしないんだ…」とか言ったので、「私は何でグレなきゃならないんだ」と返しました。
私は心に思うことはあっても、父に面等向かってこの事情に対して恨みがましいことをぶつけたことは一度もありません。
ただ父は父で私にずっと負い目を感じていたようですが…
そう…私は起きる事が起きたようにしか感じていませんでした。
大学4年の頃母が往ってしまった後、父と大ゲンカした事が有りましたが、それは父が「母さんのことは忘れちまうことだ!」と冷たく言い放ったからです。
この時、父は私が宗教的なものに惹かれていたことは、察知していたようですが「お前はオレに母さんの復讐をしようとしているのか!」と怒鳴られた時は、どっからそんな言葉が出てくるのか理解出来ませんでした。そして私がその時キレてしまったもう一つの理由は、父が何で静かに収まっているものを波立たせることを言い出すのか、ということだったのです。
誰も恨んでなどいないのに…父がそもそも、そういう事になった理由も分かります。
母はずっと病気だったのです。胃がずっと悪かったようですが、それ以上に本人、おそらくは父をも苛んだのは精神的なものだったでしょう。
私が幼い頃から家事も育児もロクに出来なかったようです。
人の好き嫌いが激しく、しょっちゅう被害妄想のように隣近の人の悪口を言ってました。
ただ、本当に感受性が強いというか、映画やドラマをいつも泣きながら観ていました。
そんな母ですが、間違いなく私にとっては恩人です。
「いつも神様がお前を守っているのよ…」物心ついた時からこんな風に諭されていたのです。
わかっているのは実践倫理と生長の家でしたが、母は一時宗教にハマっていました。
でも母からの薫陶から受けたものは、もっとごくシンプルな宗教でない「僕だけの神様」です。
今から考えると母は私の唯一の理解者だったのかも知れません。
「この子は将来宗教家か哲学者になる…そのうち悟るかもわからない…」(傍らで父は苦笑していました)
実際はそのとおりにはいかないですが、私の中のある質は見抜いていたと思います。
その芽は母によって生え出ることが出来たのです。
母のこの薫陶はどんなに感謝してもしたりません。
複雑な家庭事情から宗教的、精神的な道に導かれる人も多いと思います。
私はこれまで表面的には、あまりそのことを意識したことはありません。
ただ、意識下では…その辺に向けると…何か言い表し得ないものがムクムクともたげてくる感じが今もなおしてきます。
意識の底でこの何かが私を動かしていたのです。勿論父への復讐なんかじゃないですよ…
父とはその後、自由に宗教や哲学的な事など語り合った事が有ります。
その事を通して父の表情から私に対して「コイツはバカだとばっかり思ってたけど、何時の間に知恵がついたんだ…」といった気付きを伺うことが出来ました。ただ深い話は絶対にしようとしません。私の導火線に火が付くと大変な事になるのを察知したのでしょう…
その父も5年前に往ってしまいました。
このムクムクともたげているものの根っこは、この複雑な家庭に生れ落ちる以前から背負っているものに違いないです。
父も母もそれぞれの感性で、私の中に息づく何かを感じ取っていたのでしょうか?
私は両親以外の別の親からも見守られ、育てられたような気がしてなりません…。
そこへ「まあ、お坊ちゃん久しぶり~…大きくなったわねえ…」と気安く声を掛けてくる中年のオバサン…やたらと腰が低く(この時は…)私は何だか急に王子様になった気分です。
”知らんなあ?誰だ?…女中さんかいな?…”私はキョトンと首を傾げるばかりです。
”ここは一体、何だ?親父の別荘か?…”すると、”キャッ、キャッ”とにぎやかな声と共に、5,6歳くらいの女の子がやってきました。
オバサンは私を女の子に「ホラ、お兄ちゃんよ!」と紹介するものだから、もう、ビックリしたのなんの…”な、何で!一体、どこの子なんだ?”
やがて4人で晩飯を食べている時、”こういう一家団欒のようなひとときは何年ぶりだろ…”と感慨にふけっているうちに全てを理解しました。
”親父が十日に一度くらいしか家に帰ってこないことも…、私が5,6歳くらいの時、どっかで見たことのある父の会社の秘書のような女性、顔など覚えていないが、それがあのオバサンだったのだ…物心ついてから、ずっと感じていたが…思っていた以上に私の家庭は複雑だったんだ!”
事実が分かったからと言って、何かが、私の生活、性格が変わる訳でも無く、その夜はそこからほど近い、病気の母と二人暮らしをしていた閑散とした本宅へ帰りました。いささか狐につままれたような気分でしたが、普通によく眠れました。
こう書いていると私のノーテンキぶりに呆れる方もいるかもわかりませんが、友人にこの事情を告げると「君は何でグレないんだ…何で親父をとっちめたりしないんだ…」とか言ったので、「私は何でグレなきゃならないんだ」と返しました。
私は心に思うことはあっても、父に面等向かってこの事情に対して恨みがましいことをぶつけたことは一度もありません。
ただ父は父で私にずっと負い目を感じていたようですが…
そう…私は起きる事が起きたようにしか感じていませんでした。
大学4年の頃母が往ってしまった後、父と大ゲンカした事が有りましたが、それは父が「母さんのことは忘れちまうことだ!」と冷たく言い放ったからです。
この時、父は私が宗教的なものに惹かれていたことは、察知していたようですが「お前はオレに母さんの復讐をしようとしているのか!」と怒鳴られた時は、どっからそんな言葉が出てくるのか理解出来ませんでした。そして私がその時キレてしまったもう一つの理由は、父が何で静かに収まっているものを波立たせることを言い出すのか、ということだったのです。
誰も恨んでなどいないのに…父がそもそも、そういう事になった理由も分かります。
母はずっと病気だったのです。胃がずっと悪かったようですが、それ以上に本人、おそらくは父をも苛んだのは精神的なものだったでしょう。
私が幼い頃から家事も育児もロクに出来なかったようです。
人の好き嫌いが激しく、しょっちゅう被害妄想のように隣近の人の悪口を言ってました。
ただ、本当に感受性が強いというか、映画やドラマをいつも泣きながら観ていました。
そんな母ですが、間違いなく私にとっては恩人です。
「いつも神様がお前を守っているのよ…」物心ついた時からこんな風に諭されていたのです。
わかっているのは実践倫理と生長の家でしたが、母は一時宗教にハマっていました。
でも母からの薫陶から受けたものは、もっとごくシンプルな宗教でない「僕だけの神様」です。
今から考えると母は私の唯一の理解者だったのかも知れません。
「この子は将来宗教家か哲学者になる…そのうち悟るかもわからない…」(傍らで父は苦笑していました)
実際はそのとおりにはいかないですが、私の中のある質は見抜いていたと思います。
その芽は母によって生え出ることが出来たのです。
母のこの薫陶はどんなに感謝してもしたりません。
複雑な家庭事情から宗教的、精神的な道に導かれる人も多いと思います。
私はこれまで表面的には、あまりそのことを意識したことはありません。
ただ、意識下では…その辺に向けると…何か言い表し得ないものがムクムクともたげてくる感じが今もなおしてきます。
意識の底でこの何かが私を動かしていたのです。勿論父への復讐なんかじゃないですよ…
父とはその後、自由に宗教や哲学的な事など語り合った事が有ります。
その事を通して父の表情から私に対して「コイツはバカだとばっかり思ってたけど、何時の間に知恵がついたんだ…」といった気付きを伺うことが出来ました。ただ深い話は絶対にしようとしません。私の導火線に火が付くと大変な事になるのを察知したのでしょう…
その父も5年前に往ってしまいました。
このムクムクともたげているものの根っこは、この複雑な家庭に生れ落ちる以前から背負っているものに違いないです。
父も母もそれぞれの感性で、私の中に息づく何かを感じ取っていたのでしょうか?
私は両親以外の別の親からも見守られ、育てられたような気がしてなりません…。