人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

瞑想、祈り、ガイダンス

2015-08-21 19:23:57 | 祈りと瞑想
脱スピ系周辺では、ここんとこ実体験を交えてスピ・ビジネスで受けた実害の報告が相次いでなされています。
私は幸いなことに様々な宗教系、スピ系グループと関わりを持ちながらも、うかつに近づいた怪しい宗教に付きまとわれたこと以外、実害と感じたことはほとんど無かったと思います。
大枚はたいてセミナーなども受けたことありましたが、それは自分で納得して、決心して参加しているので”ヤラレた!…金返せー!”と言う方が見当違いです。
ま、そんなに悪質だとは感じなかったって事ですかね…
それにしてもあのマントラ瞑想ってのは、イロイロあるんですねー。
私は二年くらい前、一度だけAさんの講演会に行ったことありますが、そこで初めてその瞑想のことを知り、その申し込みが殺到しているのにびっくりしました。
私はちょっとした説明を受けただけで、胡散臭さを感じました。
絶対申し込むものですか!…いや、申し込めなかった。金が無い!

私にとって瞑想はロハで出来るものです。一度ある人を通じて(この誰かさんを”通じて”…という線が極めて重要なことです。”私が”という線はエセと見て間違いありません)お金を払って形の無い何かを伝授されたことはあります(この時はあまり自分自身を信頼してなかったんですね)が、それ以前に見えざる導師から受けていました。
ま、それだけ聞いて胡散臭さこの上ない、と感じる人も居られるかもわかりませんが…
瞑想によってこの世的な成功、人間関係の修復、超能力の開発、あるいは又悟り…
このようなことを求める者も多いようです。ある目的への手段ですね。
目的は色々でしょうが、どっかでそれを獲得出来たら幸福になれると思っているのでしょう。
というより、それが人間が何かをやろうとする上での根本的なモチと言えるでしょう。
私は以前、理由も無く嬉しい、感謝の気持ちが溢れて来て、ずっと何もしないでそのままキープされていた(していたのではありません)ことがありました。
何かを求めようとしなくても幸福を味わっていたのです。
何かのメソッドに依ったのでも無しに…特別なメソッドの無いロハ瞑想の発芽はその辺にあります。
”どうしたらそんなオメデタイ心境になれるのか?”と何人かの人に訊かれましたが、”それはだね…タダでか?…今日は大サービスで良いだろう…手をこうして合掌して、息を吹きかけて…”とレクチャーまがいのことやってるうちに、自分で白々しくなってきました。
私自身そうしたものなどに頼ってなどいませんから…
今なら…”祈ったらいい…”と言うかもわかりません。先の件でも、これはある意味ホントにそれに依って導かれたと言ってもいいですから…
五井先生や小池先生、手島先生などの影響もあったでしょうが、自分の意志から何かをやろう、”自分が”という線からでなしに、自然(じねん)からそうなってしまったのです。
最初の頃はあの”現臨感”というものはあまり自覚されていなかったのですが、”何もしてなくても無条件にいいものだ”と感じていました。
幸福で居られますから…。
こういう状態で居られると、何かの効果を期待することも無いし、効果が無いからといってどうという事も有りません。
幸福で居られますから…。それは幸福をもたらしてくれるものと共にあるという事です。
祈りとはその幸福ご自体、幸福の権化~ガイダンスの召喚です。
いやそれ以前にあちらから召喚されているから祈らざるを得なくなるのでしょう。
そこから切り離して、成功、人間関係の改善…そして悟りというものを求めてみても…多分裏切られてしまうのではないでしょうか?
何度も触れますが私には祈りと瞑想とは切り離せないのです。

”アツ、そうかガイダンスとつながればいいんだ…”と思ってうかつに”こうすれば、ガイダンスにつながる”なんて商売に手を付けるべきではありません。
その前に祈った方がいいです…。勿論”ロハ”で…





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