今日は申し分のない秋日和です。
昨日が冬の嵐のようだっただけに、余計くっきりとその風情を浮かび上がらせています。
ああ、あのスッタモンダのおバカストーリーもどこへやら…
改めて思います。当たり前であることは何と幸福な事なのだろう、と…
秋の映画とくれば私的には小津安二郎作品にとどめを刺します。
最初に観たのは確か昭和63年頃、「晩春」という作品でしたが、正直さして印象に残りませんでした。
友人は「なんだか何の盛り上がりも無いうちに終わってしまった…」とこぼしていましたが、同感でした。多分、そういうところが良さなんだろう、とは思いましたが…
おそらく、ああいう映画はそれまで観たことが無かった為か、戸惑ってしまったんだと思います。
その次に観たのが「秋日和」(昭和60年松竹)。これにはハマった!…
ストーリー的には「晩春」での父娘の関係を母娘に置き換えただけなんですが、私に忘れがたい印象を残しているのは、その母(原節子。前述作品での娘役。どういう因果なのか?)、娘(司葉子。私は昔どういう訳かこの人を美人の代名詞、山本富士子と勘違いしていました)の情感あふれるやりとりもさることながら、影の主役たちの存在に負うところが大きいのです。
佐分利信、中村伸郎、北竜二の最強オジサン・トリオです。(私には皆どっかで見た大臣に見えます。)
役どころは会社の重役ですが、この3人が繰り広げる奥ゆかしくも、コッケイな与太談義の数々…もう笑い転げてしまいました。
(ああ、私は広瀬姉妹のお姉ちゃんの方にヘッド・シザースを掛けられてみたい…)
特に中村教授?(小津作品の他、黒澤作品でも常連。)の如何にも都会的なエスプリに満ちた、何の役にも立ちそうにないウンチク…最高です。
実はこの取り合わせは、好評だったのか「彼岸花」(昭和58年)に続いての登場で、次の「秋刀魚の味」では小津作品の顔役?笠智衆も加わります。
物語はこのオジサン・トリオのお節介な陰謀?によって、母娘の関係に亀裂が入ってしまった…かのようなことが…人生の黄昏に突如春が巡ってきた…かのようなことが起きたり、淡々と微妙なタッチで進んでいきます。それにしてもなんともゆったりした流れで、ただことが起きているように展開して行きます。。
戦前の小津作品では「生まれてはみたけれど」に観るように、悲惨なまでの不況下の東京の庶民の生活をリアルに浮彫にしていましたが、ここでは生まれ変わったような東京の中流、上流の生活ぶりが見事に描かれています。
実に映画というのは、歴史の教科書なんかよりずっと時の経過、人の営みを伝えてくれるものだと思いますね。
高度成長時代に入っていたにも拘らず、重役室でさも重要な、内密な商談かと思いきや…見合い話に明け暮れる佐分利信のいい加減んな勤務ぶり…のんきなものだなあ…これが案外この時代の企業の裏側なんじゃないでしょうか? というかここで描かれているものこそ何時の時代でも、社会人の本音だと思います。少なくとも私にとっては…
東京とは対比的に描かれていた母娘で行った旅先の風景の美しさ…これも日本です。こういう作風は後の「男はつらいよ」シリーズで踏襲されていますね。
午後、穏やかな晴天に誘われて、東上線沿いのレトロな街へ行ってきましたが、私のお気に入りの昔ながらのラーメンを食べれる店が取り壊されていました。そしてその向かいのこれまたお気に入りの、如何にも街のコーヒー屋さんという佇まいの店も閉店してしまいました。この一角だけで、モロ”昭和”に浸れていたのに…よく見ると閉店の張り紙に”おいしいコーヒーを有難う!”といくつか寄せ書きが書かれていました。
悲しいような、嬉しいような微妙な午後のひと時でした…。当たり前というのは幸福ですね…。
昨日が冬の嵐のようだっただけに、余計くっきりとその風情を浮かび上がらせています。
ああ、あのスッタモンダのおバカストーリーもどこへやら…
改めて思います。当たり前であることは何と幸福な事なのだろう、と…
秋の映画とくれば私的には小津安二郎作品にとどめを刺します。
最初に観たのは確か昭和63年頃、「晩春」という作品でしたが、正直さして印象に残りませんでした。
友人は「なんだか何の盛り上がりも無いうちに終わってしまった…」とこぼしていましたが、同感でした。多分、そういうところが良さなんだろう、とは思いましたが…
おそらく、ああいう映画はそれまで観たことが無かった為か、戸惑ってしまったんだと思います。
その次に観たのが「秋日和」(昭和60年松竹)。これにはハマった!…
ストーリー的には「晩春」での父娘の関係を母娘に置き換えただけなんですが、私に忘れがたい印象を残しているのは、その母(原節子。前述作品での娘役。どういう因果なのか?)、娘(司葉子。私は昔どういう訳かこの人を美人の代名詞、山本富士子と勘違いしていました)の情感あふれるやりとりもさることながら、影の主役たちの存在に負うところが大きいのです。
佐分利信、中村伸郎、北竜二の最強オジサン・トリオです。(私には皆どっかで見た大臣に見えます。)
役どころは会社の重役ですが、この3人が繰り広げる奥ゆかしくも、コッケイな与太談義の数々…もう笑い転げてしまいました。
(ああ、私は広瀬姉妹のお姉ちゃんの方にヘッド・シザースを掛けられてみたい…)
特に中村教授?(小津作品の他、黒澤作品でも常連。)の如何にも都会的なエスプリに満ちた、何の役にも立ちそうにないウンチク…最高です。
実はこの取り合わせは、好評だったのか「彼岸花」(昭和58年)に続いての登場で、次の「秋刀魚の味」では小津作品の顔役?笠智衆も加わります。
物語はこのオジサン・トリオのお節介な陰謀?によって、母娘の関係に亀裂が入ってしまった…かのようなことが…人生の黄昏に突如春が巡ってきた…かのようなことが起きたり、淡々と微妙なタッチで進んでいきます。それにしてもなんともゆったりした流れで、ただことが起きているように展開して行きます。。
戦前の小津作品では「生まれてはみたけれど」に観るように、悲惨なまでの不況下の東京の庶民の生活をリアルに浮彫にしていましたが、ここでは生まれ変わったような東京の中流、上流の生活ぶりが見事に描かれています。
実に映画というのは、歴史の教科書なんかよりずっと時の経過、人の営みを伝えてくれるものだと思いますね。
高度成長時代に入っていたにも拘らず、重役室でさも重要な、内密な商談かと思いきや…見合い話に明け暮れる佐分利信のいい加減んな勤務ぶり…のんきなものだなあ…これが案外この時代の企業の裏側なんじゃないでしょうか? というかここで描かれているものこそ何時の時代でも、社会人の本音だと思います。少なくとも私にとっては…
東京とは対比的に描かれていた母娘で行った旅先の風景の美しさ…これも日本です。こういう作風は後の「男はつらいよ」シリーズで踏襲されていますね。
午後、穏やかな晴天に誘われて、東上線沿いのレトロな街へ行ってきましたが、私のお気に入りの昔ながらのラーメンを食べれる店が取り壊されていました。そしてその向かいのこれまたお気に入りの、如何にも街のコーヒー屋さんという佇まいの店も閉店してしまいました。この一角だけで、モロ”昭和”に浸れていたのに…よく見ると閉店の張り紙に”おいしいコーヒーを有難う!”といくつか寄せ書きが書かれていました。
悲しいような、嬉しいような微妙な午後のひと時でした…。当たり前というのは幸福ですね…。