東京にずっと住んでいたら当たり前のようで気が付かないですが、別の大都市に行ってみると、東京というところは実に特異な地形をしているという事が分かります。
例えば大阪などはどこもかしこも低地ばかりだし、山側から浜側へと坂をなす神戸などはとても分かり易い地形と言えます。
ところが東京ときたら何とボコボコと起伏だらけなことか!
ポンコツ自転車で新宿から神保町まで行くのに一体いくつ坂を上ったり、下ったりしたことか!
そしてこの坂下には姿を消したものも少なくないが、川が流れていたのです。
東京のこのヘンな地形は、川が形成したと言っても過言ではないのです。
私の東京への親しみ、懐かしみは多く川と共にあるのです。
(エッ、下町はどうなのかって?…さあ…住んだことないので…川は流れているのかどうか微妙ですし…下町っ子ならきっと別の観点が有るのでしょう…)
私が小学ニ年の頃、JR中野の駅前通りを南に行った交差点の近く、郵便局の向にある総合病院のすぐ横に、小川が流れていたのを見た事が有ります。
翌年「そんなところに川なんてある訳無い!」と言い張る、兄にギャフンと言わしてやろうと「じゃあ、見に行こうじゃないか!」と勇んでもう一度そこを訪れたものの…橋は残っていましたが、川筋はコンクリートのフタで覆われていました。
私はこの時、その分厚いコンクリートを下に、それこそ地団太踏んで悔しがったものでした。これは兄に対してじゃなく、私の川探索が絶たれてしまった事に対してです。
川探索の主要目的はその源を探ることにあります。(でもほとんどの場合、まだ幼かったため日が暮れてしまったり、迷子になったりして断念してしまうハメになりました)
此処を流れていた桃園川はついに私にとり幻の川になってしまったのです。
このころから都内の中小河川の暗渠化が急速に進み、目黒川の上流、烏山川を初め、蛇崩川(中目黒のど真ん中を流れていた)、井草川など多くの川が同じ運命をたどることになりました。
僅かな記憶にある桃園川は都内のほとんどの川がそうであったように、その名にある桃園の名所の面影など見る影もない悪臭放つドブ川でした。
暗渠化の推進にはこうした理由や、また台風シーズンともなれば、これらの河川は周囲に浸水被害をもたらす原因となる、車などの通行の妨げともなるなどの理由からでしょう。
全くもって我々人間の都合で文字通り、臭いものにフタをされるに至ったのです。
中野、杉並、練馬などの区内に昔から住んでおられる方なら、近くに無数の名も無い小河川(ハシゴ状の橋梁がかかっているドブ川)が流れていたのを覚えておられるでしょう。
川が有るという事は泉(大抵今は小公園になってたりします)もあった訳で、かつては豊かな地下水に恵まれていた、という事を物語っています。
この小さな流れが石神井川、神田川などの中河川に注ぎ、それがまた荒川、多摩川などに注いで、これが大海に…と思いを馳せれば同じ水なのに、景観が違うと別のものに見えてしまうというのが実に妙だとは思いませんか?
このような東京の母とも言うべき川と我々との関わりは、その流域に散在している古代遺跡に伺えるように古くから密接なものが有りました。
それらは決まって浸水被害を被らないように坂上に形成されています。
現代人は古代人の知恵から学ぶべきですね。
川底から河岸まで全てコンクリートで固めてしまい、挙句にフタまでしてしまったところなど、どうしようもない知恵の浅さが見えます。
雨水が地下水として浸透しなくなり、泉も枯渇し川の命は絶たれてしまったのです。
コンクリートというのはエゴの象徴だと思いますね。
それでも今ではかつての悪臭漂うドブ川も、鴨や鯉の生息出来るまでに改善されるようになって久しいです。
自然を破壊するのも人間、取り戻すのも人間…鴨に矢を突き刺すのも人間、それを懸命に保護するのも人間です。
我々の未来は川を初め、動植物など自然との共生如何にかかっていると痛切に思います…。
昔、矢鴨騒動のあった石神井川べりの紅葉ももうすぐ見頃です。その夕日が川面に映る風情は今も隠れ名所と言うにふさわしいものが有ります。
他にも都内アチコチに(私なりの)夕焼け絶景スポットを知っていますが、全て川べりであるのは言うまでもありません。
例えば大阪などはどこもかしこも低地ばかりだし、山側から浜側へと坂をなす神戸などはとても分かり易い地形と言えます。
ところが東京ときたら何とボコボコと起伏だらけなことか!
ポンコツ自転車で新宿から神保町まで行くのに一体いくつ坂を上ったり、下ったりしたことか!
そしてこの坂下には姿を消したものも少なくないが、川が流れていたのです。
東京のこのヘンな地形は、川が形成したと言っても過言ではないのです。
私の東京への親しみ、懐かしみは多く川と共にあるのです。
(エッ、下町はどうなのかって?…さあ…住んだことないので…川は流れているのかどうか微妙ですし…下町っ子ならきっと別の観点が有るのでしょう…)
私が小学ニ年の頃、JR中野の駅前通りを南に行った交差点の近く、郵便局の向にある総合病院のすぐ横に、小川が流れていたのを見た事が有ります。
翌年「そんなところに川なんてある訳無い!」と言い張る、兄にギャフンと言わしてやろうと「じゃあ、見に行こうじゃないか!」と勇んでもう一度そこを訪れたものの…橋は残っていましたが、川筋はコンクリートのフタで覆われていました。
私はこの時、その分厚いコンクリートを下に、それこそ地団太踏んで悔しがったものでした。これは兄に対してじゃなく、私の川探索が絶たれてしまった事に対してです。
川探索の主要目的はその源を探ることにあります。(でもほとんどの場合、まだ幼かったため日が暮れてしまったり、迷子になったりして断念してしまうハメになりました)
此処を流れていた桃園川はついに私にとり幻の川になってしまったのです。
このころから都内の中小河川の暗渠化が急速に進み、目黒川の上流、烏山川を初め、蛇崩川(中目黒のど真ん中を流れていた)、井草川など多くの川が同じ運命をたどることになりました。
僅かな記憶にある桃園川は都内のほとんどの川がそうであったように、その名にある桃園の名所の面影など見る影もない悪臭放つドブ川でした。
暗渠化の推進にはこうした理由や、また台風シーズンともなれば、これらの河川は周囲に浸水被害をもたらす原因となる、車などの通行の妨げともなるなどの理由からでしょう。
全くもって我々人間の都合で文字通り、臭いものにフタをされるに至ったのです。
中野、杉並、練馬などの区内に昔から住んでおられる方なら、近くに無数の名も無い小河川(ハシゴ状の橋梁がかかっているドブ川)が流れていたのを覚えておられるでしょう。
川が有るという事は泉(大抵今は小公園になってたりします)もあった訳で、かつては豊かな地下水に恵まれていた、という事を物語っています。
この小さな流れが石神井川、神田川などの中河川に注ぎ、それがまた荒川、多摩川などに注いで、これが大海に…と思いを馳せれば同じ水なのに、景観が違うと別のものに見えてしまうというのが実に妙だとは思いませんか?
このような東京の母とも言うべき川と我々との関わりは、その流域に散在している古代遺跡に伺えるように古くから密接なものが有りました。
それらは決まって浸水被害を被らないように坂上に形成されています。
現代人は古代人の知恵から学ぶべきですね。
川底から河岸まで全てコンクリートで固めてしまい、挙句にフタまでしてしまったところなど、どうしようもない知恵の浅さが見えます。
雨水が地下水として浸透しなくなり、泉も枯渇し川の命は絶たれてしまったのです。
コンクリートというのはエゴの象徴だと思いますね。
それでも今ではかつての悪臭漂うドブ川も、鴨や鯉の生息出来るまでに改善されるようになって久しいです。
自然を破壊するのも人間、取り戻すのも人間…鴨に矢を突き刺すのも人間、それを懸命に保護するのも人間です。
我々の未来は川を初め、動植物など自然との共生如何にかかっていると痛切に思います…。
昔、矢鴨騒動のあった石神井川べりの紅葉ももうすぐ見頃です。その夕日が川面に映る風情は今も隠れ名所と言うにふさわしいものが有ります。
他にも都内アチコチに(私なりの)夕焼け絶景スポットを知っていますが、全て川べりであるのは言うまでもありません。