人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私の全てがモノ語る

2017-07-01 12:33:38 | 秘教、その他団体
"それ 自身に...存りて 全てであり
それ 自体に...在りて 一切である
それ 自身に...明らかなる
それ 自体が...自らを 業らきする

自己の「真理」は、
総ての自他の 真理であらねばならぬ。
自身の「真実」は、
全ての彼此の 真実であらねばならない。
自己の「中心」は、同時に
自他一切の 中心であらねばならぬ。
自己の「根本」は、
同時に彼此悉皆の 根本であらねばならない。"

命御「大調和協会.聖語集」より

兵庫県は高砂市、通称播磨富士と呼ばれ、古来より霊山と称えられている、高御位山の麓に大調和協会なる団体があります。
と言いましても、私はそこへは十年以上ご無沙汰しているので、今はどうなっているのかわかりません。
ひょっとして1コの寺院になってしまったのか? ここへ訪れようとする人というのは先祖供養の相談なのでしょうか? それともその附属機関で断食の修養に来るのでしょうか?
昔から地元の人間にも、宗教団体なのか、修養団体なのか、あるいは秘密結社なのか...その存在はベールに包まれていたのでした。
余程の何らかのとっかかりが無くして、そこに縁付くことは難しいことです。
こちらから何かの信仰や思想、自己変革の方法等を求めて、その会得に預かろうとしようにも、握ろうとするとスルスルとその手から抜けていくばかりです。
私は? ...さあ...その事を考えてみても、霧の中に霞んでしまっているようで...一体なんで又東京からわざわざ生活の拠点を移してしまうことまでになってしまったのか...
ただ...その微睡みの中にくっきりと写し出しているものがあります。
私は...捉えられてしまったのです...
私はこの活ける身語を自分の信仰や思想に貶めようとしたこともあります。
だが、それが他から持ち込まれた時、耐え難い息苦しさ、身も心も塞がってしまうような気分にさせられ、その握ろうとする手を放さざるを得なくなりました。
このものに手をかけることなど許されないi このものはそれ自体で生きている...
それは絶対に世に出なければならない...否世に出ずにおれないもの。
今、顕れ出ようとしているi
一コの信仰、思想、修行方法なら、そこらじゅうに溢れているからもういいでしょう。
一にして全てなるものがモノを言っているのですi それはどんなこの世の信仰、思想等にも置き換えることは出来ませんi
全ての私が、一切における私がモノを言っている...
そこで言葉をしていたのは、私という人類...何人に知られることはなくとも...
自己と全ての本当を垣間見せられた私は、その証をし続けざるを得ないのです...。

コメント
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