人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

岩と縁

2017-07-16 13:40:28 | 秘教、その他団体
知られざる秘教団体「大調和協会」は、播州富士として名高い、高御位山の西麓に位置しています。
この山の頂きに巨大な磐座があり、遠望からでもその偉容を拝することが出来ます。
私は何度か登ったことがありますが、所々岩肌が目立ち(途中に命懸けの岩だらけの難所がある)、木々もそんなに繁立しておらず、禿げ山という感じです。
頂上の磐座から播州平野を一望することが出来、人気のハイキングコースになっているようですが、その下では、世界の、人類の変容、その真相の開示などが日夜叫ばれていたことなど誰が知ることでしょう...
この山頂にも、協会の反対側の麓にも高御位神宮があり、この山は古くから神道、修験道の聖地であり、その中心に存在したのは、熊野別当格、九鬼一族でした。
昭和20年代中頃には、大本信者で日月神示の岡本天明師とも親交のあった池澤原治郎という人が、「高御位教」なる神仕組みの拠点?を立ち上げたこともあったそうですが、近隣からの反対などですぐ頓挫したらしいです。
そもそも私が協会に関心を持ったのは、大本教からのこうした神縁のつながりをそこに感じ取ったことに端を発していたのですが、直接的なものはなくとも、熊野、九鬼家を通じてその神秘的連繋はあったのでしょうか?
大調和協会会主、命御(みょうご)様(別に個人崇拝という訳でなく、協会ではそのハタラキの位格としてこのように尊称されています)は、数年に渡る大峰山に山籠したことなどから熊野の九鬼家とのつながりがあり、高御位山のことを知らされ、この地を永遠の根拠地と定められたのは、昭和28年のことでした。

私が今 この高御位山に生活根拠することにもおいて
今 この"天地を一貫する時の業"に天地は冥合
「人」は この大聖業顕成の業に 消え果てしまったのであります。
人消えて...天地を御業(みわざ)するの大地はまさに顕現
正しく「高御位山は私」と成って 彰われたのであります。(会主命御)

命御様にとって、この霊山の存在は、まるでラマナ.マハルシにおけるアルナーチャラ山との関係を彷彿させるものがあります。
これはもう私の理解を完全に越えていることですが、この山には、あの磐座には普遍世界、神統、霊統的つながりの結節点でもあるのでしょうか?
しかし、私はその神秘のモニュメントに何度か触れていますが、実は例えば丹後の真名井神社神域の磐座、出雲大社神域のスサノオが鎮まるという磐座で受けたような、ジンジンと心身に伝わるような感覚は受けたことがありません。
いずれも登山で疲れてしまって、ジックリ体を休められなかったことに由るのかもしれません。
このことは、命御様の霊縁で発現したものに違いないでしょう。一人一人にそのような発露がある、というべきでしょう。
協会に関係してる人たちというのは、ほとんどが命御様、その両成の関係的存在である命位(みょうい)様との何らかの繋がりを持った者ばかりなのです。
東京で生まれ、育った私は全くの異例...根っからのアウトサイダーだったのです。
結果的に私の魂は、そこに根付くことがなかったのも運命だったのでしょうか?
"ああ...ここは、岩ばっかりで、木々は育ってない...それでもここから種はどこかに運ばれていって、落ちたところに発芽するかもわからない..."
私には確かに、私のすべての人生において、この縁に因っているのを覚えずにいられないものがあります...。




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