いつもこのブログをお読み下さる方ならお分かりと思いますが、私は特定の宗教、思想、スピ団体にも所属しておらず、当然の事ながらここでその教義であるとか、生き方というものを宣揚するつもりはないのです。
いくつかのそうした出合いというものはありましたが、それはその具体的関わりというより、それを通じて内的な意識にもたらされた事の方が大きかったのです。
昭和54年初春からの一年間...私に相次いで私の内面を切り開くような道標のようなものが備えられました。
そう、それは"備えられた"ように感じられたのです。
表向きは、好奇心旺盛な私が興に任せて次々関心が向けられたようでしたが、私にはただ導かれるままに惹き付けられていった、という印象なのです。
ひょんなことからその奇縁は生まれ、それに理屈を越えた、ある種の感応のようなものを受けていたのです。
大本の経倫を継ぎ、元の神の顕現、神人和楽のミロクの御代の到来を告げる、知る人ぞ知る神伝文「要之神示」。
「宗教宗派は皆方便 渡りの橋 O五十五の千(まこといのち)の百十(もと)へ帰れ 直霊の神霊の百十へ帰れ そこに世界カミの道は開けむ...」(神聖神言録105号)
キリストの無的実存、霊境の教会(神の幕屋、エクレシア)を証道する小池辰雄先生。
「私はもう何ものでもありません。私の眼が水晶体であるように、私の心魂も無色透明にされました。萬象萬態があるがままに映ります...」
(キリストの霊性)
永遠の神人キリスト、普遍調和世界の具現を告示する哲人ベルジャーエフ。
「神の霊が人間の精神に働きかけるのは...人格的なものと普遍的なもの、主体的なものと客体的なものの対立を克服することを意味するのだ...」(精神と現実)
そして大調和協会...私にもたげていたものがここで出合うのです。
昭和55年初春、高砂の協会本部にあって私は命位様と対自していました。
「僕は一体何を求めてここに来ているのかよく分からないのです。ただ、もう...僕の知らない自分がここに引き連れてきたようで...」
そして私のこの要領を得ない、言葉の中にある内奥から発しているらしいものを捉えて命位様は、それまでの柔和な態度を一変させてこのように告げたのでした。
「おやりなさいi 徹底的におやりなさいi やってやってやりぬくのですi 天地と一つにならないと承知出来ないあなたが居るのです。どうぞ、そのあなたを成就なさって下さい...」
"ここで物を言っているのは、確かに私自身だi...生まれてはじめて私自身に会えた気がする...ここには信仰も思想も大調和協会というものもない...命位様という私が居るばかりなのだ..."
私は知らず知らずに、"一にして全てのもの"に触れようとし、その縁を引っ提げてそこに赴いたのでした。
おそらくはこの時の私でなければ、私の中の私自身に会えなかったでしょう。
そして、"この出合い無くして、一にして全てのものを目の当たりにすることもなかった...それはこの現実に目の当たりにすることになる..."
ということを予感せずにおれないものがあったのでした...。
いくつかのそうした出合いというものはありましたが、それはその具体的関わりというより、それを通じて内的な意識にもたらされた事の方が大きかったのです。
昭和54年初春からの一年間...私に相次いで私の内面を切り開くような道標のようなものが備えられました。
そう、それは"備えられた"ように感じられたのです。
表向きは、好奇心旺盛な私が興に任せて次々関心が向けられたようでしたが、私にはただ導かれるままに惹き付けられていった、という印象なのです。
ひょんなことからその奇縁は生まれ、それに理屈を越えた、ある種の感応のようなものを受けていたのです。
大本の経倫を継ぎ、元の神の顕現、神人和楽のミロクの御代の到来を告げる、知る人ぞ知る神伝文「要之神示」。
「宗教宗派は皆方便 渡りの橋 O五十五の千(まこといのち)の百十(もと)へ帰れ 直霊の神霊の百十へ帰れ そこに世界カミの道は開けむ...」(神聖神言録105号)
キリストの無的実存、霊境の教会(神の幕屋、エクレシア)を証道する小池辰雄先生。
「私はもう何ものでもありません。私の眼が水晶体であるように、私の心魂も無色透明にされました。萬象萬態があるがままに映ります...」
(キリストの霊性)
永遠の神人キリスト、普遍調和世界の具現を告示する哲人ベルジャーエフ。
「神の霊が人間の精神に働きかけるのは...人格的なものと普遍的なもの、主体的なものと客体的なものの対立を克服することを意味するのだ...」(精神と現実)
そして大調和協会...私にもたげていたものがここで出合うのです。
昭和55年初春、高砂の協会本部にあって私は命位様と対自していました。
「僕は一体何を求めてここに来ているのかよく分からないのです。ただ、もう...僕の知らない自分がここに引き連れてきたようで...」
そして私のこの要領を得ない、言葉の中にある内奥から発しているらしいものを捉えて命位様は、それまでの柔和な態度を一変させてこのように告げたのでした。
「おやりなさいi 徹底的におやりなさいi やってやってやりぬくのですi 天地と一つにならないと承知出来ないあなたが居るのです。どうぞ、そのあなたを成就なさって下さい...」
"ここで物を言っているのは、確かに私自身だi...生まれてはじめて私自身に会えた気がする...ここには信仰も思想も大調和協会というものもない...命位様という私が居るばかりなのだ..."
私は知らず知らずに、"一にして全てのもの"に触れようとし、その縁を引っ提げてそこに赴いたのでした。
おそらくはこの時の私でなければ、私の中の私自身に会えなかったでしょう。
そして、"この出合い無くして、一にして全てのものを目の当たりにすることもなかった...それはこの現実に目の当たりにすることになる..."
ということを予感せずにおれないものがあったのでした...。