人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

この最後のものにも

2017-07-20 12:31:22 | 秘教、その他団体
大調和協会では、会員というか、そこに依拠していこう、と志を持った人には、通称「三千冊」と呼ばれる会では聖典とされている書き物に、会主命御様より直筆のある言葉を記されることが習わしになっていました。
会主が帰天されたのは昭和60年初夏のことで、最後にその一筆を頂いているのは、私ということになっているのです。
そこには弱々しい文字で「ときのひと」と書かれていました。
これは何かの間違いなのでしょうか? もっとも縁遠く、どこの馬の骨だかわからない私なのに...
確かに私は昭和58年の夏の集会の折り、成り行き?で同士に加わることになりました。
この時は、あの爆発的な精神的目覚めに預かった直後のことです。
(一週間ぐらいは経っていたのですが、一時は収まっていた偏頭痛がこの時はぶり返していました。ジンジンと心身が震える感じもあり、何かの拍子に再燃してもおかしくなかった、と思われました)
私はそのことをかなり曖昧にたどたどしく、衰弱された命御様に代わって会の中心におられた命位様に話したのですが、事の次第を詳しく伝えてはいなかったのです。いや、伝えられなかった、といった方がいいでしょう。
言葉が見つからないし、何しろ、自分の身に何が起きたのかも分からなかったのですから...
この事がどういう訳だか、私が"同士にならずにおれぬようになった..."という風に受け取られたようでした。
これ以前にMさん(命御様の実子)とともに、会の後継者に位置付けられていたKさん(命位様の実子)から同士になることの打診を受けていたのですが、命位様の脳裏にはおそらくこの事があったのでしょう。
しかし、私自身も、命位様にもどこかで、"どうかなあー"というものがあったのは確かです。
命位様からは常々言われていました。
「あなたが誰に言われるでなしに、自然に本当にあなた自身が大聖業(おおみわざ...協会に顕れ、その証をしている大調和のハタラキ)のことを受け取り、理解出来るように祈っています」
命位様は、何か教示を与えたり、説き伏せたり、私に手をかけることをしなかったのです。(たった一度を除いて...)
ただ、私の中からある、疼き、催しのようなものが起きてきた時は、俄然態度が一変して、私を力強く、私にもたげてきたものを奮い立たせるように叱咤したりするのでした。
これは私に主体性を持たせようとしていたのです。

私が"おおみわざ"を受け取る時、一切の滞り、障り、迷いは消えていなければならない...
私と"おおみわざ"は一つでなければならない...

命位様は、この私に息づく、我ならぬ我が"おおみわざ"を受け取ることをずっと願っておられたのです。
そして、この事は私自身も望んでいたことであるのは言うまでもありません。
そこに一切の使役的関係、無理強い、有識による目的的なものがないものこそが、協会が証する"自然調和世界"というものでしょう。
私はどうあっても、こうあっても命位様に私の全部を伝えずにおれないものを感じていました。
しかし...私がどうにか以前よりかは、口を開けるようになった時、命位様はこの世に居なかったのです...。(平成8年春の事)
私の中に息づいているものの発見には、命位様との出合いを抜きにしては考えられません。
だからこそ、伝えなければならなかったのです...。
そして、もしその機会がもたれたとしたら、協会について、いな"おおみわざ"について感じたままを言うか、言わされるかしたことでしょう。
この場違いの"しんがり"は、協会にあっては異端だったのかもしれないし、結果的にこの関係は挫折に終わったかもしれません。
だが...今、どう感じているかどうかが肝心なことですi
せめて、このような形で不充分ながらも伝えて行きたいと思っているのです。(真向かいの顔は見えないが...)


コメント (2)
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