私の生活ではずっと音楽鑑賞が欠かせないものなのですが、改めて申しますと、30数年前、中南米音楽に夢中になってから完全に表面(A面)と裏面(B面)とに分かれるようになりました。
私的に表面というのは、巷で主流のロック、ポップス(基本、洋楽ばっかりです)のことで、裏面とはほとんど日の当たらない、この中南米のものを中心としたマニアックなジャンルのことを指します。どちらにしても"巷で何が流行っているか"ということなど度外視で、その時々気に入った音楽を聴いています。
こういう説明はレコードというものが主流だったその頃には、説得力もあったでしょうが、CDに取って代わってからは、ピンと来ないかもです。
表と裏ではどちらが私の思い入れが強いかは、一概に言えませんが、表裏問わず一番好きなアーティストは?と聞かれたならば...私はここ十数年では躊躇せずに"フリオ.デカロ"と答えるでしょう。
と言っても、アルゼンチン.タンゴのファン以外には、全く馴染みが無いでしょうけど...タンゴを知らない人でも、一頃我が国でも"アストル.ピアソラ"が注目されたのはご存じでしょう。私など"あれがタンゴか"と思ってしまったり、又どうしてあれが流行ったのかよく分からないのですが、そのピアソラが影響を受け、そのタンゴのルーツをたどるとぶつかるのがフリオ.デカロという楽団リーダー、作曲家、バイオリン奏者なのです。(30年代に人気があった米国の俳優ジョージ.ラフトにそっくり...知らないか...)
彼の全盛時は、1920年代中頃から30年代初めにかけてで、まさにアルゼンチン.タンゴのそれに当たっております。
そもそも私が中南米音楽にハマったのは、82、83年頃日本人のタンゴ.マニアが続々とその音源を私家盤LPレコードとして復刻して出し始めた(これはその我が国には、ほとんど知られていないことですが、世界的にも快挙と言わねばなりません)ことに関心が向いたのがキッカケだったのですが、何故かそのLP群に単独のデカロの名前はありませんでした。
音源の収集がはかどらなかったのか分かりませんが、こんな訳で実際にその音に接したのは、それらからやや遅れ、アルゼンチン盤に頼ったのですが、その魅力にとりつかれたのも時間がかかりました。
最初はどこがいいのかよく分からなかったのです。何かジグザグとしていて、当時の他の、F.カナロ、R.フィルポ、O.フレセドなどのライヴァルとなった諸楽団に比べ、ストレートな感情表現に乏しい感じがしたものです。(ピアソラがその学統?を継いでいるというのも分かる気もします)
ただ、聴けば、聴くほど良くなってきて、忘れなくなって今日に至っている次第です。
これは、どうもその複雑なアレンジ、多分に意識的に感情が抑えられているところにあるようです。
最初に聴いた印象は"これは、タンゴ界のドビュッシーだ"というものでした。
例えば何か"月の光"へと誘われるような、激情を内に秘めた淡々とした進行...とりわけ印象に残るのは、それまでタンゴ界ではロクな役割しかなかった、大胆なピアノ.ソロ...そして月の照らす夜に、妖しく奏でられるようなリーダー自身によるコルネット.バイオリン(小型トランペットを装着させたバイオリン)のユニークなソロなどに伺われます。
一聴して他楽団に見られない強烈な個性が際立っています。
同時代、米国のジャズでドビュッシーに影響を受けたのは、白人コルネット、ピアノ奏者のビックス.バイダーベックでしたが、感覚には相通ずるものがあるようです。
ジャズがソロとアンサンブルの対位法(ドビュッシーズム?)の確立、大胆なアレンジの導入などによってそうしたように、フリオ.デカロは、それまで場末の単調なダンス音楽に過ぎなかったタンゴを高度なポピュラー音楽にまで発展させたけん引き者だったのです。
彼は「タンゴも又音楽である」という有名な言葉を残していますが、その音源から"歴史に残るような音楽を残そう"という心意気が伝わってきます。
今はYoutubeで、いつでもそれらを聴ける、何とも有り難い時代になりましたが、Julio deCaro sextetoによる25年録音の自作曲"Buen Amigo"は音質は悪いながらも誰が何と言おうと、"デカリスモ"(デカロ風演奏をタンゴの識者はこう呼ぶ)の全てが詰まったような歴史的名演です。
一番知られているのは多分、"El Monito"、"Boedo"辺りでしょうが、私には"Loca Bohemia"、"colombina"(共に28年録音、最後のはヒットしませんでした)が捨てがたいです。
私的に表面というのは、巷で主流のロック、ポップス(基本、洋楽ばっかりです)のことで、裏面とはほとんど日の当たらない、この中南米のものを中心としたマニアックなジャンルのことを指します。どちらにしても"巷で何が流行っているか"ということなど度外視で、その時々気に入った音楽を聴いています。
こういう説明はレコードというものが主流だったその頃には、説得力もあったでしょうが、CDに取って代わってからは、ピンと来ないかもです。
表と裏ではどちらが私の思い入れが強いかは、一概に言えませんが、表裏問わず一番好きなアーティストは?と聞かれたならば...私はここ十数年では躊躇せずに"フリオ.デカロ"と答えるでしょう。
と言っても、アルゼンチン.タンゴのファン以外には、全く馴染みが無いでしょうけど...タンゴを知らない人でも、一頃我が国でも"アストル.ピアソラ"が注目されたのはご存じでしょう。私など"あれがタンゴか"と思ってしまったり、又どうしてあれが流行ったのかよく分からないのですが、そのピアソラが影響を受け、そのタンゴのルーツをたどるとぶつかるのがフリオ.デカロという楽団リーダー、作曲家、バイオリン奏者なのです。(30年代に人気があった米国の俳優ジョージ.ラフトにそっくり...知らないか...)
彼の全盛時は、1920年代中頃から30年代初めにかけてで、まさにアルゼンチン.タンゴのそれに当たっております。
そもそも私が中南米音楽にハマったのは、82、83年頃日本人のタンゴ.マニアが続々とその音源を私家盤LPレコードとして復刻して出し始めた(これはその我が国には、ほとんど知られていないことですが、世界的にも快挙と言わねばなりません)ことに関心が向いたのがキッカケだったのですが、何故かそのLP群に単独のデカロの名前はありませんでした。
音源の収集がはかどらなかったのか分かりませんが、こんな訳で実際にその音に接したのは、それらからやや遅れ、アルゼンチン盤に頼ったのですが、その魅力にとりつかれたのも時間がかかりました。
最初はどこがいいのかよく分からなかったのです。何かジグザグとしていて、当時の他の、F.カナロ、R.フィルポ、O.フレセドなどのライヴァルとなった諸楽団に比べ、ストレートな感情表現に乏しい感じがしたものです。(ピアソラがその学統?を継いでいるというのも分かる気もします)
ただ、聴けば、聴くほど良くなってきて、忘れなくなって今日に至っている次第です。
これは、どうもその複雑なアレンジ、多分に意識的に感情が抑えられているところにあるようです。
最初に聴いた印象は"これは、タンゴ界のドビュッシーだ"というものでした。
例えば何か"月の光"へと誘われるような、激情を内に秘めた淡々とした進行...とりわけ印象に残るのは、それまでタンゴ界ではロクな役割しかなかった、大胆なピアノ.ソロ...そして月の照らす夜に、妖しく奏でられるようなリーダー自身によるコルネット.バイオリン(小型トランペットを装着させたバイオリン)のユニークなソロなどに伺われます。
一聴して他楽団に見られない強烈な個性が際立っています。
同時代、米国のジャズでドビュッシーに影響を受けたのは、白人コルネット、ピアノ奏者のビックス.バイダーベックでしたが、感覚には相通ずるものがあるようです。
ジャズがソロとアンサンブルの対位法(ドビュッシーズム?)の確立、大胆なアレンジの導入などによってそうしたように、フリオ.デカロは、それまで場末の単調なダンス音楽に過ぎなかったタンゴを高度なポピュラー音楽にまで発展させたけん引き者だったのです。
彼は「タンゴも又音楽である」という有名な言葉を残していますが、その音源から"歴史に残るような音楽を残そう"という心意気が伝わってきます。
今はYoutubeで、いつでもそれらを聴ける、何とも有り難い時代になりましたが、Julio deCaro sextetoによる25年録音の自作曲"Buen Amigo"は音質は悪いながらも誰が何と言おうと、"デカリスモ"(デカロ風演奏をタンゴの識者はこう呼ぶ)の全てが詰まったような歴史的名演です。
一番知られているのは多分、"El Monito"、"Boedo"辺りでしょうが、私には"Loca Bohemia"、"colombina"(共に28年録音、最後のはヒットしませんでした)が捨てがたいです。