人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

夢で逢えたら

2017-11-18 11:33:16 | スピリチュアル
このところ、急に朝方が寒くなり、起きるのがシンドくなってきましたが、心地よく目覚めていますか? あなたのお目覚めは如何?
皆さんには、目覚めの瞬間に何故か分からないけど、喩えようもなく心地いいことになっている、という経験はありませんか?
それまで眠りに就いていた訳で自分でどうした、こうしたということはないのです。
時には、自分で考えた訳でもないのに、起きたらあることが閃いたり、気付かされたりすることもあるでしょう。
"おお、そうだったのかi"...考えても何が"そうだったのか"は分かりません。"そうなっていた"ということに気付くというべきか...
私などブログのネタが閃くこともしばしばです。
これが天来の気付きだったりするものなのですi
見ていた夢が明晰で、強烈なインパクトがそこでもたらされていた場合、目覚めてもなおそこで受けたバイブレーションが生々しく心身に持ち越されていることもあるでしょう。
このジンジンとしたもの、恩寵、見えざる導き...すべてこの事と関連があり、そして精神的目覚め、エンライトメントということもこの事の延長にあるものなのです。
"目覚め"とはよく言ったもので、まさしく眠りから覚めるという強烈な実感、又この天来性をよく言い表していると思います。
かように目覚めの瞬間というのは、極めて大事なことですね。
どうしたらそういうことに預かることが出来るのか?...(って、私がそのノウハウなんかをここで書いたりしたことがありまっかi タダで? ま、たまにはいいだろう...といっても知ってる人は知ってるでしょう。それにそれは特別ノウハウなんてもんでもありません)
起きの目覚めが大事な事なら、寝入りも大事な事なのです。
スピ界隈ではよく言われている事みたいですが、寝入りの直前の意識の有り様というものが、夢の世界に持ち越されるということは、私の経験でもあり得ることです。
だったら神様でもグルーでも愛する人でも、自分にとって最愛のものに意識に向け、その愛なるものに包まれながら眠りに就くことです。
全託...全てをゆだねる何て事は到底出来っこないことですね。
いやもう..."全託しましょう"だの"手を離しましょう"だの"思い方、考え方、意識を変えることです"だの、出来もせんことをツベコベと...これは暴力に近いものがあります。
平然と言っている人というのは、まずやって、そうなったことがない人です。だから私はノウハウとかメソッドとか言うのがイヤなのです。やって、そうなったことがないから...
しかーし...寝入りの直前なら全てを愛するものにゆだねることは、何の苦労も努力も無しに出来ることだと思いますよ。
これもしかし、出来る、出来ないという話ではなくて、人は眠りたくなったら眠りに落ちるという、これ以上ない生来の機能に乗っかるということなのです。
眠りに就くということは、無になる、なれるということです。それは死の世界に赴くということでもあるでしょう。
どんなに"表の白い世界"で座禅や瞑想に明け暮れ、諸々の思いから離れて無の境地を目指そうとして、到り得ないことがそこでは苦もなくそうなるのです。
この寝入りと目覚めのある瞬間は誰でも思考のまとわりから解放されているのです。
この瞬間は、考えても分からないことを考え、思考で捉えないことが肝心です。(これが逆説的なコツです)
その瞬間こそは、思いを超えたものに捉えられている、ということなのです。
ただ、そうなっていることに気付いているだけでいいのです。
スバラシイ事は寝ている間に行われているのです。それにゆだねる...
本当に最愛のものとは夢で逢えるのかもしれません。
コメント
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