人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

原初からの意志

2017-12-04 16:29:30 | 求道、探究
"どうやったら悟れるのか?
どうやったら聖霊を受けられるのか?
どうやったら確信を得られるのか?"

祈ったらいいじゃないですか?
え、どうやって祈るのかだって?
もう、どうやってとか、こうやってとか...どうしてこう、やり方にトラワレちゃうんでしょうか?
祈ろうって気持ちがあれば、やり方何てどうでもいいじゃないですかi
それじゃ、こう言おうi

あなたが本当にあなたであるように、神なるものにつなげようと導こうとしているもの以外のものに頼るのをやめたらいいんですi
(喫茶店で机を思わずドンと叩いて言い切ってしまったi)

宗教も信仰もメソッドも要らないのですi
"こうしなければ、こうでなければ"と思い描いているものは、模造みたいなものです。
あなたは、あなたが真に求めているものに導かれるには、そういうものに頼らなければならないと思っているんでしょ?
そういうものに頼って、一生懸命学んで、修行して自分をどんどん高めていけば、いずれそういう境地に至れるとか思っているんでしょ?
それでそれに至る信仰や方法は掴めるかもしれないが、それがトラワレの元になってその道は閉ざされるかも分からないのです。
あなたが掴もうとしているより先にあなたを捉えようと、あなたをどうあっても導こうとせずにおれないものがあるのです。
この事は、もしあなたにどうあっても、こうあってもそのことに導かれざるを得ない、内なる要求が沸き起こっているならば分かるはずです。
それはあなたが求める以前からある、言わば原初からの、大本からの意志なのです。
それはあなたの奥の、表のあなたと一つになろうとしている、あなたの意志でもあるのです。
そして、それは実はあなたが本当に求めているものは、そうした境地といったものでなく、そう導こうとしているもの自体だということも分かるはずです。
そうです。このもの自体が無ければ、信仰や方法が一体なんだというのでしょうi
全部キレイサッパリ白紙にしてみたら、気分爽快i 一陣の風が吹き抜けるように、その自体なるもののハタラキを実感出来るかもしれません。

今の思われた自分に足らないものを補うように、何かを足そうと、加えようと、積み重ねようとするのでなく、そこから離れることから原初にある大本の意志が見えてくるでしょう。
足し算でなく、引き算です。それも常に零が起点になければなりません。
原初からのものは、宗教、誰かの教え、メソッド...すべてを超えているもの...

...というようなことをつい先日、いつもの喫茶店で独りで頭の中で誰かさんと対話しているうち、一瞬でしたが意識がぶわっと飛びそうになり、目の前が真っ暗になり、全身がジンジンしてきて、現臨に捉えられてしまったのでした。

コメント (3)
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