その名を聞かれなくなって随分経った気がします。
一頃そのユニークな風貌、語り口でテレビなどで異能キャラクターぶりを発揮していたものでしたが...
私などはこのヒトが深夜の名物番組「イレブンPM」などに登場すると、別の意味でワクワクと興味が、そしてムラムラと興奮を掻き立てられたものでした。
というのも、そのお色気ものー特にストリップー特集には頻繁にゲスト.コメンテーターとして出ていたからです。(テレビで"かぶりつき"で観ていました)
このヒトがコミサンこと田中小実昌さんです。
知人から教えられて初めて知ったのですが、彼の実父は熱烈なクリスチャンなのでした。
ここに取り上げる本は、著者コミサンのその実父とそのキリスト教との関わりについて書かれたものですが、単純な伝記などではありません。その特異とも言えるその父の求道、集会の在り方が少年期の著者に忘れ難い印象に残っていて、自身の感ずるままに綴られたのでしょう
「アメン父」(講談社文芸文庫 初出は昭和63年)
題名は"父"と"父なる神よ"なるキリスト教の祈りの文句をひっかけたものでしょう。
田中種助。後に「尊聖」に改名。一般には勿論、キリスト教界にもほとんど知られておらず、その説教集をまとめた本もあるらしいですが未読です。
明治の終わりごろ、米国で受洗し、昭和初期に広島の呉市に独立教会を開いたというから、手島先生や小池先生より古いです。
何故、この両先生の名を出したかと言うと、私に馴染みがあるという理由ばかりではありません。
著書からこのヒトは、ホンモノの無教会キリスト者であり、又あの聖霊の上よりの光に預かっていた、日本キリスト教会では知られざる霊の使徒だったことが知られたからです。
ホンモノ...と言っても両先生のような所謂無教会の系譜には居なかったようです。そのイエスとの関わり、集会の在り方そのものがそうだったと言えるでしょう。
一応は新教のバプテスト教会という括りは出来るのでしょうが、特定の教義、権威といったものからは全く自由だったらしいです。
その集会の模様を著者は生々しく伝えています。
「うちの教会では、それまで日曜の集会でもおとなしかった人たちが、雷にでも打たれたように、ギャアとかワアとかわめいて、ぶっ倒れたりする、それが(聖霊)を受けたとか割れたとかいうのだろう...」
こういう描写は、小説家の書く、誇張に満ちた形容だと思ったら大違いですi
私自身も既述しているように目の当たりにしています。"ポロポロ"だって発現するのです。ポロポロとは、この著以前昭和52年に出された短編の題名(中公文庫)ですが、そこでもこの題材を取り上げていて、「マクヤ」集会などでも知られる、熱烈な祈りの過程で噴出する所謂「異言」のことです。
こう書くと、それは"集団的神がかり"かと思われて当然でしょう。
しかし、著者はこう述べています。
「神がかりは父はきらいだった。...あれは神がかりでなく、神がかりをアーメンではねつけていたのだろう」
著者はこの本で宗教は"ココロの問題ではない"と何度も述べています。これはどういうことなのか?
信仰、信念といった何か自分のココロに設え、それをもっと豊かに、もっと確かなものに、もっと強めようとするココロの動きとは違う、ということなのでしょうか?
神がかりというものも"神にかかってもらおう、かかってもらわなければならない"と構えたりするココロの動きがあるのかもわかりません。
神との関わりとは、どこまでもココロ、思いを超えたもの、神はこちらの思いに先だっているもの、ということを言っているのでしょうか?
最後の方の田中牧師自身の言葉。
「十字架という言葉がどういう意義をもっているか、どういう意味をもっているか、どういう訳かというような十字架ではない。...この地上において知るかぎり、神さまの道はここからしかひらけてこないのであります」
これを狂信的と取るか、純粋なイエスとの関わりと取るか...取り方は様々でしょう。いずれにせよ、十字架や贖罪の教理をいくら知識で分かろうとしても、そういうことに出くわさなければ、捉えられなければ分からない消息は伝わってきます。
それにしてもあのエロい、俗っぽいおっちゃんの内面にはこんな世界が息づいていたとは...
信心ぶった、かしこまったクリスチャンばかり見てきたので、ああいう方に傾いて行ったのでしょうか?
今では大きな書店でもコミサンの本は見かけなくなってしまっている状態です。
忘れられてしまうのは惜しい...浅草辺りの馬券売り場の近くを通ると思い出します。
一頃そのユニークな風貌、語り口でテレビなどで異能キャラクターぶりを発揮していたものでしたが...
私などはこのヒトが深夜の名物番組「イレブンPM」などに登場すると、別の意味でワクワクと興味が、そしてムラムラと興奮を掻き立てられたものでした。
というのも、そのお色気ものー特にストリップー特集には頻繁にゲスト.コメンテーターとして出ていたからです。(テレビで"かぶりつき"で観ていました)
このヒトがコミサンこと田中小実昌さんです。
知人から教えられて初めて知ったのですが、彼の実父は熱烈なクリスチャンなのでした。
ここに取り上げる本は、著者コミサンのその実父とそのキリスト教との関わりについて書かれたものですが、単純な伝記などではありません。その特異とも言えるその父の求道、集会の在り方が少年期の著者に忘れ難い印象に残っていて、自身の感ずるままに綴られたのでしょう
「アメン父」(講談社文芸文庫 初出は昭和63年)
題名は"父"と"父なる神よ"なるキリスト教の祈りの文句をひっかけたものでしょう。
田中種助。後に「尊聖」に改名。一般には勿論、キリスト教界にもほとんど知られておらず、その説教集をまとめた本もあるらしいですが未読です。
明治の終わりごろ、米国で受洗し、昭和初期に広島の呉市に独立教会を開いたというから、手島先生や小池先生より古いです。
何故、この両先生の名を出したかと言うと、私に馴染みがあるという理由ばかりではありません。
著書からこのヒトは、ホンモノの無教会キリスト者であり、又あの聖霊の上よりの光に預かっていた、日本キリスト教会では知られざる霊の使徒だったことが知られたからです。
ホンモノ...と言っても両先生のような所謂無教会の系譜には居なかったようです。そのイエスとの関わり、集会の在り方そのものがそうだったと言えるでしょう。
一応は新教のバプテスト教会という括りは出来るのでしょうが、特定の教義、権威といったものからは全く自由だったらしいです。
その集会の模様を著者は生々しく伝えています。
「うちの教会では、それまで日曜の集会でもおとなしかった人たちが、雷にでも打たれたように、ギャアとかワアとかわめいて、ぶっ倒れたりする、それが(聖霊)を受けたとか割れたとかいうのだろう...」
こういう描写は、小説家の書く、誇張に満ちた形容だと思ったら大違いですi
私自身も既述しているように目の当たりにしています。"ポロポロ"だって発現するのです。ポロポロとは、この著以前昭和52年に出された短編の題名(中公文庫)ですが、そこでもこの題材を取り上げていて、「マクヤ」集会などでも知られる、熱烈な祈りの過程で噴出する所謂「異言」のことです。
こう書くと、それは"集団的神がかり"かと思われて当然でしょう。
しかし、著者はこう述べています。
「神がかりは父はきらいだった。...あれは神がかりでなく、神がかりをアーメンではねつけていたのだろう」
著者はこの本で宗教は"ココロの問題ではない"と何度も述べています。これはどういうことなのか?
信仰、信念といった何か自分のココロに設え、それをもっと豊かに、もっと確かなものに、もっと強めようとするココロの動きとは違う、ということなのでしょうか?
神がかりというものも"神にかかってもらおう、かかってもらわなければならない"と構えたりするココロの動きがあるのかもわかりません。
神との関わりとは、どこまでもココロ、思いを超えたもの、神はこちらの思いに先だっているもの、ということを言っているのでしょうか?
最後の方の田中牧師自身の言葉。
「十字架という言葉がどういう意義をもっているか、どういう意味をもっているか、どういう訳かというような十字架ではない。...この地上において知るかぎり、神さまの道はここからしかひらけてこないのであります」
これを狂信的と取るか、純粋なイエスとの関わりと取るか...取り方は様々でしょう。いずれにせよ、十字架や贖罪の教理をいくら知識で分かろうとしても、そういうことに出くわさなければ、捉えられなければ分からない消息は伝わってきます。
それにしてもあのエロい、俗っぽいおっちゃんの内面にはこんな世界が息づいていたとは...
信心ぶった、かしこまったクリスチャンばかり見てきたので、ああいう方に傾いて行ったのでしょうか?
今では大きな書店でもコミサンの本は見かけなくなってしまっている状態です。
忘れられてしまうのは惜しい...浅草辺りの馬券売り場の近くを通ると思い出します。