私の人生の歩みの中で、多分私の中々修正出来ない欠点の表れなのでしょうが、ある宗教的、精神的なグループと関わり、そこで自分に意が満たないもの、違和感、不快感などを感じると、サッサと離れてしまう、ということを性懲りもなく繰り返していたのです。
その関係者からは、私は唐突にそこへやって来ては、唐突に去っていく風に見えたのではないかと思います。(この事から私は"随分と縁というものを粗末にしてきたなあ"と自責の念も交じって感じることしばしばです)
例えば私に所縁の強かった大調和協会、小池先生のキリスト召団などの縁者の中には、"突然あの人は我々の道を棄ててしまった、定住することの無い、浮草のような遍歴者のことだから別の道に走ってしまったのだろう"と思っている人も居ることでしょう。(実際、ある人から"そういうことなんでっしゃろi"と向けられたこともあります)
しかし、私が時折ここで書いていることは、そのグループからは離れているけれど、その道そのものは棄てられることなく、ずっと私の内面に息続けている、ということなのです。(これには多分に人生の教師たちに対する思い入れと、関係のあった人たちへの後ろめたさが横たわっています)
それが私の場合、この道から別の道へと遍歴するように転じていくものでないところが、他からはおそらく奇妙?に写るのかも分かりません。
私自身は、他人がしばしばそう見ていたような"遍歴者"という自覚は持っていないのです。
この事は、そもそも私がそのいくつかの道との縁が生まれた時ー昭和53から54年にかけてーからが奇妙なものだったのです。
ほとんど同時期に出会った、先の小池先生、大調和協会初め紅卍字会...グループとの関わりは無かったですが、兵庫豊岡に発した知られざる"要之神示"、手島先生、マクドナルド.ベイン、ニコライ.ベルジャーエフからも多大な影響を受けました。
この各々は、取っ替え引っ替えでなく、ほとんど私の内面で同時同在していたのです。
そう、今もずっとそうなのですi 最初からどこにも経巡ってなどない風なのです。
何故この短期間のうちに、相次いで、タイプの異なるそうした縁に巡り合わせられたのでしょうか?
一つには色んなところにアンテナを張っている私の目敏さがあったのも確かなことですが、そういうことからして、次に述べるように何ものかから促されている感じが強くあったのです。
私に身に覚えのあるものと言えば、それらに接している時、しばしばあのジンジンとしたバイブレーション、高陽感が心身に浸透していたことです。
そこに各々異なった色合いの思想、信の依るべ、生き方が表されていても、それはあの言葉を超えた息吹きから離れたものでなく、又その中で一連なりのものとなっているように感取されたのです。
そして、そうした状態の時、声なき声、内なる促しのようなものをしばしば感じていたのですが、それは、あたかも"諸々の差異に映るものの中にある一つの命が通っていることを見い出し、味わうこと"を促しているようでした。
"同じ命が感じられるものに、あの道、この教えはどう違うか、とか分離など出来るだろうか? 異なる道、教え、思想があったとして、同じように言葉に表されない共鳴が立ち上がるものをどうしようぞi 魂が惹かれるものにうち任せるしかないのではないかi"
それは又、精神は開かれていなければならない、ということを告げているようでした。
"道を閉ざしてはならない、閉じていては道は開かれない"と...
実際、そこで私が"これしか道は無い"などと決めつけていたら、おそらく数年後私に"人生の裏側"は開かれなかったでしょう。
あのすべてであり、一なる世界を目の当たりにすることもなかったでしょう。
そして、そうなった時、あの見えざる導きというものが、この事につながっていたことを実感したのです。
知らず知らずに全一の道を歩まされていたのです。
そして、今は...そのこの地上的現実への応現に向けられているのですが、そこにはいくつか私の宿縁、宿業と向き合わなければならない、ということも感じているのです..。
その関係者からは、私は唐突にそこへやって来ては、唐突に去っていく風に見えたのではないかと思います。(この事から私は"随分と縁というものを粗末にしてきたなあ"と自責の念も交じって感じることしばしばです)
例えば私に所縁の強かった大調和協会、小池先生のキリスト召団などの縁者の中には、"突然あの人は我々の道を棄ててしまった、定住することの無い、浮草のような遍歴者のことだから別の道に走ってしまったのだろう"と思っている人も居ることでしょう。(実際、ある人から"そういうことなんでっしゃろi"と向けられたこともあります)
しかし、私が時折ここで書いていることは、そのグループからは離れているけれど、その道そのものは棄てられることなく、ずっと私の内面に息続けている、ということなのです。(これには多分に人生の教師たちに対する思い入れと、関係のあった人たちへの後ろめたさが横たわっています)
それが私の場合、この道から別の道へと遍歴するように転じていくものでないところが、他からはおそらく奇妙?に写るのかも分かりません。
私自身は、他人がしばしばそう見ていたような"遍歴者"という自覚は持っていないのです。
この事は、そもそも私がそのいくつかの道との縁が生まれた時ー昭和53から54年にかけてーからが奇妙なものだったのです。
ほとんど同時期に出会った、先の小池先生、大調和協会初め紅卍字会...グループとの関わりは無かったですが、兵庫豊岡に発した知られざる"要之神示"、手島先生、マクドナルド.ベイン、ニコライ.ベルジャーエフからも多大な影響を受けました。
この各々は、取っ替え引っ替えでなく、ほとんど私の内面で同時同在していたのです。
そう、今もずっとそうなのですi 最初からどこにも経巡ってなどない風なのです。
何故この短期間のうちに、相次いで、タイプの異なるそうした縁に巡り合わせられたのでしょうか?
一つには色んなところにアンテナを張っている私の目敏さがあったのも確かなことですが、そういうことからして、次に述べるように何ものかから促されている感じが強くあったのです。
私に身に覚えのあるものと言えば、それらに接している時、しばしばあのジンジンとしたバイブレーション、高陽感が心身に浸透していたことです。
そこに各々異なった色合いの思想、信の依るべ、生き方が表されていても、それはあの言葉を超えた息吹きから離れたものでなく、又その中で一連なりのものとなっているように感取されたのです。
そして、そうした状態の時、声なき声、内なる促しのようなものをしばしば感じていたのですが、それは、あたかも"諸々の差異に映るものの中にある一つの命が通っていることを見い出し、味わうこと"を促しているようでした。
"同じ命が感じられるものに、あの道、この教えはどう違うか、とか分離など出来るだろうか? 異なる道、教え、思想があったとして、同じように言葉に表されない共鳴が立ち上がるものをどうしようぞi 魂が惹かれるものにうち任せるしかないのではないかi"
それは又、精神は開かれていなければならない、ということを告げているようでした。
"道を閉ざしてはならない、閉じていては道は開かれない"と...
実際、そこで私が"これしか道は無い"などと決めつけていたら、おそらく数年後私に"人生の裏側"は開かれなかったでしょう。
あのすべてであり、一なる世界を目の当たりにすることもなかったでしょう。
そして、そうなった時、あの見えざる導きというものが、この事につながっていたことを実感したのです。
知らず知らずに全一の道を歩まされていたのです。
そして、今は...そのこの地上的現実への応現に向けられているのですが、そこにはいくつか私の宿縁、宿業と向き合わなければならない、ということも感じているのです..。