人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

あなたと私の絶対的真理

2018-04-27 17:04:08 | 雑感
"個人というものは居ないんですi
すべては起こることが起きるだけなんですi
自由意志なんて無いんですi
二元世界というものは幻想なんですi
悟りを開くには、7つの階層を通らなければなりませんi
シャカやイエスは6次元、金星のマスターは7次元i..."

もう、ええがなi
いや、もうスピ界隈てーのは、ホントに決めつけた言葉で溢れかえってますねえ...
この人たち、ホントにそういうものを見たんですか?
如何にも"真理はこれっきゃない、ドヤi"みたいな口ぶりですが、ホントにそれは普遍妥当性のあることなんですか?
何か感じたことを言っているのかもしれませんが、ホントに自身ガテンがゆくことなんですか?
私は...例えば"この現実世界は二元であり、相対的になっていて..."なんてことをここでフツーに書いちゃったりしてますが、ホントのところ二元だかどうだか分かりゃしないんですi みんなそう言っているみたいだから、そーゆーことにしているだけなんです。
二元とかなんとか言うのは、一つの観方、感じ方であって、その事実、事相そのものは、何が証明されてようと(それは勝手に証明されてるだけです。証明されたものが真実ってことも勝手にそう決めているだけです)、どうだかわからないハズなのです。ミもフタもない話ですが...
これがもっと"裏側"的な方に突っ込んでくると...も、ホントーに決めつけたようなこと、確定的なことなど何一つありゃしないんです。
見てきたように語ることは不可能だし、証明などなされようが無いんです。
そんな不確定要素ばっかしなのに何でエラそうな物言いになってしまうんでしょうか?
なあーんにも決まったこと、確実なことは無いi...しかーし...
私は確信を持って言えることがありますi
それは私の観方、感じ方がそうである、というよりも確実なもの、疑うことの出来ないもの...御方と合い見えているということなのですi
これはあくまで私が感じたままを言っているだけであって、無論そこに妥当性も無ければ、証明されるものなどありません。
この事を余所にして、人をその気にさせそうな、もっともらしい確言なんてものは、国会の答弁を聞いているよりも信を置くことなど出来ません。
スピに関わる人たちが何で、しょーもない?ことにコダワリ、真理らしきことを伝えよう、狂信的なまでに躍起になっているのか、自分なりに理解出来るところもあります。
多分にそこで絶対的なもの、神的なものが意識に臨み、そこに意識が向けられるからでしょう。それに追従するものもそこに絶対的なものを投影するのでしょう。
この事が、自己の内奥で、その御自体なるものを目の当たりにしている原体験から、他に向けて伝えようとする過程で、二義的なものに堕ちてしまい、内なる神的なものは自分の観方、信念などに取って代えられ、神になったような人間によって、決めつけた言説として表されてしまうのでしょう。
かようにして宗教、スピには狂信がツキモノなのです。神的なもの御自体は、何ら真理らしきものの表明などする訳では無いにも拘わらず...
ただ、その沈黙の教えというものは、この世の如何なるものにも増してインパクトを感じるものです。そこに内なる絶対的なるものに憩うか、外に向けてその実、相対に堕した疑似的な絶対なるものを生み出してしまうかの分かれ目があるのでしょう。
真理というものは、この自体なるものと共にあるものでしょう。
絶対的なものとの出会いとは、あくまでそれに預かる一人一人に絶大な意味があるハズなのです。
それはその他大勢のための真理ではありません。そういう普遍妥当的な真理があると思うことが、大いなる幻影というべきでしょう。
それはどこまでも、成り代わりでない、あなた自身の神から伝えられるものなのです。
これがあなたと私の絶対的真理なのですi






コメント
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