人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

無為人の思い出

2018-04-04 18:24:32 | 回想
私には大学時代が中心でしたが、Oという親友が居ました。
高校時代から顔馴染みで、同じ大学に行った友人の友人だったのですが、確か音楽の話がキッカケだったか、何時しか肝胆相い照らす中になったのです。
ロック、ジャズ...彼の傾向は大体分かりました。「じゃ、こういうのはどうだ?」と、シドニー.ベシエとかジャック.ティーガーデンなどの古いジャズのレコードを聞かせたら、大感激をしていたものです。
しかし、ロック界きっての異能歌手?キャプテン.ビーフハートを聞かせたところ、彼曰く...「ウーム、これぞ、ホントのロックだi」
私は、どこをどう聴いたらそういう感想が出てくるのか、首を傾げざるを得ませんでした。
普段の彼はノホホンとしてて、あまり感情を表に出すことが無く、会話も「ふ~ん、そうか...」といった感じで、実に淡白なものでしたが、根は寂しがり屋のように見受けられました。
実に付き合いが良くて、これは私の無為徒食時代を象徴するような話ですが、例えば新宿から池袋まで「電車に乗るのは、金が勿体ないし、暇だから歩いていこう」と私が言うと、直ぐ「ウン、そう、しよう」となるのです。(他の友人は"バカでねーのi"と、呆れ返っていたものでした)淡白ながらも、暗黙の内に了解し合えるものが感じられたのです。
こうなるのはお互い"無為人"という共通の感性に依るものと思われました。
全く行く目的も無し(取り敢えずの目的地は定めていたが、どこで脱線するか定かでは無かった)にただ、夜通し歩いていたこともあったのです。
歩き疲れたら今でしたら、ファミレスなどが有りますが、昭和50年代当時は深夜喫茶などに入ってました。
思い返すと、こういうオカシナ付き合いを通して、(又単独の時でも)"何にも無くとも、ただ歩いているだけで楽しい"という実感を覚えていたのです。
昭和54年春頃、あの意識が高陽してくるジンジンするものを自覚し初めて...
「やあ...楽しいなあ」「な、何が?」「何がって、楽しいんだからしょうがないi」「だから、何が?」「もう、僕はたまらんi 立っているだけで楽しいことが込み上げて来てしまうよi」「だから何?...」
というような、やり取りもした覚えがあります。
彼とは宗教やスピなどについて深い話はしたことがありません。
それでも、彼は、私がM教団に入信していたことも、離れた経緯も知っており、当時私は特定の団体から自由な立場に居たことも理解していましたが、まあ、特別反感も無ければ共感も無いという風でした。
ただ、私のフツーでないような喜びようには何か感ずるものがあったようで、彼の表情から何となく羨ましそうに感じているのが伺えましたが、自由への希求を強く持っていたのは確かなことでした。
実は彼はかなりの酒好きで、付き合いの上で、その時に度を過ぎる酒量(特に酒乱という訳では無かったですが)が玉に傷だったのです。
その精神的開放を酒に求めていたということでしょう。
私が関西に拠点を移すようになり、この経緯についても唯一彼に話したことがあったと記憶していましたが、どこまで本気にしていたかは定かではありません。
引っ越し当日も彼が来ていて、やはり何時もの淡白な流れで別れたものでしたが、やはりお互い照れ隠しながらも、寂しさを感じていたと思います。
その後一度移った先の私のところに来たこともありましたが、ますます酒量が増え、すぐグデングデンになってしまう始末でした。
結局そのまま、あるところで知り合ったという、年上の女性と共にどこかへ行ったきり、音信不通になってしまったのです。
もっと深い交流も出来たように感じています。
外を彷徨くのに良い季節になって、彼のことが思い出されます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする