ここんとこの東京は、日中は暑さがぶり返して来て暑いです。
クーラーはもう御用済みかと思ってたら、着けずに居られないので、リモコンで入れる...
しかし、入らないi..."何でや?"
クーラーなんてもんは、ONかOFFかどっちかでいいんです。温度調整だの、風向きだの、やや強くだの弱くだの、ややこしいのは要りませんi
"そんだけのもんが何で入らんのやi...アホンダラi"(こういう心が荒れて来る時とか、ケンカ腰の時とか、借金の取り立ての時とか、大阪弁になるのは何故?..多分私の主観でしょうけど)
あかんi、このリモコン使えんわi、もう、ええ...ったく、リモコンほど自動的にならんもんは無いi...で、このクーラーどこぞやに手動のスイッチは無いんかい?...無いi...入れるか、切るかどっちかでええのにい、何ででけへんのやi...ええい、このリモコンめ、クソッタレi"、と壁にぶつける..."あかんi...もう、ほんまにオシャカになってもうたi...ああ、扇風機i、どこに仕舞ったんかいかあ..."
これが、又しても勃発した、私の電化製品ことにリモコンとの"仁義なき戦い"の顛末なのでした。
こういう時はここで、悟ったような、高尚な(?)ことを書いている私の姿はありません。これが現実なんですi
きっと私の中のハイド氏か狼男に心が乗っ取られてしまったのでしょう。本当に我ながら別人に思えます。
"じんじんと、リアルなものが臨んでくる..."一体何のことを言っていたのだろう...どうやったらそうなれるのだろう...そうなるというマニュアルなんてものが無いだけにどうしようもありません。
瞑想をしてみる..."あかんi"、又大阪弁が出てしまう...心が波立っていて、ちっともそういう気が起こってきません。
心持ちを変えてみる..."あかん、あかんi...それが出来たらあのリモコンは無事で済んどるワイ...無駄やっちゅーにi"
かつての私は、こういうところからズルズルと精神が荒れて、沈みだし、容易くガンジガラメ状態になってしまうのでした。
人間の思いほど、思い通りにならないものはありません。
もう、そうなると、祈るしかありません。"祈ってどうなるんや?"
そう、こんな精神状態で祈ったって、何かが開ける感じがしてきません。確か誰かも言っていたけど、意識の有り様ってのが大切なんでしたっけね。
こんなにとっちらかってる意識では、一寸...しかし...
これがウソのように、あの重ーく、纏わりつくような空気に、心地よい涼風が吹き込むような感じになってしまったではありませんかi
これは何を、どう祈るというものじゃなくて、ただ"祈ること"にパッと意識が向いただけです。意識的にONにするようなことです。
あとは、自動的に、あれよ、あれよという間に"空気清浄"が作動するだけです。
心を落ち着かせて瞑想しようという気には中々なれなくても、ウソでも、ダメでも祈ろうという気にはなれるのです。
これには取っ掛かりとしては、一寸した意志的動きが必要なのですが、自動的な感じになったらそれに任すしかありません。
こんなことでそういうことになるなんてことは思ってなどいないのですが、誰かが言っていた、"思いを超えた事態"とか言うのは、そういうことなのかもしれません。
どんな人間でも本当に窮地に立たされた時とかには、ごく自然に祈ることに意識が向かわされるのでは無いでしょうか?
何にも出来ないけど、祈ることは出来るのです。それは本当はあの御方にあってさせられていることなのでしょう。
と言う訳で私が別人のように凶暴になってしまったことなんかは...
"記憶にごさいませんi" (そうはいくかいi)
クーラーはもう御用済みかと思ってたら、着けずに居られないので、リモコンで入れる...
しかし、入らないi..."何でや?"
クーラーなんてもんは、ONかOFFかどっちかでいいんです。温度調整だの、風向きだの、やや強くだの弱くだの、ややこしいのは要りませんi
"そんだけのもんが何で入らんのやi...アホンダラi"(こういう心が荒れて来る時とか、ケンカ腰の時とか、借金の取り立ての時とか、大阪弁になるのは何故?..多分私の主観でしょうけど)
あかんi、このリモコン使えんわi、もう、ええ...ったく、リモコンほど自動的にならんもんは無いi...で、このクーラーどこぞやに手動のスイッチは無いんかい?...無いi...入れるか、切るかどっちかでええのにい、何ででけへんのやi...ええい、このリモコンめ、クソッタレi"、と壁にぶつける..."あかんi...もう、ほんまにオシャカになってもうたi...ああ、扇風機i、どこに仕舞ったんかいかあ..."
これが、又しても勃発した、私の電化製品ことにリモコンとの"仁義なき戦い"の顛末なのでした。
こういう時はここで、悟ったような、高尚な(?)ことを書いている私の姿はありません。これが現実なんですi
きっと私の中のハイド氏か狼男に心が乗っ取られてしまったのでしょう。本当に我ながら別人に思えます。
"じんじんと、リアルなものが臨んでくる..."一体何のことを言っていたのだろう...どうやったらそうなれるのだろう...そうなるというマニュアルなんてものが無いだけにどうしようもありません。
瞑想をしてみる..."あかんi"、又大阪弁が出てしまう...心が波立っていて、ちっともそういう気が起こってきません。
心持ちを変えてみる..."あかん、あかんi...それが出来たらあのリモコンは無事で済んどるワイ...無駄やっちゅーにi"
かつての私は、こういうところからズルズルと精神が荒れて、沈みだし、容易くガンジガラメ状態になってしまうのでした。
人間の思いほど、思い通りにならないものはありません。
もう、そうなると、祈るしかありません。"祈ってどうなるんや?"
そう、こんな精神状態で祈ったって、何かが開ける感じがしてきません。確か誰かも言っていたけど、意識の有り様ってのが大切なんでしたっけね。
こんなにとっちらかってる意識では、一寸...しかし...
これがウソのように、あの重ーく、纏わりつくような空気に、心地よい涼風が吹き込むような感じになってしまったではありませんかi
これは何を、どう祈るというものじゃなくて、ただ"祈ること"にパッと意識が向いただけです。意識的にONにするようなことです。
あとは、自動的に、あれよ、あれよという間に"空気清浄"が作動するだけです。
心を落ち着かせて瞑想しようという気には中々なれなくても、ウソでも、ダメでも祈ろうという気にはなれるのです。
これには取っ掛かりとしては、一寸した意志的動きが必要なのですが、自動的な感じになったらそれに任すしかありません。
こんなことでそういうことになるなんてことは思ってなどいないのですが、誰かが言っていた、"思いを超えた事態"とか言うのは、そういうことなのかもしれません。
どんな人間でも本当に窮地に立たされた時とかには、ごく自然に祈ることに意識が向かわされるのでは無いでしょうか?
何にも出来ないけど、祈ることは出来るのです。それは本当はあの御方にあってさせられていることなのでしょう。
と言う訳で私が別人のように凶暴になってしまったことなんかは...
"記憶にごさいませんi" (そうはいくかいi)