先日、知人が名前は忘れてしまったのですが、ある学者が「自分にとって敵とは、自分の反対論者とか、見識を異にするものなどのことではない、それはすべての思い込みである」という旨の言葉を言っていたことを教えてくれました。
私は本当にその通りだと思います。
それからもう一人の知人を交えてしばし談笑していたのですが、私などは次々と話題が持ち出される度に「何事も思い込まないことが肝心なんだi」、「何が良いか悪いかは簡単には言えないけど...強いて悪いことと言えば、思い込みだi」とオチをつけていたくらいでした。
思い込みによって毎日誰かが殺され、自殺し、どっかで小は隣近とのイザコザ、大は国家間の戦争と、あらゆる争いごとが起きていると言っても過言ではありません。
もし、サタンというものが実在するとするというのなら、それは凝り固まった思念と言ってもいいのではないでしょうか?
これは私は宗教、スピ界隈の随所で幾度となく目の当たりにしています。
神、霊なるものが語られるところに、決まってサタン的なものが語られ、又その暗躍?の様も観察することが出来ます。
そうした場にこそ、典型的なその有り様を知ることが出来るでしょう。
神、霊なるものは命である。命が通らないところにはそれらが生きていないということです。
こういう当たり前のことが無自覚のまま、何と精神世界では不毛な神、信仰についての言挙げが繰り返されてきたことでしょうかi
命あるもの、生成しているものは捉えることが出来ない...これを我が思いによって掴もうとする、取り込もうとする、確固たるものにしようとする...しかし、この過程でその生命はその手から離れていくか、蒸発してしまうでしょう。
信仰、信念...揺るがない心...こういうところにサタンの巣窟が形成されるのではないか?
人間の心ほど始終揺らいでるものなど無いじゃありませんかi 心が揺らがない、不動なんじゃなくて、心が命あるものにつながれ、包まれることによって、あっちこっちさ迷わなくなるということではありませんか?
掴むんじゃない、捉えられることでそうなるのですi
だから...掴んじゃいけないんですi、イケマセンi、そうしたらサタンに魅いられちゃうんですi、
"地獄に堕ちるぞi、バカめi、サタン憑き、お前は救われない!"
...と、こういう風に知らず知らずに、自分も地獄行きコースをたどり勝ちになるのが世の常でして...思念が凝り固まると自分のことが見えなくなってしまうものですね。これが争いが争うを呼ぶ要因な訳です。
あの御方から離れるところからそうなります。これはしかし、分かっちゃいるけど、やめられないことではありますね。分かってたら、この世はとっくに地上天国ですよ。"オレは違うi"なんてヤツが居たら、人間ヤメてもらうしかありませんi
そう考えたら、この世は神の国なんかじゃなくて、サタンの国と思った方がいいようです。実際どこもかしこも、中も外もサタン的な思い込みで溢れているでしょ...
それを自分の思いでその思い込みをどうにかしようとする..."そう出来ると思っている"...それが根本的な思い込みと言えるのではないでしょうか?
それに輪をかけて"自分は正しい"という思い込みが、悪い(と思い込んでいる)"仮想サタン"の他者共々に地獄の様相へと引き込んで行くのです。
とにかく、自分は正しかろうが、悪かろうが、そういう自分を自覚出来るか、どうかが大きいことです。"何、出来ない?"
いいや、それを知ってるってことが自覚ってことなんじゃ?
それと思い込みの密閉空間を作らないで、隙間、通気孔を開けておくことです。出来ない?
便利屋(万能?)業者を呼ぶべしi
あの御方は秒速で駆けつけてくれますよi
私は本当にその通りだと思います。
それからもう一人の知人を交えてしばし談笑していたのですが、私などは次々と話題が持ち出される度に「何事も思い込まないことが肝心なんだi」、「何が良いか悪いかは簡単には言えないけど...強いて悪いことと言えば、思い込みだi」とオチをつけていたくらいでした。
思い込みによって毎日誰かが殺され、自殺し、どっかで小は隣近とのイザコザ、大は国家間の戦争と、あらゆる争いごとが起きていると言っても過言ではありません。
もし、サタンというものが実在するとするというのなら、それは凝り固まった思念と言ってもいいのではないでしょうか?
これは私は宗教、スピ界隈の随所で幾度となく目の当たりにしています。
神、霊なるものが語られるところに、決まってサタン的なものが語られ、又その暗躍?の様も観察することが出来ます。
そうした場にこそ、典型的なその有り様を知ることが出来るでしょう。
神、霊なるものは命である。命が通らないところにはそれらが生きていないということです。
こういう当たり前のことが無自覚のまま、何と精神世界では不毛な神、信仰についての言挙げが繰り返されてきたことでしょうかi
命あるもの、生成しているものは捉えることが出来ない...これを我が思いによって掴もうとする、取り込もうとする、確固たるものにしようとする...しかし、この過程でその生命はその手から離れていくか、蒸発してしまうでしょう。
信仰、信念...揺るがない心...こういうところにサタンの巣窟が形成されるのではないか?
人間の心ほど始終揺らいでるものなど無いじゃありませんかi 心が揺らがない、不動なんじゃなくて、心が命あるものにつながれ、包まれることによって、あっちこっちさ迷わなくなるということではありませんか?
掴むんじゃない、捉えられることでそうなるのですi
だから...掴んじゃいけないんですi、イケマセンi、そうしたらサタンに魅いられちゃうんですi、
"地獄に堕ちるぞi、バカめi、サタン憑き、お前は救われない!"
...と、こういう風に知らず知らずに、自分も地獄行きコースをたどり勝ちになるのが世の常でして...思念が凝り固まると自分のことが見えなくなってしまうものですね。これが争いが争うを呼ぶ要因な訳です。
あの御方から離れるところからそうなります。これはしかし、分かっちゃいるけど、やめられないことではありますね。分かってたら、この世はとっくに地上天国ですよ。"オレは違うi"なんてヤツが居たら、人間ヤメてもらうしかありませんi
そう考えたら、この世は神の国なんかじゃなくて、サタンの国と思った方がいいようです。実際どこもかしこも、中も外もサタン的な思い込みで溢れているでしょ...
それを自分の思いでその思い込みをどうにかしようとする..."そう出来ると思っている"...それが根本的な思い込みと言えるのではないでしょうか?
それに輪をかけて"自分は正しい"という思い込みが、悪い(と思い込んでいる)"仮想サタン"の他者共々に地獄の様相へと引き込んで行くのです。
とにかく、自分は正しかろうが、悪かろうが、そういう自分を自覚出来るか、どうかが大きいことです。"何、出来ない?"
いいや、それを知ってるってことが自覚ってことなんじゃ?
それと思い込みの密閉空間を作らないで、隙間、通気孔を開けておくことです。出来ない?
便利屋(万能?)業者を呼ぶべしi
あの御方は秒速で駆けつけてくれますよi