人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

無為に過ごしていて悪いか?

2019-10-17 11:54:32 | 意識、照明
"考えてちゃあ、ダメだi、行うことが大事なんだi"
"人生では、何を為(成)したか、ということが問われるんだi"

"僕には何も出来ない、為し得ない...何てダメな人間なんだろう..."って、内向的な人間である私はかつて思い、悩んだことがあります。
とにかく、世の中の神サマは、"行動しなければいけない"ような気がしてくることに駆り立ててくるんです。
"で、何をするの?"って、考えてるからダメなんだ、と来るから、じゃあ寝てるか、座ってるか、立ってるかしよう、というと、又そうやって"無為"に過ごしてるじゃないか、ってもう、イイカゲンに...だからイイカゲンなことをやってるしか無いんだ、人生は...
このように、この現実世界は有為なことに"思いが向けられている"のです。それは物理的、現象的なことに即応した行動と結びつけられている訳です。
だけど何も考えないで行動してたら、自動車に轢かれますよi...思考と行動というのは別々のことじゃありません。皆そう"思っている"訳でしょ?
世の中体育会系の人間だけで成り立ってる訳じゃなく、内向的な人間が肩身の狭い思いをさせられる必要は無いのです。
そして、見える現実がすべてだと思っている人間は、思考と行動がすべてだと思っているようです。
つまり、そのもっと根底的な部分の純粋意識的な領域のことは、"意識されてない"のです。
ことに当ブログの主要なテーマである、思いを超えた、神的なものに意識を向ける、というか意識的になる、ということは...これはもう"私が考えている以上に"、根本的、革命的、途方もないことだと思いますよi そういうことを日夜書かされているのですi
人間が思考し、行動するのは、歪んだ人間でなければ、今よりもより良い在り方、つまりは幸福に与らんがためにしている訳でしょう。生きるというのは、そういうことでしょう。
だけど、考えなくても、行動しなくても、そういうものに与っちゃったら、何をどうしたらいいんでしょうか?
もっと考え、もっと行動しなければなりませんか? あのねえ...そうしたら幸福を取り逃がしてしまいますよ、取り損ないますよ。これは取ろうとする前に与っちゃった、ということなのです。
このことは、神的なものに捉えられたことが無い人には絶対に理解出来ないことです。何かやらないと幸福になれないと思い込んでいる人には...
無為的なハタラキが臨んだら、何も考える、やる必要が無いのですi そのままでいい...寝てても、立ってても...無為に過ごしていて悪いか?
表側だけの人生では無為ということが如何に軽んじられていることでしょう。
又、有為的、人為的な思考、行動によって、幸福になれるかどうかは分かりません。意に反してスコタンを食って、今より悪くなることだってあります。
しかし、神的なものにあって、幸福でないことなどあり得ません。これは置かれた境遇など、外側の現象的な幸、不幸に左右されない、内なる、本来的な幸福のことです。
そして、何かをやることで幸福になることも勿論あるでしょうが、その根底には、こういうベースがあるものなのです。

人生には裏があるから表がある...と、いつも当たり前のように書いているけど、こりゃホンマ途方もないことですi
相も変わらず何の役にも立たない私が、そういうこと書かされているんですから...
コメント
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