人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

宗教とそうでないもの

2021-03-04 11:47:30 | 宗教
先日、街頭で本を無料で配布している女性二人連れに会いました。
"何の本かなあ?...何かの宗教の布教かなあ?"と思いつつ、本を取って見てみると、中々面白そうなことが書いてありそう...しかし...

"気をつけろi、瞬く間にマインド.ウイルスに感染するぞi...ディスタンスを守って、自らの主なるものにステイせよi"

今までの経験上、こういうのは大体が宗教的なものが絡んでいるんです。で、訊いてみました...。
「これは宗教ですか?」すると、おネエちゃんの一人...「いいえ、宗教は神を信じるけど、神なんて居ないんですi 皆自分で自分の運命を、人生を切り開くのですi」とのこと...
"にゃにおうi"...こうして、機せずして私がここで書いているようなことを力説する羽目になってしまったのですi(内心はそれを望んでいたんじゃないのか?)
「神は居ないって、どうして決めつけられるのですか? そりゃ、私も居るのか、居ないのか分からないけど、自分は自分だけで生きていないのは確かだし、誰も自分で生まれようとして生まれて来てないでしょ? その自分を超えた何にかを神に見立ててもいいと思うんですけど...」これについておネエちゃん「実は自分で望んで生まれて来ているんですよ~」と、言うので「僕はそんなこと覚えてません。あなたは覚えているのですか?、知ってて生まれたんですか?...いいや、誰かが言っていることを信じているだけじゃあないのか?(ここが大事なポイント!)」
つまるところ、神を信じているか、宗教でないか、どうかということはどうでもいいことだと思うのです。
最大の新宗教、S学会だって、神を信じちゃいないですよ。強固な共産主義や今でしたら米国のトランプ.カルトなどもそうです。
だけど、特定の思想、信条を掲げ、それを押し広げようとし、他者を精神的に操作し、引き入れようとする、私が"集団的思念"と呼んでいるものがその集団を支配しているような構造...これを宗教と呼ぼうが、何とか会と呼ぼうが一緒じゃありませんか?
私は、この人たちがやっているグループがそうだと決めつけるつもりなどありませんが、多くの人々が宗教にまつわることで、ウサンクサさを感じているのは、すべてここから来ている、と言っても過言ではないでしょう。
そうと知ってか、"安心して下さい、これは宗教じゃありませんよ~"、という手来が実に多いのです。これだったら、"うちの研究会は、宗教、神をもっと哲学的に深めて行こうとしているんです"、と宗教を表に出してやってる方が安心出来ようというものです。
で、先の話の続きで、その某会では、魂を存在させてくれる生命体のことを"真性"と呼んでいるのです。(体というものがあるのかどうかは分からないが)これ正しく私が神的なもの、神に見立てているもの、そのものと言ってもいいものじゃありませんか?
真性でも神性でもいいじゃないか!(心の奥で共感出来るものがあるかどうかが肝心なのですi)
要するに、自分以外の何かを信じない(これはある面で私も共感出来るが、このこと自体が一つの信仰にスリ代わることもあり得る)生き方にせよ、自分を超えたものに依拠する生き方、神を信じるも信じないも、人それぞれの観方、感じ方次第だということでしょう。(そう言ったら、先のお二方から拍手が...)
一人一人が真性(神性)に目覚めねばなりません。それにはどっかの団体に属さなきゃならない必要もないし、誰かが言っていることを信じる必要もありません。
あなた自身を、あなたの主なるものを集団的思念で覆い隠し、それにおもねってはなりません。あなた自身の真実は、あなた自身からしか開かれないでしょう。

ああ、こういうことをキレイなおネエちゃんと二人きりで話していたい(あの二人がそうじゃないと言ってる訳じゃないですよi)...本当の気付きは教会やセミナー室でなく、レストランか喫茶店で生まれるのではないでしょうか?
と、いうことを考えながら、昼メシを食べ、それから無料配布していた二冊の本のもう一冊をせしめようとその場所へ行ってみたが、もう居ませんでした...。
コメント (2)
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