人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

受け入れること

2021-03-12 10:31:09 | 求道、探究
毎度のことながら、私が書いているものは、何かの法則であるとか、"こうすれば必ずこうなる"、という決まりごとみたいなことには触れていないのです。
これには私の信仰ややり方(そういうものは無いのですが)を読者に押し付けるつもりはない、ということも含んでいるのです。
私自身のために書いているという側面が強いのです。それで何かしら共感するところがあればな、と思っている次第なのです。
ただ、今日書くことは生きる上で一寸したヒントになるかも...という内容なのです。

で...."受け入れること"...前回、受け入れることは、意識的になることにつながる...すると思いの隙間が出来、思いの波が切れる、というようなことを書いたのですが、これは実に昨日その通りのことになったのでした。これまでにも何度も...
テキトーでも何でも書いてみるべきなんだな、って改めて思いました。
受け入れるってことは簡単なことなのか、難しいことなのか、簡単には言えませんが、私はこのちっぽけな自分だけからは、出来そうにないものを感じています。
といって、ポカーンと何もしなくても勝手にそうなるという訳にはいかないでしょう。何ごとでもそうですが、取っ掛かりとしては、"受け入れよう"という意志も必要なのは言うまでもありません。
言葉を整理しますと、これは人為的意志想念のことを言っているのであって、いつも言っている思考を超えた意識のことではありませんよ。
ただ、そういう意志は、思考を超えた意識の世界を引き込むことがあるのです。もっと言えば、その意志にはその世界からの後押しみたいなものが感じられるのです。
思われた自分は、中々現実を受け入れられないものでしょう。
例えば、仕事でイヤなヤツと組まなければならない時...そうでない場合は、口を訊かないとか、なるべくヤツと接しないように図るのじゃないですか? それは現実逃避につながるものですが...
ここで付け加えておきたいことは、受け入れるということは、イヤなものを無理に、現実を直視するということじゃありません。"イヤなものは、イヤなんだ"も受け入れてみる...これだけで"ヤツを遠ざけようとする"ことでいっぱいの思いの波が切れる感じになりますよ。
しかし、置かれた状況(現実)は変わって行くのです。そして、ついにイヤでもヤツと組まなきゃならないハメに...
して、この現実を受け入れてみると...ツカツカとヤツがこっちに向かってきたぞお...そして"いやあ、君、よろしくなi"だって...ヤツって案外いいヤツなんだなあi
...ってこと誰しも経験したことあるんじゃないですか?
このように、受け入れることは、思いの壁を突破する口となり得るものです。この場合は状況ですが、そこには自分の意志以外の他動的要素も関わっているのではないか?
とまあ、どこにでもある日常生活の例を挙げているのですが...
"受け入れる~思考を超えた意識の次元が開かれる"...このことには人生、いや、思われたものでないすべての私、すべての人生に関わることとつながっていることは、ずっとこのブログを読まれている方には感じて頂けるでしょう...?
コメント
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