人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

春の珍事

2021-03-22 11:44:26 | 意識、照明
ここのところ、例の耳鳴りが激しくて、昨日の春の嵐のような豪雨、強風の中でも消されないほどなのでした。
桜の季節というのは、私には昔から心身共に変化が起きやすいということもあるのかもしれませんが、数年前にも、又数日前にも突如、"私は居ない"という感じに、なろうとしてそうなった訳でなく、そうなりました。
これは忘れた頃にやって来るのです。
これをノンデュアリティの境地というのかどうかは分かりませんが、思考も感情も抜け落ちてしまい、そうですね、"ただ、ことが起こっているだけ..."という感じになります。
喜びとか苦しみという感覚も無くなってしまうのです。ですから映画やドラマを観る気も、音楽を聴く気も起きて来ないですよ。
なった人にしか分からないでしょうけど...こんなん、面白い、楽しいと思いますか?
これがエンライトメント、光が全心身を差し込む感じなのか?...違いますよi 、私の感じでは...
私はこんな意識状態など望んじゃいないのです。悟りだか何だか知りませんが、これを目指そう、与ろうっていう人の気が知れませんi きっとそういう人はなったことが無いんでしょう?
余程の苦難を背負い込んでいるような人なら、あるいはそこから救われるかもしれませんが、あの愛、平安にも与れることも無いなんて...
私には、これが別の種類の苦境にも思えてきます。ちっとも苦しかないが...
しかし、自分からは中々そこから脱することが出来ません。思いを変えようとしても、思いが働かないし...
でも、それも長くは続きません。今までの経験では...ずっと続いていたら永眠かネハンでしょう?
こういう状態でも意識の動きというのは感じられるのです。
意識が向けられる、開かれる感じになってくる...
そして、いつの間にかどんよりとした雲が晴れて光が差し込むようにも、虚無的なものに包まれた意識に、ハートの鼓動、生命の律動がよみがえってくる...私の現実在らしめるものが臨んでくる..."私は在る"
ここに得られたり、失ったりすることの無い至福がある...ドラマを観なくても随喜の涙がこぼれそう...

この二通りの意識状態というのは、全く隣り合わせのものです。
虚無的な感じのものはそう滅多にあるものじゃない(望んじゃいないのだから)ですが、これと現臨(望、臨んでいる?)に導かれるプロセスというのは、一連の意識の動きと言ってもいいでしょう。
何か生と死というものがその中に凝縮されているようにも感じられます。
そして、私の目はまだ黒い!...
当たり前のことながら、今は生に与っているのだから、幸福を望むのが自然なことなのです。
生に与っているから、幸福に与っている...
春の珍事っていいますが、春に限ったことじゃないですが、久しぶりの珍事に会い、こういうことを改めて感じさせられたのでした。
コメント
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