人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

現臨と波動

2022-11-08 09:31:50 | 現臨、ハタラキ
スピ界隈などではよく波動ということが言われます。
”宇宙の...”とか”高次元の...”とか色々盛られていて、胡散臭く感じてる人も多いことでしょう。
私などは、ああいう超次元的なものに観念して、思いが馳せさせられるものは余計だと思うのですが...
何とかエネルギー、中国的に”気”と言ってもいいだろうし、波動という表現に囚われる必要はありませんが、それは観念でなく、具体的に体感出来るものを言うのでしょう。
あらゆる伝統的宗教では、こうした具体的な作用、ハタラキを伝えないものは皆無と言ってもよく、これを欠いたら宗教は観念信仰になるか、形骸化するだけでしょう。
逆に言えば、今の多くの宗教の現状を見るに、それが失われてしまったことを物語っているのでしょう。
私がここで”現臨”と呼びだしたのは、ブログを始めてからのことで、それまではこの生きたハタラキ、波動という風に捉えていたのです。
これの無いところに現臨というものはけっしてありません!...それは、現実に臨むものなのだから...
切り離されないもの...いやそのものと言ってもいいのですが...微妙に全く同じとも言い切れないものを感じています。あくまで多分に語感から受けるのであろう、私の感じを言っているのですが...
波動とかバイブレーション、何とかエネルギーとかいうのは、主に科学、ことに力学的なものとして語られるものです。それが如何にも他人行儀な感じを受けてしまうのです。
波動を受ける...ジンジンと伝わってくる(これを何回も表現していますが、この感じを表しているのです)、巡る、全身に広がる...それが意識にも浸透し始める...
そうなると、もう私が居て、それを受けて...という”段構え”のようなものが無くなり、パッと即応したものになります。
毎度言うように、そこには愛、安らぎがありますが、そういうものは力学的なものからはあまり伝わらないですね。
それは又、私の内奥を開き、私自身と全く分かち難い、近しきものとなってしまう...つまり、実存的なものになるということです。
現臨という表現は、そのようにより包括的なものであり、その私と真向かいに現存するもの、私の実存となるもののことを言い表したものなのです。
私は、どうもここでこうして書いているうちに、知らず知らずにそのように導かれたようなのです。

コメント
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