人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

祈るしかない...

2022-11-12 09:38:47 | 祈りと瞑想
”おやっ、聞こえない!、耳鳴りが!...
な、無いぞ!...あのパッと開かれる感じ...
何?、何かに見られている感じ?...何だ、そりゃ?
超越的なものと実存的なものは切り離されない!、ったって、今の私にゃ、そんな
難しい話は分かりゃせぬ!”...

昨夜、目が覚めたらすっかり消えてしまってるではありませんか!
あの耳鳴りと、それに伴う現臨感が!
ちょうど三年前、突如そうなったのは、肺炎のような病に患かり、体調の悪化という要因が考えられたのですが、今回は特にそういうことも無いのに...
十年以上前に、何かのチャクラに意識を集中するという、人為的な意志想念を使う瞑想をした時もそういうことがありましたが、それ以来かもしれません。
この時は、余計な人為的な方法に依拠したことにより、無為的な機能が絶たれてしまったように感じたものでした。
今回は?...洩らしてはいけない秘伝をうっかり公開してしまったものだから、見えざる導師の逆鱗に触れたから?
そんなあ!、“つ、ついに日の目が!“...なんてーのは例によって?ただのハッタリのつもりだったのです!、ホントーの秘伝なら絶対に公開などしてませんて!...どうやって与ったのか分からないのだから伝えようが無いんですから!...

そ、それにしても、ああいうものにずっと与っている人間が居たとは!...信じられない!、別世界の人間だ!、何かの寵児だ!...
修行なんてほとんどやったこと無い?...そりゃ、そうだ、パッと思いを超えたものにつながっちゃうんだから...
現臨、照明...そういうものがあるのが当たり前のように言ってるが...“私は至ってフツーの人間なんです!“、なんて実に白々しいではないか!
フツーの人間てーのは...“うわおっ!“...私のことだった!
つい、昨夜眠りにつくまで、ああいうのは、人間の本来性から来るのだから、自然にそうなるだけなんだ、なんて感じていたけど...んなもん、なりゃーせん!
今の私に自然に感じられるものは、天のご意志によるもの、恩寵というものです。
“ヤツは、どうしようもないダメ人間だからこそ、与えられるんだ、やっぱり寵児だ!、恩寵無しには生きて行けない人間なんだ!“
本当の秘伝?...それっぽいことをこれまでも書いてきましたが、今の私に即して言えば、祈るしかありません。
何かが失われたように感じると、どうしても当たり前のように与っていた時のことを思い描いたり、念じたりしてしまうようです。
“ウン、ウン“、唸ってたって、与れないものはしょうがないのです。
モノ欲し心でなく、神的なものに思いを向け、開き、ゆだねることから始まるのです。
“御心のままに“、“かむながらたまちはえませ“

いつだってあると思うな神の恩
ひたむきに祈る端に受く神の恩
コメント
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