人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

お盆と終戦記念に思う

2020-08-15 09:46:38 | 意識、照明
改めて思うのですが、お盆と終戦記念日というのは重なっているのですね。
これは偶然なのか、どうか分かりませんが、75年前の日本は、"お盆にはふるさとでゆったりと..."、何てどころじゃなかったでしょう。
ギリギリまで追い詰められ、この日に決断せざるを得なかったのだろうと拝察されます。
ともあれ、毎年巡ってくるこの時期、日本人なら誰しも自ずと、平和についてか、自分の平安についてなどに思わされるものがあるのではないでしょうか? 色々考えるのでしょうか?
私は...あまり考えられません。ことに今年は暑いし...
けど、いつもこの時期が近づくと、自ずと(これがミソなんだi)...じーじーとセミの鳴き声か、耳鳴りか、じんじんと意識がパッとなることが多いのです。
これを私はよく"意識的になっている"とか言うんですが、世間ではこういう状態のことを言い表す言葉は無いのです。
通常"考える"という、能動的に思考を働かせるという訳じゃなく、もっと思考を超えたものに頭をゆだねているという感じです。
こういう感じ、自ずと思わされ、考えさせられている人でしたら分かるのではないでしょうか?(私だけヘンなのかなあ...)
どう言っていいか分からないので、"思わされ、考えさせられる"、といった言葉で、私はこういう有り様のことも含めて言ったりするのです。
実際は、アレコレ考え巡らしたりする訳じゃありません。"内省"とか"沈思黙考"と言った方がいいのでしょうか?
とにかく、自分の頭を超えたものに意識が向けられることなのです。それについて考えたって分からないですよ。
それは思考の源というか、根源的知性というか...意識がこのものにある時、我々の通常の思考回路は休まっており、そこから英気、叡知みたいなものが与えられるのです。
あたかも、故郷にあってしばし安息に憩っていたり、日常の終わりなき戦いにピリオドが打たれるように...
こういうことを意識せずにさせられているのが、この時節なのではないでしょうか?
毎年という訳じゃないですが、この8月中旬を境にして、何かそれまでの見たまま、思われたままの感じが変わったように感じられることが何度かありました。
そして、私の人生で忘れることの出来ない、ある"変容"に二度出会わされたのはいずれも8月下旬のことで、それのみならずどうもこの時節というのは、あの世というか、思いを超えた世界とこの現世が接近してくるように感じられるのです。(幽霊ばかりじゃない、聖霊が降りて来るかもしれない)
ご存じのように、今年はいつもと同じ様態でこの時節を送ることが出来ません。それだけにより内省的なものになり易いのではないでしょうか?
何せ、暑い...
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