人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

天の思し召し

2017-01-19 14:08:59 | 回想
何度も書いているように私にジンジン、とある内的感覚が顕れるようになったのは昭和54年の春頃で、それから約一年半くらい続いていたのです。
この間のことは実に鮮明に思い起こすことが出来ます。
特にその感応度?の高そうな書物と巡り合って、パラパラと頁をめくるなり昂揚感で頭がボーッとしてしまったことなど、昨日のように思い出すことが出来ます。
これはただ頭の記憶というもの以外に、その内的感覚で覚えているのです。これを”身に覚える”と言っているのです。
記憶というと頭の記憶のことばかりと思われがちですが、実際は視覚(景色など)や聴覚(音楽など〉、嗅覚(どっかでこれが最も強い記憶作用を持っている、と言っていた気がしますが、その通りだと思います。)を借りていたリするのですね。
でも、そのどれでも無い、単なる肉体でも精神でも、霊感的?でもない(要するに適当な言葉が無いということ)この感覚程現在に直結して覚えられるものはありません。そうです、それは”現実に臨む”ものなのですから!
それでは、昭和55年夏、その感覚が消えてしまってから以降のことは…
ウ~ン…これがよく思い出せません!
その夏の東京は季節外れの低温続きで、どんよりとした曇り空が何日も続いていたのは覚えています。青年期特有の煩悩がまるでその天候のように精神を覆うようになり、いつの間にかその感覚は灰色の空に消えて行ってしまったのです。
今でこそ、ずっと私の内部で恒常的に息づいているように感ぜられるそれが、本当にパッタリと消えてしまったのです。
生き生きと思い出せないという事は、取りも直さず生き生きとした生き方をしていなかった、という事でしょう…
その一年半ばかしの間、”私は何かに守られている”と感じていたものでしたが、忽然と”見放されてしまった”ようになり、高性能霊的感応探知機?も使えなくなってしまいました。
それからというもの何か自分の人生も見ている世界も急に色褪せてきたようでした。
加えて、昭和56年冬、就職のため関西に拠点を移すことになるのですが、不慣れな環境、初めての社会人生活(信じられないような、笑うべき世間知らずでした)などが暫く日々を重々しいものにしていました。
そもそもどうしてその感覚がある時(それは祈りと静坐に負っているらしい)芽生え、また消失したように感じてしまうのでしょうか?
これはおそらく、私の守護霊、ガイダンスと思しき存在(見えざる導師)からのギフト(賜物、与えられるもの)だと意識づけられていたからだと思います。
修行らしきことは僅かに中国道院に伝わる静坐を少ししていた程度でしたが、修行して獲得したものとは全く意識していなかったのです。
これは、私の意識が遠のいていくという、精神的苦境から救われた、という経緯からもそのように感じられたのでしょう。
こういう事からも意識の在り方というものが実に大きいものがある、という事が知られます。
そして、私が人生の裏側を垣間見たのは、昭和58年のことでしたが、この前後の記憶というものもあまり鮮明でありません。あの感覚は依然として眠ったままでしたので。
何故、突然ああいう事が起きたのかもよく分かりません。
ただその強烈な体験が唐突にやって来て、唐突に去って行ったように感じたのはよく分かる気がします。それもギフトと思っていたからでしょう。
そして、その失せてしまったものを追いかけようとしたことも有りましたが、一方(より自分の深部)では…”これはギフトなのだからいくらこちらが望んでも、天の思し召しに適わなかったらしょうがない…”という思いもあったのです。
”お前が獲得したりするものでも、お前の持ち物でもないんだよ!”という促しと共に…私はつくづく思います。こういうものが導きというものなんだ、と…
それから十数年後、この事がホントに腑に落ちてから、恒常的に息づいているものを身に覚えるようになったのです。














コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中間的なもの | トップ | 神、導師、真我 »

コメントを投稿

回想」カテゴリの最新記事