人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

実存

2021-12-08 10:08:57 | 哲学・思想
実存。...
私はここで"実存とは何ぞや?"と、哲学的、抽象的に語る気など毛頭ない。
そうすることで、私の実存から切り離されてしまうだけだろうから...
実存について、私について考える...何についてだろうか?
そう考えている私はここにいるi
実存は、この私と離れてはあり得ない...
実存とは、考えている私のことだろうか?...私は思考なのか?、感情?、肉体?、それともあるかどうか分からない霊体?
私の実存は、何ものにも分割することが出来ないi
ただ"私は在る"という感覚がある。
実存は、この実存感覚と共にある、ということは言えようか?
この状態は、真我である状態なのだろうか?
真我、自我、偽我、神に等しき我...我は一体いくつ分割されるのだろうか?
真我とは、今の私がより高きに進んだ状態なのだろうか?
この私の実存から離れて一体どこへ進んでゆくというのだろうか?
それとも、ここから離れて堕落する自分が居るのだろうか?
どんな自分だろうと..."私はここに在る"
あの世、(人が信じている)神、何かの霊的実在、何かの陰謀...
これらと実存と何の関わりがあるだろうか?
実存から離れて思いは、あちらこちらに馳せ回る...だんだん実存から遠退いて行く...
これは実存からの堕落と言えようか?
実存とは私以外の何ものも存在しないということだろうか?...唯我、独我...
神も、如何なる超越的なものも、最愛の人も...
しかし、もし、"それら"が私の実存に飛び込んで来たとしたら...
それらも私の実存になってしまうのではなかろうか?
逆に"私のみがここにある"と、固執される時、その私は実存から追いやられてしまうのではなかろうか?
私だけの私は非実存に閉じ込められる...そこから超えせしめるもの無くしては...
だから、私を超えたものと実存は切り離すことが出来ないi
実存は何ものにも、自他にも分割することが出来ないi
この意味で"私の実存しかない"のかもしれない...
私はどうしたって、ここから離れることなど出来ないi
そこに愛、平安があるから...
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