人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

それでも地球は回る

2014-12-22 20:52:22 | 回想
今朝、起きた時あの甘美なバイブレーションに包まれていました。
覚えが無いのですが、多分素敵な夢でも見てたんじゃないかと思います。
この夢にまつわる話で6,7年前のことで忘れられない事が有ります。
色々な意味で…私がどんな性格なのかもその夢から伺い知ることが出来ました。
それは夢にしてはかなり飛躍はあるものの、ドラマを見ているように筋書きがハッキリしていました。

そこは何やら近未来、どうやら世界滅亡の危機が迫っているらしいではありませんか!
何でも巨大な有毒ガス帯が地球を覆いつくさんとしているのです。
フォトン・ベルトかなんかだったらいいのですが、これはヤバイ!コイツに覆われると地球上の生物は死に絶えてしまうのです!
そしてこの危機を免れる方法はたった一つ、ナンヤラトリウム?とかいうある惑星に存在しているという超物質をそのガス・ベルトにぶっ放す!
これは核分裂のように一粒万倍の威力を秘めた、毒素を中和させてしまうという物質で、私もそれを研究していたのです。(実際は全く科学オンチですが)
それを地球に持って帰えるというのが任務です。
私はテレビで宇宙船に乗ってこの任務を遂行する勇敢な乗組員を紹介しているのを食い入るように見ていました。
ただもう一人、この任務に欠かせない人材が要るらしいのです。
その超物質について詳しい人物です。
専門家の先生がその人物の名前を公表し、任務への参加を打診したのですが、その名前を聞いて私は腰を抜かしそうになりました。
そう、それは私だったのです!
な、何で又そんなことに…どうやら一寸前、軽はずみで「超物質ナンヤラトリウムはあります!」とか言って盛んにその存在をアッピールしていたので、私に白羽の矢が立ったようなのです。(むろん夢の話ですよ)
でも私は中々その要請を受け入れようとしません。
何故ならば、その宇宙船に乗り込んで無事に地球に戻ってこれる確率は、10パーセントしかないというのですから…
「世界の救済とか何だと言って、私と一体何の関わりが有るんだ!」といったものです。
ただ日に日に募る世界中から私に寄せられる嘆願の声…耳や目を覆いたくなるものの、正直無視も出来ない…こんな気持ちで一歩も外に出れないような状態が続いたのです。
徐々に不吉な暗雲が迫って来る中、ある時不覚にも救世主待望に駆られた群衆に取り囲まれてしまいました。
「頼む、引き受けてくれ!」「世界を見捨てるのですか!」…ええい、もういいや! 群衆パワーに押されたという事もあって、その場は「分かりました。行きましょう!(行きゃあ、いいんだろう)」と言ってしまいました。
その場を逃げ出したい気持ちもあったと思います。
この瞬間、ドット湧きかえる群衆の歓喜の声…この喧騒をよそに私の内心は「これで良かったのだろうか?」という気持ちは拭い去れません。
やがてある時、乗組員を集めての多分世界同時中継の共同記者会見が行われました。
船長は何故かトミー・リー・ジョーンズに似た渋い、硬骨漢そうな男です。
私にもマイクが向けられたのですが、確か任務がどうのこうのと言うより「我々は必ず戻ってきます!」という事を強調していました。
生きて帰りたい一心からです。
そして、葛藤を持ちながらついに宇宙船乗船の日が来ました。
いざ、ゴルゴダの丘に登るようにタラップに登り、息が詰まりそうな船内に入り、出発時間になって扉が閉まる瞬間…
私は世界中の人たちをドン引きさせるような行動に出たのです!
何と…出入り口に突進して「開けてくれーッ! 出してくれーッ!」と扉に取りすがったのです。
瞬間、私は世界平和なんかより、いつもの公園でマッタリ一息つくようなささやかな平安を選んだのです。
世界平和が保たれなかったら、それも保たれなくなるのは分かってましたけど…
「世界中の人間を敵に回したって構うもんか!」という心境です。
いやはや、何とも女々しく、卑劣なアンチ・メシアが居たものです。
本当にこういう状況に立たされた時…あなたならどうする?
私はこういう事やりかねないですね。
そういう人間なんですから私は…。
ところが続きが有ります。
この時トミー・リー・ジョーンズ船長からこう戒められたのです。「往生際が悪いゾ!お前も我々の一員だろ!」
このツルの一声を聞いた瞬間覚悟を決めて、座席に戻りました。
そして、全てを委ねるという心境に変わり、あの得も言われぬ甘美なバイブレーションに全身が包まれました。
世界中の世論などには耳を貸さないが、この全託へと誘う、神秘の現臨の前にはどうしようもありません。
ジンジンとしたに天来の響きに浸り、徐々に遠のく青い地球、母なる地球に別れを告げながら…夢が覚めました。
夢の世界から現世に戻って…ヤッ、ヘンじゃないか?
状況はすっかり変わってるのに、同じあることが進行中です…。
バイブレーションは続いていたのです!
夢も現実も関係無く…です。
そしてしばし何とも言えない平安に浸っていたのは言うまでも有りません。
地球は回っているんだなあ…
それでも地球は回る…。





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命がけの道

2014-12-19 19:12:51 | 求道、探究
人の生はそれぞれ、道も歩みもそれぞれ、誰一人同じではありません。
誰一人貴方の代わりを生きてはくれません。
精神的な道にしても宗教と関わりながら歩む人も居れば、全く関わりを持たない人も居ます。
これはもう縁によると言う他有りませんが、もしその道が自己実現とか本心を開くというところに向けられるのであれば、どの道一人一人の内側へとシフトして行かざるを得ないでしょう。
こういうところに向かわない宗教というのは、そもそも存在理由が無いという気もします。
これは宗教という形を持たなくとも、誰か特定のスピ系の教師的人物を信奉したりする生き方でも同じですが、ともすると信じるという方に意識が行ってしまいがちで、例えば思っていたような成果が得られなかったら、その人物を非難するような人も出てきたりします。
何かよからぬことを被ったというのなら話は分かりますが…
要はどうしても一歩踏み出さねばならぬ時、人生の一大転機の機会が巡ってきた時に、それにコミットできるかどうか、それは全くもって他の誰でも無い
貴方に委ねられている、という事なんです!
「ただ自分はとりあえずその宗教と、その教えを信じていてつながっている…だから救われているんだ」と全く安易な事言ってる向きもありますが、本気でそんな事信じてるんでしょうかね?…
それだったら何時まで経ってもその道の入り口にも立てず、同じところを往ったり来たりしてるだけです。
そういう人が何時までもそうしてられるのはただ気休めだけです。
本当に自分の内側にシフトし、恩寵の光に委ねるというのは命がけのことなのです!
そんなに難行苦行しなきゃならないのですかって?
いやいや、そんなのは何もないです。
一歩踏み出す、コミットすると言ったって取り立てて何かしなきゃならないってもんじゃないです。
その内実は我々の行為、決心というものに有るのではありません。
全ては恩寵の光によりもたらされるものです。
そして「こちらに意識を向けてごらん!」という声なき声の促しに委ねるだけです。
この一瞬に我々の人生の全て、過去も現在も未来も全てがかかっているのです。
命がけには変わりないでしょう。
五井先生はよくこう言ってました、「ああだ、こうだと中途半端な気持ちが一番ダメだ!」と…
小池先生は又よく言ってました、「いい加減なら、おやめなさい!」と…
私はその道にコミットすることなく、さっさと引っ込んだクチなので、エラそうな事とても言えないですけど、どの道であれ一端コミットしたのなら、右顧左眄しないでその道に決定するという事を言われているのでしょう。
もし、そこから本心の道が開け、恩寵の光がもたらされる契機が生まれるのなら意味のあることです。
何にしても命がけな事には変わりありません。
ただその道に縁の無い部外者がそう言う言葉を聞いたら、「この道しか無い!」みたいなこと言ってて狂信的に聞こえるかも分かりません。
手の平を返したような事言いますが、もしその道を歩み続けてても、物足りない、一向にラチが開かないと思ったらグチャグチャ言ってないでさっさと道を変えるべきです。
「いくら変えてもこの道以外には無いのだ!」と言ってる人が居れば、それは本当に狂信的な人です。
道は人の数だけ存在してますから…
いっそのこと、依りかかるような道は皆放棄しちゃってもいいでしょう、それこそダイレクトに自分自身に繋がれる道が開けるかも知れないですから。
そう、実は色々な道が有るようで、道は一つしかないのです。
わが宗の人ならみんな知ってます。
全てで一なる道は我々の内に有る…。
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私の分岐点

2014-12-17 20:17:51 | 回想
人生にはいくつか分岐点が有ります。
お分かりですよね…。
これまた私の無為徒食の青春彷徨時代の昭和53年晩秋のことです。
私はその一年前、それまで入信していた新宗教を辞めて、宗教的な事で迷っていたのですが、白光の五井昌久先生と出会い、初めて神というものに意識的に向かい合うようになったのでした。
つまり神に思いを向けるという事は楽しく、喜ばしいことなんだと自覚するようになったのです。
こうした機縁を与えられたことに対しては今でも感謝の気持ちは忘れていません。
当時市川にあった道場に初めて行ったのは五井先生の誕生会でしたが、初めて先生の姿を拝した時は何故か涙が出てきたのを覚えています。
それからほぼ毎月のようにそこで行われていた統一会に参加したり、毎月月刊誌を読んだりとまあ、先生に傾倒していたものです。
ただそれ以外の宗教的、今日でいう精神世界的なものに対する探究心も猛烈に起こっていたのですが…。
そのいくつかの教説の判断基準というものを五井先生に置いていたりと、何時しか先生を権威にしていたところが有りました。
もうこうなると白光の信者になるのも時間の問題かと思われていたのですが…。
五井先生に対するこの傾倒ぶりが、急速に冷めてしまうという事態が突然起きてしまいました。
このエピソードと言うのが如何にも私らしい?…です。
ある時白光青年部の知人が会の長老格S先生に何やら相談をしていました。
その内容と言うのが彼が当時オカルト雑誌の編集長をしていたT氏と女性霊感者Y氏と組んであるプロジェクトを立ち上げようとしていることの可否、つまりお伺いを立てていたのです。
私は大体どういう答えが返ってくるのかは想像がつきました。
「アンタは折角五井先生とつながったんだから、ヘンなものに迷いなさんな!」…ああ、やっぱり…。
そして私と違って全く性格が素直な彼は、迷う事無くその志を白紙にしました。
私は傍らでその一部始終を聞いていて、何やらとても嫌悪感が湧いてきました。
「何という主体性の無さであろう!自分の生き方なのに他人のツルの一声で決めてしまうのか!占いに翻弄されるのと変わらないじゃないか?」そしてそれは自分自身の依存体質にも重ねられました。
「思えば一年前、私は宗教依存の愚かさを思い知らされた筈ではなかったのか?再び同じ迷路に入り込もうとしてるのか?」
この件がきっかけで私の中に「私自身が本当に腑に落ちるまで納得しなければ、絶対に自分以外の何ものかを鵜呑みにしたり、翻弄されたりしまい!」
という強固な信念が芽生えたのでした。
同時に急速に冷めたのは、スピ系特有の、霊能、心霊的なものに対する短絡的迎合でした。
「所謂霊能者ならいざ知らず、普通の人間にとって霊界、幽界、前世…これらは全て空想的観念でしかない、妄想の温床になるだけではないか?」
こうして私は五井先生と白光からは距離を置くようになりました。
しかし、すぐに試練がやってきました。
その年の暮から明けて54年の初めにかけて、私の知人の友人があの洗脳で有名なT教会に関わろうとしていたのを辞めさせようとしているうち、私も
とばっちりを受けてしまったのです。
「これは五井先生に背を向けた報いだろうか?」と弱気の虫も出たりして、ある晩その洗脳集団への恐怖心から無我夢中で祈っていたら、例の変調に見舞われたのでした。
一体どういう事が自分に起きたのかは分かりませんが、何せ意識が飛びそうになったのです。
それからというもの最初の一月くらいは精神的に不安定な時期が続きましたが、やがて前回書いたような感覚(意識が飛ぶと言うより、内面に浸透していくような)を身に覚え始めたのです。
面白いことに観念的な心霊的情報から距離を取り始めたら、体感的なものが芽生えたのです。
人はどう見るか分かりませんが、私はこれを霊能として捉えたことは有りません。
霊視だとか霊聴などとは無縁だからです。
ただそのような内的感覚が有るというだけです。
で、それはそのまま現在に至ってるかと言ったら…そうは問屋は降ろさないのです。
ああ、人生は直線ばかりじゃないですから…ホントに…。


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初めに喜び有りき

2014-12-14 14:49:00 | ガイダンス
気、波動…表現は様々ですが、何時頃から私に身に覚えるようになったのかはよく分かりません。
より鮮明に感じられるようになったのは、昭和54年初頭のあの変調辺りからだったと思います。
これは外的感覚(暖かいとか冷たいなど)として感じられる場合も有りますが、(人によって個人差もあるでしょうが)私の場合当初から内的感覚として知らされていました。
内的感覚と言いましても言葉では上手く伝わりませんけど…これが意識ととてもつながりが有る、という事も例えば何か霊的な書物を読んでいたら、内的な広がりや意識が高揚してくるといった経験から分かってきました。
似たような書物であってもどれでもいいという訳でなく、ある書物には顕著な反応をするのですが、なんでそうなるのか理由はよく分かりません。
意識と言っても、通常我々の頭の中を占めている表面的な思考に隠れていて分かりにくいですが、考えてばかりいたら感じられないものなので、逆から見たら分かったりします。
気、波動というのは喩えて言えば、乗り物でしょうか?
そう、タクシーみたいな。
でもそれに乗りさえすれば、勝手に素敵なところに連れて行ってくれる訳ではありません。
ちゃんと運転手さんに行先を告げなければならないですね。
その役目をしてるのが意識ということになるでしょうか?
でも行先に着いたとして、そこは本当に目差すべき素敵な場所なのでしょうか?
ガイドブックの見間違えという事も有るかも知れないのです。
意識はシッカリ目差すべきところに向いているのか、どうか…これは取りも直さず上部の思考の影響次第ということでもあるのですが…。
波動は意識の向かうところに赴く…
それがこちらが当初望んでいたものと方向性が違ってくるという可能性もある訳です。
もし、我々が本当の幸せというものを望んだとして、その場合の確かなナビとはなんでしょうか?
これはとても微妙なところです。
守護霊とかの導きでしょうか?守護霊と言ったら、一寸意味が心霊的なものに限定されてしまいますが…
私は何度も見えざる導師の導きを受けてきたなどと言ってます。
普通の人がそんな事聞いたらきっと怪しく思うでしょうね…。
でも人はそこに何とも言えない幸福感、喜びといったものが有れば、どうしたってそっちに意識が向いてしまうのではないでしょうか?
それでも「いや、これは何かの悪い霊に誑かされているんだ!」と疑う人は徹底的に疑った方がいいです。
何かが落ちるまで…。
中途半端な気持ちで守護霊にお伺いなんかしてるよりはずっといいです。
(それをすることが嬉しい、楽しいのであればアリかも知れませんが)
そのうち疑ってなど居られなくなるかも分かりません…。
私はとにかく霊的ガイダンスによるものか、内なる要求(内なる絶対的なものに繋がろうとする、日常意識の奥にある要求)によるものか…多分両方でしょう。この二つには相関関係が有ります。
ガイダンスによって要求に目覚め、要求にガイダンスが答えるという様な…
私の場合まず、初めに喜ばしきものが有り、それに勝手に意識が向けられていただけという気がします。
そしていつの間にかある種の回路が出来ました。
簡単にスイッチが入り、簡単に喜びの波動にアクセス?出来ます。
殆ど自動的という感じで、呼吸法やマントラといったツールには頼りません。
こう書いてると、もう難しくて心が折れそうですが、実際はこんな簡単な事は無いですね。
パソコンでもなんでも取扱い説明書ってヤツですが、やってたら案外簡単なのに難しくて読めない…
読んでて楽しくなってくるってのは無いですかね…。

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それでも私はやっていない

2014-12-13 19:22:56 | 回想
私は容疑者だった!
これは創作でなく、本当の話です。
今から6年前、私は警察の取調室で尋問を受けた事が有ります。
容疑は運転免許証偽造。
私はバイク運転で交通違反が重なり、免停を免れるべく講習を受けにF試験所に赴いたのでした。
まず手続きとして免許証を提示するのですが、何故か見つからなくなってしまいました。
おかしい…いくら探しても出て来ません。
仕方ないという訳で、再交付をしようとしたのですが、そこで疑いを掛けられてしまったのです。
「なあに、どうせ家のどっかに置いてきたのだろう、すぐ済むだろうから…」などとタカを食っていたのですが…。
取調室に連れて行かれ、手荷物、身体の検査を念入りにされたところ、何と出てきてしまったではありませんか!免許証が…
カード入れに紛れ込んでいたのです。
これでもう、私は犯罪者扱いです。
「免停を免れようと、故意に隠してたんだろ!」と…何だか事態を飲み込めないまま尋問が始まりました。
そこで展開されたのは、まるで刑事ドラマそのままでした。
「いつまでも白を切ると、ためにならんゾ!」と突然机を叩いて恫喝する主任係官。
「やってないだって…みんなそう言うんだよな…」「アンタ、今眼を逸らしたよな、やましいことしてるヤツってのは大体そうするんだよ…」と傍らのサブ係員。
あまりにドラマじみているので、私は夢を見ているのかと思いました。
そして「自白さえすれば罪を軽くしてやる!」と詰め寄り「あくまで白を切るんなら…」と処罰をにおわすようなことを…
これは冤罪事件で自白のやり方が社会問題になる前のことでした。
一瞬、心が動きかけたのですが、故意にやっていないという事実はどうしても曲げられません。
昼時になり係官たちもイライラしてきた様子です。
「最後にもう一度聞く。本当にやっていないと言い張るのか、否か!さあ、答えるんだ」主任からこう切り出され、私が最後の返答をするのに5分間くらい経過したかと思います。
「2,3日は拘束覚悟だと…処罰されるかも分からない、仕事も失うな…」様々な事が脳裏に去来しましたが、やがて全てを委ねようという心境になり、眼をつむったままでいたら、グーッとあの身に覚えのあるバイブレーションに包まれました。
「大丈夫!」と内なる確信と共に私は答えました。
「やってない、やってないものはやってないとしか言えません!」
して…無罪放免。
自分の不徳とはいえ、何でこんなことになってしまったのか?
一大事に至る前にもっと運転に気を付けろということなのか?
まあ、5年間無違反ですが…
私はあの夢のような、それも悪夢のような状況の中で、真実というものが示される瞬間をどうしても知りたかったようです。
現実世界には理不尽な事、耐え難いような苦痛も有るでしょう。
でも状況そのものに翻弄されようとする中にも、全てを受け入れようとすると別の局面も開かれてくるものです。

免許の更新とかで、その後も試験所へ行ってますが、F試験所へは二度と行ってないのは言うまでも有りません…


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