人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

小屋で観た映画

2015-07-20 14:27:40 | 映画・音楽など
いやあ、暑いです…夏本番です。
今、一番仕事がやりづらい人はピースのアシスタントの方でしょうが、仕事あまり頑張りたくありません…。
暑いときはクーラーの効いた映画館で…というのは今じゃ想い出だけの話で、ロードショーを観に行ったなんていうのはいつ以来無いだろ…
5年くらい前にミニシアターでアルゼンチン・タンゴのドキュメンタリー映画を観ましたけど、あれはあくまで異例というべきです…
これは明らかにレンタルビデオやネットの普及の影響であるのは言うまでもありません。
そうでなくても私は学生の頃、30数年前からロードショーに行く機会はめっきり減ってきました。
貧乏で入場料が高いから?…勿論それもありますが、ミニシアターというか、あまり今じゃ言われなくなった感のある、自主上映会にハマった為だろうと思います。
なんといっても、あの如何にも場末といった、こじんまりとした見世物小屋のような雰囲気…あれこそ私は映画館の原点じゃないかと思ってます。
最初に観たのは、確か今は無き新宿アートビレッジでマルクス兄弟(知ってる?史上最強の喜劇役者の声も高い米国のトリオです。長兄のグルーチョは五井先生の兄弟かと思ってしまう…)の「オペラは踊る」「二丁拳銃」の二本立てだったと思います。
確か私の記憶では、上映前、余興か何か知りませんが、白塗り集団によるケッタイな前衛劇みたいなのを見せられて、頭がグジャグジャになりそうになったのを覚えてます(笑)…あれはホラー映画よりコワイです(笑)
この会場にはその後も何度かお世話になり、その後もヒットラーもぶっ飛んだ?という、同じマルクスの「吾輩はカモである」、「カリガリ博士」(これは自主上映会では定番の戦前のドイツ映画。表現主義がどーたら、こーたらなど知ったこっちゃないですが…)「フランケンシュタインの花嫁」(本当の意味で”怪物を造った男”ボリス・カーロフ!これは小生、何十年も待ち焦がれていたものです)など…
その後関西に移ってからは、雑誌「ぴあ」を片手に大阪、京都を股にかけあちこちの小屋巡りをしました。
「吸血鬼ノスフェラチュ」(これも定番ドイツ映画。最近、ムルナウ監督の遺骨が盗まれるという怪事件が起きました)「アッシャー家の末裔」(同フランス映画)おや、ホラー映画のクラシックばっかりではありませんか?しかもサイレントです。
これは理由が有って、冒頭に書いたとおり、夏場に重なることが多く納涼を求めるためでもあり、またあの小屋が実にそれにマッチしているからです。
でもそればかりじゃありません。「ヴァリエテ」「ドクトル・マブゼ」「戦艦ポチョムキン」(モンタージュ!)…
これを読んだらもう、静まり返るしかない? サイレント映画ばかり…て、わけでもないし、90年代以降は邦画の比重も増えてきました。
何にせよ、ハッキリしているのは例外なしに古典的な映画ばかりだという事です。
これは私の架空の親友ミスター・レトロこと”すぎた”からいつもカビくさいレクチャーを受けているためです。
私は彼よりは新しいものに対する柔軟性は持ってる方だと思いますが、それでも印象に残っている映画といったら、ほとんど音が出ようと、出まいと白黒画面ばかりと言わざるを得ません。
「キングコング」「猿人ジョー・ヤング」「フランケンシュタイン」(モンスタージュ?)の洗礼があまりに強烈だった…という事なのでしょう。
(とりわけ白と黒のコントラストの妙~これが人生の表側と裏側のはざまに浮かび上がるのです~がくっきりと描かれるのが、ドイツ古典映画です)
そして、小屋で観た映画は、すべて例外なしに私にとっては名画です。
これはもう、流行とか話題作りのため、という邪道(!)からでなく、純粋に観たい映画を観に行ってる訳ですから当然のことです。
これは人生の裏側からの知られざる指令…”好きな事をしろ”から来ているのです…。




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夏の夜、ダンテスは微笑む

2015-07-19 13:13:44 | 人生の裏側の図書室
ある時誰かが第慈に尋ねたことがある。「どうしてそんなことまでわかるの?」
第慈、笑って答えて曰く「それは、君が僕だからさ。」
雨宮第慈講話録1十三番目の瞑想(SCL刊)より

以前にも少し触れたことのある、ダンテス・ダイジこと雨宮第慈さんの講話録(全4巻)のことを改めて書いてみます。
彼の入手しやすい本は全て読んでみましたが、これが実に味わい深く読めました。
講話録と言っても一応そうした形をとっているのは第一巻ですが、その一冊からしてそうなのですが、シリーズ全体として若き瞑想指導者第慈を囲んでの自由な座談会の記録と言う趣です。
この知られざる饗宴がもたれたのは昭和53年から54年にかけて。私も探究意欲に火が付いていた頃で、毎日、毎日新たな発見が有るんじゃないかとワクワクとした日々を送っていたものでした。
暇つぶしに何度か顔を出していた、大学を超えた怪しいサークル早稲田大学UFO研究会の裏でかくもディープな寄り合いが持たれていたのかと思うと感慨深いものが有ります。
もし、私がその場に居たら…果たしてタダで済んでいたでしょうか…

この書はまずその時代背景というものが伺われることで大変貴重です。
この時代の精神世界は、目立つところでは何と言っても生長の家、白光真宏会、GLA…これら新宗教が全盛を極めていて(私はあまり興味は無かったですが)行的な方面では密教、ヨガなどの修行系が主流だったと思います。参加メンバーの中にもそうした関係の人も居て、それぞれの視点からの意見、質問に対し、第慈はそれらに迎合するでもなく、否定するでもなく微妙なスタンスで対応していきます。
そこには前世、予言、超能力、守護霊…といったこの時代特有のエーテル的言説にも触れて、彼自身も霊能者であり、時には質問者に前世談を聞かせることも有るのですが、そっちの世界に捉われたり、溺れたりすると見るやスルリと交わしたり、実に機を掴むのがうまいです。
「雨宮さんは輪廻説を肯定する立場なの?」
「いや、肯定も否定もしません。それはね、ものをどこから見るかによるんだ。」
(講話録2君がどうかい)
又、ここではバグワン、クリシュナムルティ、カルロス・カスタネダといった後の精神世界の巨匠?ともてはやされる、当時の新感覚の教師が一部で注目されて始めた、という時軸をも捉えております。(いやあ、私の周辺ではこんな勉強熱心で目敏い人たちは居ませんでした。)
この書では、このように何が芽生え始め、どこに向かおうとしているのかという、時代の息吹を感じさせますが、ダイジの言葉には全く古さを感じません。
オールタイムの古くて新しい叡智が語られているという感じです。
そして又、ワクワクするよなスピリチュアル座談会の模様を生で伝えている得難い資料です。(本当の秘儀伝授はこのようなところで行われているとか?)
ダンテス・ダイジというと少年の頃から幾度か自殺未遂をしたとか、その死についてもそうした説が囁かれていますが、この書からはそうしたイメージは伺われません。むしろ若き求道者たちに(この時点で彼自身まだ28歳!〉生の燃えるようなパッションを鼓舞しているように思えてなりません。
「実相というものが厳然として存在していて、実相的個性というものがみんなに備わっているんだ。」
(質問者)「その個性というものはいいも、悪いもないんですか?」
「ない。絶対的にいいことだ。」
(講話録3最高に生きたい)

O一般書店では取り扱っておりませんが、中野ブロードウエイ4Fで常時置いています。
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神ながらの道

2015-07-17 13:55:57 | 日本的霊性
私がいつも反面教師のように引き合いにしているのは、かつてハマっていた某教団です。
その時学ばされたことは計り知れず大きかったと思います。もしかして私にとり本当の人生の教師だったかも知れません。
その教団は外的装いとしては日本古来の神道にのっとっておりましたが、その教条主義的有り様はその実、神道本来の大らかさ、寛容さとは程遠いものでした。
やがてそこを離れ、”霊主体従”だとか”元の神が世に顕れる”とか既にその教団でお馴染みになっていたフレーズについて新たな心境の元に学ばせられることになりました。
私にはその教団とおさらばしても、どうしても払拭出来ないものが有ったのです。
一体私は何に引き付けられたのだろう…その元々の出どころ、大本を知りたい…
という訳で”リジェンド”出口王仁三郎師になにかエーテル界に誘われるように、引き寄せられていきました。
そこで出口聖師の神観について触れましたが、どうも時と所によってコロコロ変わるところが有ります。
又私は未だに大本教の主祭神というものがよく分かりません。国常立之尊?神素戔嗚尊?…聖師は皇祖天照大神絶対の世の風潮を考慮して、ワザとそこのところをボカしたのでしょう。
いずれにせよ、私はこの過程でいつの間にか心性にあるファジイ(死語!)なものが芽生えてきました。
これすなわち”神ながら、言揚げしない”という精神に通ずるものかと思います。
出口聖師と言うと、今では神道や霊学の代表的人物のように観られる向きもありますが、実際は聖師ほど同時代で異形、異能の神道家など見当たりません。
他の多くの神道家たちはこぞって皇道の宣揚、国威の発揚を叫ぶなど、まるで熱病に犯されていたようですが、これらの色合いは神道本来の性格とは全く相いれないものが有ります。
聖師自身も時節に合わせたようなドギツイ国教論などを書いてますが、”大本を国教にせよ!”と受け取れかねない曰くつきのものです。
そして裏ではあらゆる凝り固まった、独断的言説をあざけ笑うかのようなハチャメチャ教典”霊界物語”が世に出されました。
”書かれたもの、語られたものそのものに真理など無い、真意は雛形言語に隠されている”と告げているかのように、ここで元の神の復権即真の神ながらの道の復権を示唆していると感じられます。
聖師と同時代でアカデミックな世界でも知られていた神道家、法理学者に筧克彦という人が居ました。
”神ながらの道”という著書はよく読まれていたようですが、あまりファナティックには感じません。私はその”我が国の古来よりの精神には自他一体の共同体的なものが通底している”という説などには共鳴しています。
その筧博士にこんなエピソードが伝えられています。
ある時、日本的精神は鎌倉仏教に発露を見るとする京都学派(これは鈴木大拙師の”日本的霊性”の主要部分を踏襲していると考えていいでしょう)に対し、皇道中心を押し立てる旧派?とで喧々諤々議論が起きていたといいます。
そこで博士は間に入って、柏手を打ちこう言ったそうです。
「双方ともどちらもよろしい、道元様も親鸞様も、それから吉田松陰様もいずれも同じ神様から出てきたもの、それが八百万の神というものです」
私はここに神ながら人のしたたかさを見る思いがします。
如何にも偏らず、公平を示しながらもしっかり自分の土俵に両方を引き入れてしまう…という
儒教、仏教といった外来宗教もこうして平和の裡に我が国に引き入れられていったのでしょう…
この国では偏った物言いは決して根付くことは無いでしょう。
今本当の国ぶりが復権することを待たれます。




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出まかせの祈り

2015-07-15 22:02:57 | 祈りと瞑想
どの祈りの文句、名号、マントラがすぐれているか、効果的なのかと論議したりします。
アホらしい話だと思います。
自分に最もフィットしたものに決まってます。
でも、さらに言えば…私自身では分かり切ったものが有ります。
自分自身から発せられた祈りに勝るものは無い!
これは勿論、それぞれの自分において、という意味です。
そして、その言葉はあらかじめ決まったものなどではありません。
思いつくまま、出るままに(出まかせ)祈るのです。
言葉に出しても、出さなくてもいいです。
祈りに限らず生きた道、命の道に決まったレールなどありません。
”世に知られている尊い祈りが有るのに自分如きものの祈りなど…”という声も聞こえて来そうですが、祈りとは他人事なんかじゃありません。
命の道を歩むのも他人事などである訳ありません。
一体、誰の祈り、誰の道なのか!
”自分如きものの祈りなんか聞かれない”と思っている人には自分の中の内なる光のことなど、到底思えるわけが有りません。
そして又絶対他者なるものの現前に、全くどうにもならない自分を投げ出すことも出来ないでしょう。
そこには思い上がりも卑下もありません。
本当のへりくだりに導かれた時、内なる変容に預かることが出来ます。
ただ我とミオヤとの命の交換が有るのみです。

私はいつも恩寵は思考を超えたところから来ると言ってます。
”色々祈りの言葉を考えてしまって…”と思うかも知れません。
なるべくシンプルであれば、なんでもいいと思います。
(以前に書いた”どん底で唱えるマントラ”というのは極端な例です)
私はある集会で、最初白々しく、又たどたどしく考えながら祈りをしていたら、突然上よりの力に捉えられて、無心の祈りになってしまった事が有ります。
これが祈っている時の特有の不思議な意識状態です。
愛というものが働く時こうした限界を容易に突破させてしまうのかもしれません。
自然と意識が上なるものに向けられてしまうのでしょう。

自分の道が迷って分からなくなってしまった時…
自分自身すらも見失いそうな時…
どうにもならない現実にあえいでいる時…
祈ることすらできない時…
祈れないままに祈らされる
それが…出まかせの祈り。







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愛と智

2015-07-14 21:05:06 | 哲学・思想
宗教やスピ界では愛とか気付きという言葉があふれていますね。
私も飽きるくらい使っております。
きっと読む方はもっと辟易ものでしょう?
しかし言葉の安売りはともかくとして、言葉で言い表せないものにダイレクトに触れた時、本当にそうしたものを実感される方も多かろうと思います。
愛…それは全くフィーリングを通してしか伝わりません。そして気づき…これをもたらすものは”智”なるものでしょう。
これは言うまでも無く有識的な知識のことではありません。本来的、天来的な智慧のことです。
いずれも我々の硬い縫い目がほころんだところからやってきます。
この二つは決して切り離すことが出来ません。
”智から離れた愛は盲目になる…愛から離れた智は冷たい…”
こんなイメージを巡らすことは出来ますが、実際のところそんな分離など起きようが無いだろう…
と、今の私には感じられるほど、これらは全く同じものの両面という感じがします。
大雑把な観方かも知れませんが、キリスト・イエスは愛を、ゴータマ・ブッダは智を強調していると言えるかも知れません。
正直言って今まで私はブッダの事を深く知ろうとしてきませんでした。
それはこの両者に関して、求道の初期に福音集会でカルチャーショックを受けた経緯が有るためもありますが、”イエスは実在しなかった”という極論が有ることにも増して、ブッダは伝説に彩られていて実像が見えにくいというのが理由かと思います。
そしていつの間にか先入観も出来てしまったようです。
”無だか空だか、何年も難しい修行をしなければ至り得ない境地を求めてなどしたって、人間何時”お釈迦”になるか分かったもんじゃない!”
その為もあってか私はしばしば愛に触れることについて言及しています。
それは今日のスピ界を見るにつけ、観念の上滑りというか、知的に走り過ぎていると感じているからです。
頭で分かったってしょうがないことを”ああだ、こうだ”、般若というか智が降りて来なきゃどうしようもないことが言葉でやり取りされる…
そしてどこか自己の見出した、依拠とする見解というものが、さも全てに通じた普遍の真理であるかのように語られる…
すると、当然のように”ちょっと待った!そんなこと誰が決めたんですか? 何で言い切れるのですか?”と誰かの呟きもチラホラ…やがてアンチ剥き出しの言説も生まれるに至ります。
他に何かを発信するということには、実に自戒させられるものがありますね。
ブッダの説いた無の立場とは”如何なる見解も信条も無い”というものでした。
この事に関しては何一つ難しい修行など要しません。
理解しようという気持ちさえあれば、すぐに開けてくる…閉じられた見解にすぐ風穴が生じるのがすぐさま感じられるでしょう。
しかし人間誰しも確信というものも(それが本当にそうなのかはともかく)背負ってたりするものです。
でもそれが許されている、という自覚さえあれば他者もまた許されている、という認識も持てます。
(あまり他のことに茶々なんか入れたりしないで今日は皆で反省会…)
仏教では愛というより慈悲と言われますが、私は今日の対立が対立を呼ぶ愛なき事象を見るにつけ、そこに限りない愛というものが言わずして語られているのを感じます。

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