「時間というのは無いんです。"いまここ"しか無いんですよ。これはマインドでは理解出来ないことなんですi」
と、人気悟り系ブログでは、相も変わらず一方的な、一人よがりな言辞を繰り返しています。
理解出来ないことを突きつけられると、人間どうしたって考えちゃうものです。
そして、そういうことを究極の真理みたいに決めつけたように言われると、"考えちゃダメなんだ"ってことも考えちゃうのです。勿論マインドで...
それは良いも悪いも無く、そうなるものなんです。しかし、それとなーく、マインド敵視の思いに取り込まれてゆく...一元的なものに帰ろうとしていた意識がますます二元的に分離してゆく...
マインドで理解出来ないんだったら、そんなもん読まなきゃいいでしょ?
言っている方もマインドでそういうこと言っているんでしょ? 最初から迷わすようなこと書かなきゃいいんですよi
"あっ、そうだったんですねi"、とお追従する者も...かくしてその界隈はマインドで充満するだけ...
私も今マインドを駆使してこれを書いています。これはけっして"お筆先"じゃありません(笑)
ただ、それが行き所を無くして滞ったり、ぐるぐる同じところを周りつづけたりしないように意識して書いてます。
ですからマインドが固まったり、あちこち飛び回らないようにコントロールしてですね...
違うってーのi
意識するとか向けるとかいうのは、実は言葉の綾でして、自ずとそうなるようなもんで...
これはマインドでは理解出来ないでしょう。理解出来なくていいのですi
これが思いを超えたもの、神的なものを意識し、させられているということなのです。
理解出来るのであれば、思いは超えられませんi そうさせられるものが伝わらなければ、自分で超えようと考えてしまいます。
神は理解出来ないもの...分かったと思ったら迷いに陥るものです。
しかし、頭で分からなくても感じることは出来ます。
そういうものが感じられるでしょうか? 伝わるでしょうか?...こんなに"じんじん"、"きんきん"してるっちゅーのに...
私の力不足だろうが、なんだろうが、いつも書かされているのは、思いを超えたものの消息です。ここにマインドは心地よい風(ピニューマ~霊なるもの)に吹きさらしとなります。
ホントはこう書かされている瞬間、私自身そういうものに与れるからこそ書いているのでして、人にウケようが、理解されようが、知ったこっちゃないのですi
たとえ、一人よがりだろうが、考えても分からないことを考えたり、出来ないことをやろうとしたりなんてことを私自身は勿論、読者に向けることはしたくありません。
精神的なことについては、どこまでも神的なものにあって、風に当たっているように表してゆきたいのが私の願いなのです。
そうすると..."いまここ"しかない、という感じにもなってくるかも?...
と、人気悟り系ブログでは、相も変わらず一方的な、一人よがりな言辞を繰り返しています。
理解出来ないことを突きつけられると、人間どうしたって考えちゃうものです。
そして、そういうことを究極の真理みたいに決めつけたように言われると、"考えちゃダメなんだ"ってことも考えちゃうのです。勿論マインドで...
それは良いも悪いも無く、そうなるものなんです。しかし、それとなーく、マインド敵視の思いに取り込まれてゆく...一元的なものに帰ろうとしていた意識がますます二元的に分離してゆく...
マインドで理解出来ないんだったら、そんなもん読まなきゃいいでしょ?
言っている方もマインドでそういうこと言っているんでしょ? 最初から迷わすようなこと書かなきゃいいんですよi
"あっ、そうだったんですねi"、とお追従する者も...かくしてその界隈はマインドで充満するだけ...
私も今マインドを駆使してこれを書いています。これはけっして"お筆先"じゃありません(笑)
ただ、それが行き所を無くして滞ったり、ぐるぐる同じところを周りつづけたりしないように意識して書いてます。
ですからマインドが固まったり、あちこち飛び回らないようにコントロールしてですね...
違うってーのi
意識するとか向けるとかいうのは、実は言葉の綾でして、自ずとそうなるようなもんで...
これはマインドでは理解出来ないでしょう。理解出来なくていいのですi
これが思いを超えたもの、神的なものを意識し、させられているということなのです。
理解出来るのであれば、思いは超えられませんi そうさせられるものが伝わらなければ、自分で超えようと考えてしまいます。
神は理解出来ないもの...分かったと思ったら迷いに陥るものです。
しかし、頭で分からなくても感じることは出来ます。
そういうものが感じられるでしょうか? 伝わるでしょうか?...こんなに"じんじん"、"きんきん"してるっちゅーのに...
私の力不足だろうが、なんだろうが、いつも書かされているのは、思いを超えたものの消息です。ここにマインドは心地よい風(ピニューマ~霊なるもの)に吹きさらしとなります。
ホントはこう書かされている瞬間、私自身そういうものに与れるからこそ書いているのでして、人にウケようが、理解されようが、知ったこっちゃないのですi
たとえ、一人よがりだろうが、考えても分からないことを考えたり、出来ないことをやろうとしたりなんてことを私自身は勿論、読者に向けることはしたくありません。
精神的なことについては、どこまでも神的なものにあって、風に当たっているように表してゆきたいのが私の願いなのです。
そうすると..."いまここ"しかない、という感じにもなってくるかも?...