寝ようかなと思ったときに起きた昨晩の地震、ちょっと身構えましたが、3月11日の震災と比べ揺れが小さかったのでホッとしました。地震当日、車を運転していた家人には家での大きな揺れは初遭遇で驚いていましたが、先日の揺れを体感していると事の大小の判断が付くようです。経験しなければ分からないという大災害は困ったものです。
とはいえ考えられるだけ考え抜いた危機管理は必須です。ノウハウや費用を考えると家庭では不可能なことでも国家、大企業のレベルでは完全でなければなりません。想定外という言葉が逃げ口上になっているのはいかがなものかと思います。 物理的に無理なことでもそれが発生した先の具体的危機管理がないことが露呈した大地震でした。 現場の方々が持てる力で奮闘されていても国家レベルではその防衛第一線が破れた後の第二線、三線の具体的対処策を殆ど考えていなかったと感じます。リーダー達が其処から勉強するなど論外です。
卑近な例で恐縮ですが、災害後のアクションは、起こりうるトラブルを見通して信頼性の高い通信を維持する通信プロトコルの設計や通信情報システムの設計と相通じるものと思えます。専門領域は違ってもこの世界での設計マネージメントが危機管理の具体化に充分役に立てるのではと感じた次第です。しかしながら情報処理の領域でまたもやトラブルが起きてしまったのでその対応力が極めて弱くなってきたのではと日本の行く末が気になります。
こんなことやら、泥縄式の原発トラブル対応。どうして最初からやらないのの繰り返しです。 遅れた海水注水。 水ガラスでの止水の前に高分子ポリマー、おが屑、新聞紙での子供っぽい水漏防止。果たして土木の専門家の意見を採り入れたのでしょうか?
期待を持たせる楽観的な記者会見が続き、狼少年と云ってもいい結果が続きました。 小さいながら30数年前の我が家の工事図面は残していますから、まさか水漏れ遅延は40数年前の原発地盤の設計図面を見失ったとは云わないでしょうね。身内でコソコソやっているように見えてしまうので諸外国からはつけいる隙だらけなんでしょう。 と、また書いてしまった精神的に良くないこの頃です。
あれ、花見のことを書くつもりでしたが、とんだ方向転換です。例によって本題を追加します。
墨堤の櫻にスカイツリーが加わりました。この後対岸に渡って言問団子を食べて帰りました。 長命寺の桜餅を梯子したかったのですが、長蛇の列で断念。 言問団子は名物にうまいもの有りの納得の味でした。名物はいいお値段でしたけど。(汗)
高速道路を入れないようにして撮りました。あの大地震でクレーン一つも落下していません。素晴らしい耐震技術だと思います。
「春のうららの隅田川」の唱歌の通りの光景と思いつつ歩いていました。お祭り中止の看板があちこちに出ていましたが、町の声は「お祭りをやってお金を集めてそっくり義援金にすればいいのに。」といってました。やっぱり自粛自粛は沈滞を生んでいるようで変です。墨堤を歩く二人の花見客は、花びらを眺めつつ震災の地のことを考えていました。
そういえば都知事選、何も聞こえてきません。どうなっているのでしょうか?
我が故郷では県会議員選挙の真っ最中です。幼馴染みの稲富くん頑張ってね。
急に思いついて家人と出かけた花見酒なしの隅田の堤でした。 墨堤の櫻と云った方が情緒がありますね。
これまたついでで小学唱歌「隅田川」の歌詞を再読したくなったのでここに掲載させて貰いました。滝廉太郎の作曲でした。
春のうららの 隅田川、
のぼりくだりの 船人が
櫂(かひ)のしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき
見ずやあけぼの 露浴びて
われにもの言ふ 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を
錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき