霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

「頑張り抜いた娘のことが私達はずっと大好きです」

2024-12-20 05:17:05 | 仲間
 山形経済フォーラムの主要メンバーである深瀬さんは、 人格識見共に秀でた
実力者であることは誰もが認めるところ。
   本来であれば仲間内の出世頭となるはずの人材だった。
   若い頃、課長に任用される直前に娘さんが突然病に倒れ、介護が欠かせなく
なったことから昇進を諦め「介護中心の生活」を余儀なくされた。
  しかし、そんな苦労を表に出すこともなく職場では核要員として八面六臂の
活躍を定年まで続けていた。  
  先日、天童で会った際「娘は間も無くかも・・・」と話していたので気になって
いたところ、新聞の訃報欄に「名前が載っている」と山形市内の仲間から連絡
が入った。
 メンバーを代表し米沢の羽賀さんに葬儀に参列して貰ったところ香典返しに
喪主からの「お礼の言葉」が入っていた。
 なお、羽賀さんは深瀬さんに「長い間お疲れ様でした」と申し上げたとの
こと。
 それはフォーラムメンバーは勿論のこと昔の職場の仲間の総意でもあった。
                            合 掌


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山形経済フオーラム

2024-12-08 23:40:09 | 仲間
 今回からメールではなくラインで情報を共有化することになり、会の呼称も
「ユスリタカリの会」から「山形経済フォーラム」とすることになった。
 また、天童ホテルで開催したのは家族の介護の関係で出席不可となっていた
山形市在住のF君に配慮したものだった。

  
 今回もF君の数年分蓄積した舌鋒が鋭く「大笑い」の連続となった。
 その毒舌の餌食となった私が、翌早朝、東京に向け出発する際、Hさんが
「昨夜は呑み足りなく無かったですか?」と声を掛けてくれた。
 それに対し「いいや、煮え湯を沢山呑まされ大満足でした。現役時代は
冷やを食わされ、今は煮え湯を呑まされる可哀そうな存在です」笑い
ながら自虐ネタを披露して天童駅に向かった。


(F君の労作「青雲の写真」の解説もあった)
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名セッター逝く

2024-11-12 21:21:32 | 仲間
 仙台年金友の会(仮称)の主要メンバーの一人だった川越さんが83年の
人生に幕を閉じ彼岸に旅立った。
 西多賀小学校のPTA時代に学校対抗向けに編成したバレーボールチーム
の名セッターだった。
 トスを上げる際の微妙な手首の使い方がアタッカーだった私のタイミング
と絶妙に合致しブロックを気にすることなく気持ちよくアタックを打つこと
が出来た。
 各種大会で好成績を残せたのも川越さんの貢献の賜物だった。



 後年、当時の仲間夫婦で一泊旅行をするようになってからは、ニコニコ
しながら皆の話しに耳を傾け日本酒を嗜む姿が懐かしく思い起こされる。
 東北大学の職員だった関係もあってか、医療の発展に貢献するため夫婦
揃って献体を決めていたので葬儀等はせず「落ち着いてからお別れ会を
開催する」と奥様から連絡が入った。
 家族全員に見送られながら静かに息を引き取ったとのことだった。
                          合 掌
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「土佐のいごっそう」逝く

2024-11-08 18:25:09 | 仲間
 釧路市在住の西内さんとはブログ仲間の付き合いだった。
 海釣り等の模様を毎日に掲載し1日のアクセス数が500件を超える人気
ブロガーだった。
  ある時、山から採取して来た行者ニンニクを根付きで沢山送って頂き畑に
移植したところ、早春に当地産よりも早く産直に出荷することが出来た。
 数年後に「追加で送って欲しい」と無理な注文をしたところ、クマ対策用
のハンターを護衛に付けて山奥から採取し送ってくれた。
 「所要経費等をお支払いし御礼としたい」と申し出たところ「俺は土佐の
いごっそうだ。そんなことをしたら付き合いを止める」と拒否する豪快で
太っ腹な人だった。

 ブログに掲載されていた御尊顔は頑健そのものだったが、数年前から病気
を患い入退院を繰り返すようになっていたらしい。
 今日、奥様から喪中ハガキが届き4月に逝去されていたことを知り驚いた。
 「延命措置はするな。華美な葬儀はせず家族葬にしろ」と言い残しての
旅立ちだった。
                    合 掌
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愛知県豊橋のお客様

2024-11-03 19:21:28 | 仲間
 毎年餅米を買い求める豊橋のお客様との交流は多分10年以上続いて
いるかと思われる。
 いつもは厳美の「道の駅」駐車場での対応だったが、今日は自宅まで
お越し頂いた。
 自ら生産したという大粒のニンニク等々沢山のお土産を持参しての来訪
だった。
  とても餅米の代金を頂戴する訳には行かなかったが、それでは本末転倒に
なってしまうので産み立ての鶏卵や干し柿用の渋柿でお返し」とさせて
頂いた。



   年齢的にはほぼ同世代のご夫妻だったが、毎年のように車での「東北の旅」
愉しみ、時には車中泊も厭わずに動き回っているとのこと。
   我々夫婦も仕事ばかりではなく「人生をもっと愉しまなければ」と反省させ
られた。   
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