安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
トランプのジョーカーはどんなカードの代用もできるワイルドカードとして使われることが多い。
たいそう便利な万能カードというわけだが、政治や行政の世界でも新しい制度が適用される際に
こっそりとジョーカーを用意することがある。
こちらのジョーカーは制度をうまく機能させる切り札として華々しく切られるのではない。逆に
その制度を骨抜きにし、無意味にするためにひそかに忍び込ませる規定のことだ。英語の辞書で
ジョーカーを引けば、明文を無効化する目くらまし条項という語訳がある。
さて、国の官僚が国会議員と接触した時にその記録を作成するよう定めた国家公務員制度改革基
本法という法律がある。その解釈につき基本法を所管する内閣人事局は「不当な要求があった時
のみ記録する」との立場をとった。このカードの効果、絶大だったようだ。
小紙が8年前の法施行後に国の全11省で作成された記録の情報公開請求をしたところ、何と一通
も記録がないことが分かった。先の法解釈に各省がならって、「不当な要求がなかったため」とい
うことらしい。いやはや、みごとなジョーカーの効果というべきであろう。
記録作成についての現内閣の申し合わせは、政策決定過程を残すべきだとする公文書管理法などを
踏まえて対処するというものだった。なのに口利き疑惑の渦中の甘利明前経済再生担当相の秘書が
国土交通省や環境省の幹部と接触していた記録すら作られていない。
政官の奥の院を透視できるワイルドカードだと思って8年間も抱えた手札がこんなありさまである。
ゲームのルールをちゃんと決め直す時ではないか。
高校時代の友達は「生涯の友になる」と言われているが、まさにその言葉通りで
昨夜松島に集った仲間とは高校時代から途切れることなく親交が続いている。
お互いの「長所や欠点を知り尽くしている友」は普段顔を合わせていなくとも
「存在しているだけで生きる大きな支え」となる。
人生も残り少なくなりつつあることから「年一回ぐらいは集まろう」と約束しながら
三年前に集まった以降は「ご無沙汰」となっていた。
積もる話しも多く、昼の三時に集まっていながら「もう寝よう」となったのは夜中の
二時を過ぎていた。
こんな夜更かしは近年稀なことで生活のリズムが狂ってしまい、布団に入っても頭が
冴えたまま「眠れない夜」を過ごしてしまった。
そんな寝不足状態で帰宅し、昼食後は長時間の昼寝となり目が覚めたら外は既に暗く
なっていた。
「仙台年金友の会」(自称)の重鎮である荒川先生(仙台市立西多賀小学校校長を経て東北福祉大准教授として
七年間教鞭をとり昨年3月勇退)が我が高校時代の恩師田村剛一先生(現山田町町議)の新聞投稿記事を切り抜きし、
温かい励ましのお手紙と共に送ってくれた。
今なお教育問題に関心を持つ両先生の「熱き心」に敬意を表し投稿文全文を掲載したい。
(白鳥の定期便で朝は北西へ、夕は南東へ何組も往復する。今朝はバックが青空でなかったのが惜しまれる)
河北新報 2016.2.24
「いじめ防止策」子の変化対処適切に
元教員 田村剛一 (77歳、岩手県山田町)
仙台市泉区の市立中学2年男子生徒が2月3日に自殺した問題で、仙台市教委は、生徒が昨年の校内アンケートに
「きもいと言われる」「無視された」などと書いていたことを明らかにした。
これがいじめに当たり、それが自殺の原因になったかどうかは、今後の調査を待つしかない。ただ、昨年7月に岩手県
矢巾町で起きた中2男子生徒自殺の際にも、学校では当初「いじめは確認していない」としていたものが、第三者委員会
の調査でいじめがあったことが判明したようだ。仙台の中2自殺も、これに似た経緯をたどる可能性がある。
よく「いじめの認定は難しい」といわれる。その通りだと思う。なぜかというと、いじめは仲間と思われるグループの
中で行われること。また、ふざけているのか、いじめているのか、その見分けが難しいからでもある。さらに、いじめ
られていると思われる生徒に直接聞いても「いじめではない、遊びだ」と否定することがあるからだ。
これらをうのみにして教師や親が放置すると、いじめた側は「俺たちの行為は公認済み」となり、エスカレートする。
最近のいじめが陰湿なのは、集団やグループから逃れられないようにしていじめるやり方を取っているからだ。もし誰かが
手助けしようとすると、今度は手助けしようとした者が仲間を裏切ったとしていじめの対象になる。
どんな集団であれ、グループであれ、人が集まると小さなトラブルは必ず起きる。
それがエスカレートして、いじめに発展するのである。だから、いじめを防止するためには、小さなトラブルのうちにそれを
解消させなければならない。
ところが、小さなうちに本人同士でトラブルを解消することが難しい事例が多くなっているようだ。そういう場合には、大人、
つまり親や教師の力が必要である。
子どもたちに接していると、ちょっとした変化が起きることに気付く。例えば「学校行きたくない」と言い出したり、勉強し
なくなったり、金遣いが荒くなったり、言動が粗雑になったり、外出が多くなったり、「友達」がむやみに呼びに来たり・・・。
この変化には教師も親も気付く。聞くと「何でもない」と答えるだろう。その時、親、教師が子どもの変化をそのまま放置すると、
いじめはますますエスカレートし、それが命に関わる悲劇を生む結果になる。変化は救いを求める信号なのだ。
私は、子どものいじめは子どもだけの問題ではなく、大人の問題でもあり、大人の責任であると思っている。
トラブルを経験しながら人間は成長する。それも真理だが、トラブルを解決できない子どもたちも多くいることを、親、教師は
認識し、子どもたちから目と心を離してはならない。子どもの変化に適切に対処する。それが唯一のいじめ防止策であると思うが、
どうだろう。
先日のチェーンソーのトラブルはガイドバーの一部がほんの少し(肉眼では気付かない程度)変形したために
真直ぐに切り進むことができなくなったためのものだった。
やむなくガイドバーを更改することにしたが、それと併せて新たにチェーンソーを増配備することにした。
これまでのものよりバーの長さや馬力を「一クラス上にしたい」は以前からの願望だった。
贅沢かもしれないがチェーンソーは木の大小によって使い分けると便利なので複数台所有しても決して無駄
にはならない。
その新しいチェーンソーが昼過ぎに届いたので早速実戦で使ってみた。
図体が大きくなった分少し重く、振り回されないようこれまで以上に注意を払わなければならないが、能率
アップは予想以上のものだった。
これまでは太い幹を玉切りするのは時間もかかり気が重かったが、新しいチェーンソーだと細い幹を切るのと
同感覚で簡単に裁断出来るようになった。
性能が良くなった分価格もそれなりだった。(破格の値引きで大助かりだったが)
しかし、今後の伐採作業が大幅に効率化されることを勘案すると「安い買い物した」と思っている。
中山間地支払と多面的機能支払の双方の交付金については霜後集落から「仲間外れ」にされて
しまい、結果的に隣接する吉ケ沢(通称は高森)に移行する形となった。
吉ケ沢は人家が全くなく田畑のみが一括りになっている小さな田園地帯でそこで働く農業者は
二家族のみ。
交付金は純粋に「農業のための共同作業」に費消され、今日支給された多面的機能支払いに
ついても「草刈り日当」と「U字溝工事の外注費」に全て充当される。
霜後集落のように税金の目的外利用と思えるような共同作業や役員日当等にピンハネされる
ことがないので大助かりとなっている。
(今年のピンクネコヤナギは何故か「寸足らず」のようだ)
役員の不正追及の途中で不本意ながら「除名」され「霜後の改革」は失敗に終わった。
しかし、そのお陰で「本来の目的に沿った交付金の利用」が出来るようになったことを考える
と「除名してくれてありがとう」と言うべきかもしれない。