安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
基礎的な練習の毎日だけでは子供達に「飽き」が来るので、実力の同程度或いは
少し上のチームとの練習試合も多く設定した。
練習試合は勝敗よりも、経験を積むことと自チームの弱点を把握することが「主な
狙い」だった。
それでも、力が拮抗しているチームとの練習試合では、たとえ連続10セットを
落とし続けたとしても、最終セットだけは「勝ち」に行った。
(一面の麦畑。遠くに栗駒山が聳える。真ん中に見える黒いモノは、熊ではなく
通りかかった乗用車)
子供達は日々上達するので、最終セットが「最新の実力」を示しており、また、
双方の子供達の記憶に残るのは「最終セット」なので、「本番」で戦うことに
なった場合に、その記憶が「勝敗に少なからず影響する」と考えた。
総会の議長役は推薦の形を取るものの、事前に調整し、根回しするのが通例となっている。
今回の元市議の議長が、あれほどの「横暴な進行」をするとは理事長も予想していなかったのではないか。
結果からすると、「ポラーノの独占販売が否決」された前回の議決が、今回は開始早々に「独占販売可」と
なったのだから、理事長は「期待以上の議長役」と内心ほくそ笑んだに違いない。
「道の駅」でのアイスの独占販売は、ポラーノにとって「死活問題」なので、総会の議決など無視して
「継続するもの」と予測していたが、「案の定」だった。
可愛そうに、前回まで三年連続で議長を務め、「理事長への忖度」に励んだ人物は外さてしまった。
「ポラーノの独占販売不可」の議決に関与したがために更迭されたのかもしれない。
(段階的に行っている「晩生の枝豆の播種」が始まっている)
しかし、「独占販売を可とする」決議は、元市議である議長の「頑張り過ぎ(暴走)」が裏目に出て、法的には
「無効決議」と見做される。
その理由として
1. 第1号議案は事業報告であって、しかも、昨年の「総会の議決が無視されている」点を問題にしていたもの。
その際に、唐突に「独占販売で構わない」との意見提起があり、それが「審議案件と無関係な不適切な意見
提起」であったにも関わらず、「これ幸い」と議長が採用して賛否を問い「賛成多数で可決」したものである。
第1号議案は、一年間の事業の実施が「適正であったか否か」を検証し承認を得るための場であって、「新た
なルールを作る場」ではない。
2. そして、議長が冒頭で「議案に関係しない質問、意見は一切受け付けない。」と一方的で不当なルールを宣言
していながら、その舌の根も乾かないうちに「自ら作ったルール」を破っている。
3. また、「民主主義だから多数決だ」と威張っていたが、多数決の大前提となっている「少数意見の尊重」が
全く無視され、反対意見を述べる機会を意図的に奪った横暴で独善的な議決で、民主主義とは相容れないもの
である。
4. 更に、第1号議案では、まず「総会決議が守られなかったことの釈明や責任追及」が為されるべきで、その審議中に
「理事長を無罪放免するための新たなルールを作る」のは、民主主義・法治主義下では絶対に容認できないもので、
独裁国家の所業である。
5. もし、新たなルールを作るのであれば、第2号議案の「新年度の事業計画」の中で議論するのが筋で、しかも、
そこで 議決された新ルールは、「新年度から適用される」ものであることは言うまでもない。
もっとも、残念ながら、そのような議題は第2号議案には見当たらないので、冒頭の「議長ルール」によると、
それも 不可とならざるを得ない。
以上、理事長が厳選したはずの今回の議長は、市議経験者とも思えない「お粗末過ぎる議長」だった。
しかし、この元市議に限らず、他の現職市議も似たり寄ったりで、憲法の大原則である「国民主権」や「基本的人権の
保障」をよく理解しないまま市政に携わっているようだ。
理事長の「組織の私物化」は、「アイスの独占販売」に限らない。
その他の「組合員に対する背信行為」については「その三」以降で言及したい。
バレーのパス練習には、トスやレシーブの基本が包含されている。
「バレーは、パスに始まってパスに終わる」が私の信念だった。
特に、練習開始冒頭のパス練習は、「ウォーミングアップと勘違いしないよう緊張感を持って
正確なパスを行う」ことに注力し、時間もかけた。
オーバーとアンターのパス練習に「練習時間の大半を充ててもいい」ぐらいの気持ちだったが、
子供達の体力と集中力を考慮すると20分程度が限界だった。
(産直に向かう途中の道で)
また、サーブは「プレッシャーがかかった中でも必ず入るサーブ」の練習を中心に据えた。
初級者の試合は、「イージーミスの多い方が負ける」ので、攻撃的サーブで危険を冒す必要は
無いと考えた。
アタックの練習も行ったが、当初は、あまり時間は掛けなかった。
まだ、「そのレベルではない」との判断だった。
例年、理事長や事務局長の「その場凌ぎの虚偽答弁」が恒例化している厳美の「道の駅」の総会があった。
今回、理事長は、「一人野党対策」として本寺の元市議会議員を議長に指名した。
議長は、冒頭「議案の内容以外の質問や意見は許さない。また、私が指名しない人の発言は許さない」と
驚きの威圧発言を行った。
要は「理事長の都合の悪い質問、意見は許さない」とのことなので、直ぐに抗議したが拒絶されてしまった。
それならばと、監査報告資料に記載されている「適正に業務執行されている」を取り上げ、昨年の総会で
決まった「ポラーノのアイスクリームの独占販売の解消が為されていない」点を指摘したら、「昨年のこと
は議題にはない」とハチャメチャ振りを発揮した。
挙げ句の果て、論点をすり替え「民主主義だから多数決で決める」と言って、ポラーノの独占販売を認める
議決をしてしまったのだから呆れてしまう。
まるで、野党の質問を封じ込めるため、与党の幹事長が議長に就任し、横暴の限りを尽くしている様相を
呈していた。
道理に反することや法律に反することも「何でも多数決」という田舎の「悪しき民主主義」&「権力者に都合
のいい民主主義」が、ここでも猛威を振るっていた。
私は、挙手しても発言を許さない議長の傲慢不遜な態度に抗議し、事業報告の承認決議前に途中退席を決めた。
「健全な民主主義の多数決」の前提として、「正しい情報の共有」が必須だが、残念ながら、総会参加者は
理事長や事務局長の虚偽答弁を「真実と誤解」しいるようだった。
(市野々)
菅原理事長に対しては、民事訴訟を提起する予定で既に文書で通知しているが、その前に、背任、名誉棄損、
私文書偽造の容疑で、検察庁に刑事告訴している。
総会資料を見ると、今回の改選役員に名を連ねていないようだが、たとえ退任したとしても、追及の手を緩め
るつもりは毛頭ない。
菅原理事長の悪さ加減は、上記に留まらない。
ポラーノのアイスの独占販売は、典型的な利益相反行為で「無効」とするのが法律の規定だが、法律論を抜きに
しても、「道の駅」とポラーノの双方の理事長を兼務することで、どんなワルサをして来たかを紹介したい。
「道の駅」の理事は、年間30万円の報酬で、非常勤役員である。
理事は、それぞれが組合員として生産活動等の本来業務を有している。
しかし、菅原理事長は、理事長就任と同時に常勤役員のように毎日出勤し、事務局長を指示し、イベントを
やたらに増やし集客を図ったが、費用や稼働をかけたほどの成果が出ているとは思えなかった。
それでも、理事長にとっては、ポラーノのコストや稼働を一切かけずに、ポラーノのアイスの販売増が図れる
「絶好の施策」となっていた。
要するに、「道の駅」の人、モノ、金を使ってボラーノのための業務運営を行っていたのである。
極め付けは、3.11の津波被災地支援を大義名分とした「露骨な売名行為」だった。
生産者が「販売一商品当たり、五円のカンパを通年で行う」と、総会は勿論のこと理事会に付議することもなく
独断で決め、報道発表を行った。
それが被災地を利用した偽善行為であることは、ミエミエで、本当に支援が目的であれば、一枚数円したかと
思われるカンパシールの貼付など不要だったはず。
そんな下心がバレバレとなり、他の産直経営者から大プーイングが起きたという。
理事長の目的は、道の駅をPRすることにより、ポラーノのアイスの販売増を図ることだったので、新聞報道が出た
時点で「目的達成」となり、通年どころか、二カ月程度でカンパの取り組みは雲散霧消してしまった。
それは、カンパが「ポラーノのための悪だくみ」とも知らずに、「通年と言わず、二年でも三年でも続ければいい」
と総会の場で偽善者的ヨイショ発言をした生産者も同様だった。
この不祥事には続編があって、総会に付議することなく実施したにも関わらず、真摯に協力した生産者に対し、感謝の
言葉も無ければ、結果報告も無かった。
更には、集まった金は津波の被災地ではなく「一関市に寄付」したとのこと。
理事長は、他人のフンドシで相撲をとった挙げ句、津波の被災地は「ダシに使っただけ」だった。
」
(その他の不当行為)
・会員でもないポラーノの売り場を一等地に広く設け、オフシーズンにもそのままの売り場を確保している。
・3月の「一歳児の歩き初め」の参加者のお土産に、組合員の生産物ではなくポラーノのアイスクリームを使用
・災害時の停電で、ポラーノが営業休止となった際、道の駅の売り場に「ポラーノは〇月〇日から営業再開」と
表示。
道の駅は、ポラーノにとって、維持費のかからない「支店」と化している。
・昨年の総会後、独占販売を解消することなく、ポラーノの売り場に「当店第5位の売上」と表示。
お客様向けの表示とは思えず、「総会決議無視宣言」のPOPだった。
以上
当時、仙台市内には折立、古城、若林、沖野、八本松、大野田等の有力チームがあった。
子供達が六年に進級する直前、「五年生最後の練習試合がある」とのことで、中澤さんに
誘われて折立小学校まで見学に行った。
新年度から指導することが決まっていたので、小学生のレベルを知る「いい機会になる」
と思った。
しかし、試合は折立のエースの独壇場とも言える一方的な内容で、彼我の実力差は「埋め
尽くせないほど大きい」もの思えた。
帰途、私は中澤さんの車の助手席に座り「胃が痛くなるような暗澹たる気持ち」だったが、
後部座席に乗り込んだ子供達は、敗戦を悔しがることもなくハシャギまくっていた。