安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
ガリレオ・ガリレイは天動説が正しいと信じられていた時代に唯一人地動説を唱え、「神の教えにも背く異端者」との
レッテルを張られ不遇な晩年を送ったという。
死ぬ前に「それでも地球は回る」と言ったとか・・・。
ことほど左様に真実か否かは人数の多寡で決まるものではないが、このような歴史の教訓があるにも関わらず情報化社会
と言われている今の時代でも「多数が正義」が罷り通り真実が歪められることが少なくない。
特に田舎では「誰かがそう言っていた」という類の「検証無しの耳学問」が主流を占めるのでその傾向は一層強いようだ。
春は新緑、秋は紅葉と美しい景色を眺めることは子供の頃から慣れ親しみ「当たり前」のように感じて来たが、昨日の
毎日新聞余禄欄によると「紅葉する樹種の多さで日本列島は他に類を見ない」とのこと。
そんな記事を見て、畑仕事をしながら眺める紅葉の印象も少し変化したように感じられた。
大豆の収穫が続いていて今日は後山の青バタ豆を収穫した。
青バタ豆を作付した二枚の畑の内、一枚目は日当たりの良くない畑だったこともあり不作に近い収穫量だったが、
二枚目は生産部長が「こんなに莢が付いた大豆を収穫するのは初めて」と感激するほどの豊作だった。
嬉しい悲鳴で二台の軽トラに積み切れなかったこともあり、夕方までに全部を収穫することは出来なかった。
しかし、こんな誤算は百姓にとって「大歓迎」であることは言うまでもない。
この畑は一番下に位置していることもあり目が届かず、例年雑草に負けていたことから今年は意地になって
中耕除草や畝間草刈りに精を出した。
その努力が見事に「結実した結果」と満足している。
数日前に栗駒山も初冠雪となり徐々に寒い冬が近づきつつある。
既に居間の薪ストーブも使い始めたが、暫くブランクがあった後の使い始めとなった今月上旬に
大きなトラブルに見舞われた。
煙突から抜けるはずの煙が逆流して来て部屋の中に充満し、しかも着火も良くなく困ってしまった。
夏の間に煙突に「スズメが巣でも作ったのではないか」と疑ったが、施工業者と保守契約をしていた
関係で、煙突やストーブの掃除も兼ねてトラブルの原因を探って貰った。
原因は直ぐに判明した。
煙突に向かう煙の出口の蓋の開け閉めをするダンバーの向きを逆に覚えていたため煙の出口を閉じたまま
使っていたのだからお話しにならない。
ダンバーは「ストーブや煙突が十分に温まってから閉じるもの」と改めて教わった。
その後は順調に使っていて、今夜は既に火が消えてしまったがストーブやレンガの余熱で部屋は十分に
暖かいままとなっている。
会社時代にはよく耳にしながらあまり深く考えることの無かった基本的人権、民主主義、
マネジメント等々の言葉が田舎暮らしでは否応なく意識せざるを得ない。
多分それは「そんな言葉とは無縁の社会が出来上がっているためではないか」と思われる。
(生産部長は今日も「秋堀り」を精力的にこなした)
大は国家から小は町内会のような組織まで含め、組織の運営の基本的な部分は共通なはずだが、
その表面だけを見て本質的な部分を理解していないため理屈に合わない支離滅裂な組織運営を
しいながら何ら違和感も持たず、またそれに異議を唱える者も無い。
そんな発展途上国以前の「のどかで平穏な社会」が田舎には出来上がっている。
日の出前の空に秋の雲の代名詞ともいえる「ウロコ雲」が出ていた。
いつものことながら「朝の景色」は美しい。
スブレッダーを使った田んぼの堆肥撒きを今日で終えた。
乾きが不十分な田んぼは除いたのだったが、それでも毎日のように動けなくなるトラブルに見舞われた。
「溝切り」を手抜きしたツケが稲刈りだけでなく堆肥撒きにも影響を及ぼした。
特に今日は救出に難儀した。
少し段差のある農道に逃げるしかない状態になったが、農道の反対側が低くやや広い堰となっていたので
「脱出すると同時に横転する危険」もあって冷や汗をかく一瞬だった。
高低差のある中山間の農作業には常に危険が付きまとうが、そんな状況にしてしまったことを反省しなけれ
ばならない。