スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
12日に放映された第28回銀河戦 の決勝。対局日は10月15日。その時点での対戦成績は藤井聡太二冠が3勝,糸谷哲郎八段が0勝。
振駒で藤井二冠の先手となり,糸谷八段の8筋を交換しない横歩取り力戦。先手がやや有利に展開してたようです。
先手が4筋の歩を歩を伸ばした局面。ここで後手は☖7四歩と打ち,先手は☗8六角と引きました。どちらに角を引くのか打診したということでしょうが,玉の逃げ道を狭める意味もあり,この交換は微妙でした。
敗着になったのはおそらく次の☖4五飛。おそらく後手が軽視していたであろう☗3四銀と打つ手が好手。☖1五飛は☗4三銀成なので☖4四飛と引きましたが☗4五歩と打たれ,飛車が取られる展開になってしまいました。この陣形で飛車を渡してしまっては後手はアウトです。
☖4五飛のところでは☖2七歩成とするか,☖6五歩と取っておくかすれば,苦戦ではあってもまだ離されずについていけたでしょう。
藤井二冠が優勝。2018年度の朝日杯将棋オープン 以来となる4度目の棋戦優勝で銀河戦は初優勝です。
『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali 』は,ガリレイGalileo Galileiの最晩年の著作です。1638年に出版されたもので,この著作はガリレイ自身が書いたのではなく,弟子に口述筆記させたものです。最初に紹介したように,この著作は対話形式で進められていて,ガリレイ自身の分身とみられるサルヴィヤチSalvyachiという人物が質問に答える形式になっています。この質問者が,口述筆記をした弟子であるのか,質問者の質問の部分もガリレイが考えて口述筆記させたものなのかということは分かりません。
この本が出版されたのがオランダでした。このことからも,当時のオランダが少なくともイタリアより進歩的な国家であったことは推測できると思います。イタリアがカトリックの総本山であるのに対し,オランダはプロテスタント国家でした。そして,スペインやポルトガルで宗教的理由から迫害されたユダヤ人,そこにはスピノザの父親も含まれますが,そうした人びとを受け入れていたのです。おそらく『新科学対話』も,オランダであったから出版できたのであり,イタリアでは出版することは不可能だったでしょう。したがって,ガリレイが宗教裁判にかけられ,デカルト René Descartesやスピノザがそこから逃れることができたのは,ガリレイがイタリアで活動したのに対し,デカルトとスピノザはオランダが活動の中心であった点が大きく影響していたのだと思います。
ステノ Nicola Stenoがデカルトの哲学のことを新哲学といっている書簡六十七の二 は,1675年に出されたものです。そしてステノというのは,プロテスタントからカトリックに改宗し,オランダからイタリアに渡った人でした。その後,フランスに移り,ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizとも面識がありました。このカトリックへの改宗者がデカルトの哲学を新哲学といっているのは,ステノ自身のことばではなく,おそらくカトリックのうちで一般的にいわれていたものではなかったかと僕は思います。したがって,ステノ自身が『新科学対話』,ガリレイ自身が著作のタイトルとしている語でいえば新しい科学というのを意識して,デカルトの哲学のことを新哲学といっているという可能性は,僕には低いように思えます。つまりこの観点からはふたつは無関係だと思います。
13日に松戸競輪場 で行われた千葉記念の決勝 。並びは吉沢‐武田‐芦沢の茨城,岩本‐和田の千葉,佐々木に近藤,上田‐中本の熊本。
近藤がスタートを取って佐々木の前受け。3番手に上田,5番手に岩本,7番手に吉沢で周回。残り3周のホームから吉沢が上昇開始。バックで岩本が芦沢の後ろにスイッチ。2周目のホームで吉沢が前に出るとさらに岩本が叩いて前に。その外から上田も上昇し岩本を叩きました。前から上田,3番手に岩本,5番手に吉沢となり,8番手の佐々木が打鐘から発進。バックで前まで迫りましたが中本が抵抗。佐々木の捲りを阻止した中本はそのまま発進。直後にいた岩本も発進し,後方から吉沢もきて捲り合戦。岩本が中本を捲ると,マークの和田が中本と競るような形になったこともあり,差を詰められることなく優勝。中本を競り落とした和田が1車身差の2着に続いて千葉のワンツー。外を捲り追い込んだ吉沢が半車輪差で3着。中本は4分の3車輪差の4着。
優勝した千葉の岩本俊介選手は10月の川崎のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は8月の松戸記念 以来の3勝目。千葉記念は初優勝。12月も中旬になるとトップクラスの記念競輪出走は少なくなります。この開催もそうで,このメンバーだと現状の脚力では岩本と吉沢の争いになりそうでした。岩本の方が前に位置することができ,上田の捲りで一時的に被る形となってピンチでしたが,すぐ前にいた中本が番手捲りのようなレースに出たため,かえって絶好になりました。吉沢も作戦的に失敗だったとは思いませんが,結果的にいえば,上田が発進したときにすぐに行くべきだったということになるでしょう。
ガリレイGalileo Galilei,デカルト René Descartes,スピノザの3人が生きた時期を詳しくみておきましょう。
3人のうち,最も早く産まれたのはガリレイで,1564年です。ガリレイはこの時代の人としてはかなり長命で,1642年まで生きました。デカルトは1596年に産まれています。死んだのは1650年で,ガリレイより32年の年下ということになりますが,ガリレイが長命だったこともあり,生きた時代のほとんどはガリレイも生きた時代であったことになります。スピノザが産まれたのは1632年で,このときにはガリレイもデカルトも生きていました。スピノザが10歳のときにガリレイが,18歳のときにデカルトが死んだということになりますので,スピノザはガリレイおよびデカルトに対しては,少しだけ後の時代の人だったと解した方が適切でしょう。とはいえ,ガリレイ,デカルト,スピノザの3人が揃って生きていた時期というのがあるわけですから,3人が同時代人であるということは間違いではありません。
有名なことですが,ガリレイは地動説を巡って宗教裁判にかけられています。1度目が1616年で2度目が1633年になります。とくに2度目のときは有罪判決を受け,その後に減刑されるのですが,終身刑になっています。1633年は1歳とはいえスピノザは産まれていました。ガリレイは地動説を真理veritasと確知していたのですが,この点はデカルトもスピノザも同様です。ガリレイが異端審問で有罪判決を受けたのに対し,デカルトやスピノザがそうではなかったのは,ガリレイが天文学者とみられていたのに対しデカルトやスピノザは必ずしもそうではなかったからという面があったのも事実であるかもしれませんが,最も大きく関係したのは,活動した地域でしょう。ガリレイはカトリックの総本山といえるイタリアで研究を続けました。よってイタリアの宗教裁判を受けることになりました。デカルトはフランス人でしたが,思索活動の中心はオランダでした。スピノザは生涯をオランダで過ごし,国外に出たのはユトレヒト訪問 だけです。デカルトが思索の場としてオランダを選んだのは,そこが自由な思索に最も適していたからだと思われます。
香港のシャティン競馬場で行われた昨日の国際競走。
香港スプリントGⅠ 芝1200m。ダノンスマッシュは少し押しながら7番手の外。タワーオブロンドンは9番手の外。コーナーでダノンスマッシュの外まで上がって直線に。ダノンスマッシュは内から6頭目でタワーオブロンドンはその外。タワーオブロンドンはまったく伸びを欠き,勝ち馬から10馬身4分の3差で13着。ダノンスマッシュはよく伸び,内の馬をすべて差し切ると後ろからの追い上げも凌いで優勝しました。タワーオブロンドンは速力に翳りが見えていましたので,苦戦すると思っていましたが,これほど負けるのは,能力以外の要因もあったと推定されます。ダノンスマッシュは大レースは勝てていませんでしたが,勝っていた馬に匹敵する能力があることは明白だったので,チャンスはあると思っていました。スプリント路線では強い香港の馬を相手に外を回ってのもので,強い内容だったと思います。
優勝したダノンスマッシュ はセントウルステークス以来の勝利。重賞7勝目で大レース初制覇。父は2012年 と2013年 に連覇を達成したロードカナロア で父仔制覇。騎乗したイギリスのライアン・ムーア騎手は昨年の朝日杯フューチュリティステークス 以来の日本馬に騎乗しての大レース11勝目。管理している安田隆行調教師はJBCレディスクラシック 以来の大レース16勝目。2012年,2013年に続く香港スプリント3勝目で海外重賞も3勝目。日本馬による海外重賞の勝利は昨年の香港国際競走 の3勝以来。香港スプリントは7年ぶり3回目。
香港マイルGⅠ 芝1600m。アドマイヤマーズは押して2番手。内の逃げ馬より前に出るかの勢い。コーナーで並び直線に。残り400mから追われると,突き抜けた勝ち馬には楽に差されましたが,3頭による2着争いには最後まで加わり,勝ち馬から2馬身4分の1馬身差,2着馬からは4分の1馬身差の3着でした。この馬に適したレースをしての結果で,勝った馬が強かったというほかありません。ペースがもう少し早い方が,持ち味はより生かせた可能性はあるでしょう。
香港カップGⅠ 芝2000m。ダノンプレミアムは逃げ馬の外から最初のコーナーで下げて2番手。やや行きたがっていました。ウインブライトが4番手でノームコアが5番手。ダノンプレミアムは楽な手応えで直線に入りましたが,行きたがっていたのが響いたのか伸びを欠き,勝ち馬から2馬身差の4着。出走した日本馬の中では最も能力が高いと思っていましたが,この馬は相変わらず相手関係よりも自身との闘いが必要なようです。ウインブライトは3番手で直線に入り外へ。さらに外を回ったノームコアに差されて4分の3馬身差の2着。この馬はシャティン競馬場への適性が高いのですが,今年の日本でのレースの内容からは能力がやや衰えていると感じていましたので苦戦と思っていました。ですのでこの結果は僕にとっては好走だと思います。ノームコアは5番手で直線に向き大外へ。内の各馬を差し切って優勝しました。この馬は札幌記念を牡馬相手に勝っていましたので,彼我のレベル差を考慮すればチャンスはあるとみていました。最後までよく伸びていたように,仕掛けのタイミングが絶妙だったということになりそうです。
優勝したノームコア は札幌記念以来の勝利。大レースは昨年のヴィクトリアマイル 以来の2勝目。母の父はクロフネ 。3代母がラスティックベル 。ひとつ下の半妹に昨年のクイーンカップと秋華賞 ,今年の京都記念と宝塚記念 を勝っている現役のクロノジェネシス 。Normcoreは究極の普通というファッションの潮流。騎乗した香港のザカリー・パートン騎手は2014年のコーフィールドカップ 以来の日本馬に騎乗しての大レース2勝目。日本では2015年に高松宮記念 を勝っています。管理している萩原清調教師は昨年のヴィクトリアマイル以来の大レース8勝目。海外重賞は初勝利。日本馬による香港カップ制覇は1995年,1998年,2001年,2015年 2019年に続き2年ぶり6回目。
香港では中国本土の政府による市民への弾圧が強まっています。僕はこの事態に強く抗議するとともに,抵抗する市民の方々を支持します。
ある事物の現実的本性 actualis essentiaが,他との関係を消去して考察し得ないものであるとすれば,スピノザの哲学というのは,ある事物,とくにある個物res singularisが別の個物と関係するということを前提した哲学であることになります。別のいい方をすれば,ある個物が別の個物と関係するということを与件としなければ,スピノザの哲学は成立しないということになります。第一部定理一六 から容易に推測できるように,そうした個物というのは無限に多くあります。つまり無限に多くのinfinita個物の関係性の下に,スピノザの哲学は成立していることになります。この意味において,僕はスピノザの哲学は静哲学ではなく動哲学であると考えるのです。
もちろんこうしたことは僕の見解opinioなのであって,これとは別の見解があり得るということも僕は認めます。たとえばニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheは,ニーチェ自身の哲学が動哲学なのであって,それと対比したときにスピノザの哲学は静哲学であるというかもしれません。これは何をもってそれを静哲学といいまた動哲学というのかという規準が異なるから見解が異なることになるのであって,少なくとも何が静哲学で何が動哲学であるかということを分かつ規準がそれぞれによって異なり得るということは認めなければならないでしょう。そもそも動哲学とか静哲学というのは,静力学と動力学に対応させて僕がここで便宜的に名付けた分類にすぎないからです。よって僕と異なる見解があったとしても,僕はそのことについて強硬に反論するつもりはないということは理解しておいてください。ただ僕がここでいいたかったのは,新科学から新哲学を僕が類推するのは,ただ単に新しい学問ということばでの上での一致があるからというだけであるわけではなく,静と動という対比もそこにあるように思えるからだということです。
ステノ Nicola Stenoがデカルト René Descartesの哲学を新哲学といっていることと,ガリレイGalileo Galileiが自身の科学を新しい科学と自負していることの間に,何らかの関係があるのか否かということは僕にははっきりとは分かりません。ただ,ガリレイとデカルト,そしてスピノザというのは,そう遠くない時代に生きた人間という意味で,同時代人であったということは事実です。
第72回阪神ジュベナイルフィリーズ 。
好発はリンゴアメ,サルビア,ヨカヨカの3頭。リンゴアメはすぐに控え,ハナに立ったのはヨカヨカ。外から上昇してきたポールネイロンがサルビアと並んで2番手。4番手にエイシンヒテン。5番手にソダシ。6番手はリンゴアメとシゲルピンクルビーとインフィナイト。9番手にサトノレイナスとアオイゴールド。11番手にウインアグライアとナムラメーテルでここまでは一団。2馬身差でフラリオナとメイケイエール。15番手にルクシオンとユーバーレーベン。後方2番手がオパールムーン。3馬身差の最後尾にジェラルディーナという隊列。前半の800mは46秒8のスローペース。
ヨカヨカ,ポールネイロン,エイシンヒテンの3頭が雁行状態で直線へ。逃げたヨカヨカが一旦は2頭を離しました。大外から追い込んできたのがメイケイエールでこの2頭の間からソダシ。さらにメイケイエールの外からユーバーレーベンも脚を伸ばし,ヨカヨカとソダシの間からサトノレイナスも伸びてきて大激戦。フィニッシュではサトノレイナスとソダシが並んで写真判定に。優勝は外のソダシでサトノレイナスがハナ差の2着。大外のユーバーレーベンがクビ差の3着でメイケイエールが半馬身差の4着。最後は疲れたヨカヨカは1馬身半差で5着。
優勝したソダシ はここまで新馬,札幌2歳ステークス,アルテミスステークスと3連勝。4連勝,重賞3勝目での大レース制覇。このレースは無敗の馬が強いレースで,ここも1着,2着,4着。そして3着馬はソダシが勝った札幌2歳ステークスの2着馬で,この4頭が接戦での決着となりましたので,きわめて能力を反映した結果になったとみてよいと思います。なので今日はソダシが勝ちましたが,接戦でしたから次は着順が変わるというケースもあり得るのではないでしょうか。父はクロフネ 。母の父はキングカメハメハ 。母の7つ上の半姉に2010年のNARグランプリ の最優秀牝馬のユキチャン 。馬名はサンスクリット語で純粋。
騎乗した吉田隼人騎手は2016年の全日本2歳優駿以来 の大レース3勝目。阪神ジュベナイルフィリーズは初勝利。管理している須貝尚介調教師は2017年のヴィクトリアマイル 以来の大レース13勝目。第64回 ,65回 に続く7年ぶりの阪神ジュベナイルフィリーズ3勝目。
僕がスピノザの哲学について,それを静哲学か動哲学かに分類するのであれば,動哲学であるとみなすのにはふたつの理由があります。
ひとつはスピノザの哲学では,事物の本性essentiaと事物の実在性realitasが,観点の相違に帰着するという点です。すなわちある事物を本性という観点からみるとき,それはその事物の形相formaを意味することになるのに対し,その同じ事物を実在性という観点からみれば,それはその事物が有する力potentiaを意味することになる点です。いい換えればある事物の実在性は,その事物の力という観点からみられた本性であることになるのです。よってスピノザの哲学では,存在するものは必ず何らかの力と共に,いい換えればある動的なエネルギーと共に存在することになるのです。よって,どんな事物にもそれに固有の本性があるのですから,それと同じようにすべての事物はそれに固有の実在性という力を有していることになります。もしも事物が単にその形相としてのみみられるのであれば,その哲学は静哲学といわれ得るかもしれません。しかし動的エネルギーをもつものとしてすべての事物が規定されているのであれば,このような哲学を静哲学というのは困難で,動哲学といわなければならないと僕は考えるのです。
もうひとつは,現実的に存在する事物の本性すなわち現実的本性actualis essentiaは,その事物にのみ着目するだけでは理解し得ないという点です。第三部定理七 から分かるように,スピノザの哲学ではある事物のコナトゥス conatusがその事物の現実的本性であるとされます。しかるに第三部定理九 により,この現実的本性は精神 mensが十全な観念idea adaequataを有しているのか混乱した観念idea inadaequataを有しているのかということとは関係ありません。いい換えれば第三部定理一 により,精神が働いているのか働きを受けているのかということと関係ありません。つまり,精神がある思惟の様態cogitandi modiによって働きを受けるpatiことによっても,その事物の現実的本性は決定されます。よってスピノザの哲学である事物の現実的本性を考察する際には,その事物が働きを受けている場合の,働きかけている事物を排除することができません。つまり他との関係なしに現実的本性を理解することは不可能なのです。
9日に指された第10期女流王座戦 五番勝負第四局。
西山朋佳女流王座の先手で三間飛車。後手の里見香奈女流四冠は角が交換になってから向飛車に振っての相振飛車 に。序盤は先手が失敗した模様で,千日手含み の中盤が長い将棋に。後手が穴熊に潜ったところで先手から攻勢 に出ました。厳密には無理だったようですが,後手が反撃のチャンスを逸したためにもつれました。
後手が王手に攻防の角を打ち,先手が合駒をした局面。後の展開からも分かるようにここは☖7六香と王手をしておくべきでした。先手はおそらく☗6九王と逃げることになりますが,後手も☖7二玉とし,入玉を狙うべきだったようです。
実戦は☖2四飛と金取りに浮きました。これは強い受けですが☗6三銀と打たれました。☖同角は仕方がありませんがそこですぐに角を取るのではなく☗5三角 の王手。☖同金☗同桂成☖7二玉☗6三金という手順で角を取られ☖8二玉のときに☗7五歩と香車も取られることに。
第2図となっては飛車が浮いたのが空を切った形。香車も渡したので☗9五香で入玉を阻止する手も生じ,後手の勝勢となりました。
西山王座が勝って2勝2敗 。第五局は14日に指される予定です。
ガリレイGalileo Galileiは自身の書籍のうちに新しい科学という語を入れています。したがって自身の科学というものに,何らかの意味で新しいものであるという自負を持っていたことは疑い得ないでしょう。それがどのような意味で新科学であるとみなすべきなのかということは,河合が巻頭言の中で示しています。それは静力学から動力学への展開であったということです。すなわちガリレイ以前の科学が静力学であったとすれば,ガリレイの科学は動力学であるというのが,河合の解釈であるということになります。
僕はたとえばスピノザとロバート・ボイル Robert Boyleとの間で交わされた文通の中で,硝石について語られている部分についてはそれ自体を検討しませんでした。あるいは『主体の論理・概念の倫理 』や『〈内在の哲学〉へ 』に関連する考察の中で,集合論というのが純粋に数学の論理としてどのような論理であるかということも検討していません。そうしたことを検討することは,僕の能力を大幅に超過してしまうからです。これと同様に,ガリレイがいう新科学というのがどういう科学であるかということも,ここでは考察しません。これもまた僕の能力にとっては負担が大き過ぎるからです。ですから,それが動力学を意味するのだということはあくまでも河合が解釈しているところなのであって,僕自身が出した結論ではありませんし,またガリレイがその点をもって自身の科学は新しい科学であると自負していたということを,僕自身が強く主張したいわけではありません。同様にそのことを保証するものではないということは理解しておいてください。
静力学と動力学がそれぞれどのような力学であって,その根本的な相違がどこにあるのかということは僕には不明です。ただ,これに倣って哲学を静哲学と動哲学に分類するということは,少なくともイメージの上では,他面からいえば学術的な確証を不要なものとするのであれば,僕には可能であるように思われます。デカルト René Descartesは二元論者でスピノザは一元論者ですが,両者の哲学は静哲学か動哲学かで分類すれば,それは動哲学に分類されなければならないでしょう。とくにスピノザの哲学の場合は,その傾向が強いです。
昨日の第20回名古屋グランプリ 。
逃げたのはダイシンインディー。2番手にシンボで3番手にキーグラウンド。4番手はロードゴラッソとマスターフェンサー。この5頭は一団。2馬身差でミツバ。1馬身差でサクラアリュール。3馬身差でサウンドトゥルー。2馬身差でサザンオールスターとスパークルメノウ。1馬身差でグランドサッシュ。1馬身差の最後尾にメイショウオオゼキ。この隊列がほとんど変わらないままレースが進みました。
逃げたダイシンインディーは2周目の3コーナー手前から後ろを離しにかかりました。追ってきたのはマスターフェンサー。コーナーの途中で追いつき,直線に入るところで先頭に。ここからダイシンインディーを引き離していき快勝。内を回って直線で鋭く伸びたロードゴラッソが2馬身差で2着。逃げ粘ったダイシンインディーが1馬身差の3着。
優勝したマスターフェンサー は白山大賞典 以来のレースで重賞3連勝となる3勝目。ここは能力上位。前走で小回りの競馬場にも適性があることは示していましたし,距離が延びることはこの馬にとってはプラスに働くと思えましたので,順当な優勝と判断していいでしょう。このくらいのレベルのレースで3連勝としていますが,この馬はもう少し上のレベルでも戦うことが可能だと思っています。父はジャスタウェイ 。Master Fencerは剣豪。
騎乗した川田将雅騎手は第18回 以来2年ぶりの名古屋グランプリ2勝目。管理している角田晃一調教師は名古屋グランプリ初勝利。
まとまった考察ではなく個別の考察ですので,順にいきます。
『スピノザ―ナ10号 』の巻頭言のタイトルは「ガリレオの『新科学対話』とスピノザ」となっています。すでに説明したように,内容的にも分量的にも論文というよりコラムです。
このコラムの著者である河合徳治は,著作である『スピノザ哲学論攷 』にしろ『哲学書概説シリーズ スピノザ『エチカ』 』にせよ,『エチカ』でいえば第二部の自然学 Physical Digressionを重視する傾向があります。ほかの学者との比較でいえば,その傾向は際立っているといっていいくらいだと僕には思えます。ですから自然科学者として現在にも名を残しているガリレイGalileo Galileiの中に,スピノザ主義の要素を見つけ出そうという関心を有したとしても,さほど不思議ではないといえるでしょう。
ガリレイの『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali 』というのは略称であって,実際にガリレイが書いた著作の原題をそのまま訳せば,『機械学と位置運動についての二つの新しい科学に関する論議と数学的証明』となるようです。この本は岩波文庫から翻訳書が出ているようですが,僕は読んだことはありません。河合は何か所かコラムの中に抜粋しているのですが,著作は対話形式で書き進められているようです。ですから岩波文庫版のタイトルは『新科学対話』となっているのでしょう。
河合は何も触れていませんが,この新科学という語が,僕にはスピノザに関連するある事柄を想起させます。ガリレイの著作の原題には新しい科学という語が入っていますので,新科学の部分だけに注目してもさほど問題とはならないでしょう。そして僕が連想してしまうのは,ステノ Nicola Stenoからスピノザに送られた書簡六十七の二 です。このときステノはスピノザのことを新哲学の改革者といい,新哲学の改革者へ宛てた真の哲学についての手紙,というのがこの手紙の表題となっているのです。
この新哲学というのがスピノザの哲学を意味するわけではありません。むしろスピノザはその改革者といわれているからです。では新哲学,すなわちスピノザが改革しようとしているとステノがみた新哲学というのが,だれの哲学であるのかといえば,これは当然ながらデカルト René Descartesの哲学になります。
昨晩の第12回勝島王冠 。
マイネルクラースは伸び上がるような発馬で1馬身の不利。1コーナーを回ってからかなり強引に内に切れこんでカジノフォンテンがハナへ。2番手のチャイヤプーンが外から並び掛けていく形。切り込まれたテルペリオンはゴールドホイヤーと並んで3番手。5番手にアンダーザスターとモジアナフレイバー。この後ろはマースインディ,ノンコノユメ,リッカルド,ノーブルサターン,サブノクロヒョウの5頭の集団。さらにロードアルペジオ,マイネルクラース,クロスケの3頭が集団で続き,後方2番手にハセノパイロで最後尾にジョーストリクトリという隊列。最初の800mは50秒2のスローペース。
3コーナーを回るとカジノフォンテン,チャイヤプーン,ゴールドホイヤーの3頭は雁行となり,モジアナフレイバーがさらにその外から捲り上げる形に。直線を前にしてゴールドホイヤーは一杯。少し外に出てきたカジノフォンテンが再び抜け出し,モジアナフレイバーがチャイヤプーンを差して2番手に上がりました。しかしモジアナフレイバーはここから伸びを欠き,カジノフォンテンが再び突き放して鋭く逃げ切り優勝。最内から脚を伸ばしてきたノンコノユメがフィニッシュ寸前で外のモジアナフレイバーを差し切って2馬身差の2着。モジアナフレイバーはハナ差の3着。
優勝したカジノフォンテン は前走のオープンから連勝。南関東重賞は京成盃グランドマイラーズ 以来の2勝目。ここはモジアナフレイバーとノンコノユメが能力では上。先手の奪い方は強引であまり褒められたものではなかったっように思えますが,そこからペースをうまく落とせたことで,能力上位の2頭の差し脚を封じたという内容でしょう。前走で2000mを勝っていましたが,これは相手関係も大きかったところ。今日の相手で1800mで勝ったというのはこの馬にとって大きな収穫といえそうです。父は2008年にピーターパンステークス に勝ったカジノドライヴ 。母の父は1996年に中山金杯,1997年に中山金杯と東京新聞杯に勝ったベストタイアップ 。母は2002年にスパーキングレディーカップ,2003年にエンプレス杯,2005年に報知グランプリカップとTCKディスタフに勝ったジーナフォンテン 。
騎乗した船橋の張田昂騎手は京成盃グランドマイラーズ以来の南関東重賞2勝目。管理している船橋の山下貴之調教師は南関東重賞2勝目。
この日に1冊の本を読了しました。スピノザ―ナ の10号です。以前に読んだ15号 は2017年1月20日に発行されたもので,この10号は2010年4月30日の発行。コンテンツを簡単に紹介します。
まず『スピノザ哲学論攷 』の河合徳治による巻頭言があります。これは内容的にも分量的にも論文というよりコラムに類します。
次に2009年2月4日に亡くなった柴田寿子の訃報と略歴,業績の紹介があります。柴田は政治論を中心とした学者で,僕はまとまった著作を読んだことはありません。現代思想の1996年の11月臨時増刊の総特集スピノザの中に,「デモクラシーのもう一つの可能性」という論文があり,これは僕も読みました。
次が松田克進の「〈自己原因〉論争の「目撃者」としてのスピノザ」です。これは『スピノザの形而上学 』には部分的に,『近世哲学史点描 』には全体が所収されています。
次は柏葉武秀の「存在しないものの存在論」です。表題からは内容がつかみにくいかもしれませんが,スピノザがいう精神 mensの永遠性aeternitasを,どのように理解するのが適切であるかということを,ある観点から特化して究明しようとする論考です。
次が近藤智彦の「自由意志と目的論の帰趨」です。これはスピノザの哲学とストア派の思想の間の類似性を解明しようとする試みです。
最後に柴田寿子の『リベラル・デモクラシーと神権政治』という著作の書評があります。評者は川添美央子です。
15号のときはまとまった考察はせず,興味深い内容を含むものについて,本論と別の仕方で探求しました。しかし今回はその方法は採用しません。というのは,まとまった考察をしたいと思える内容が多く含まれているからです。コンテンツの紹介でいったように,僕は柴田寿子については著作を読んだことはありませんので,訃報や業績の紹介の部分はもちろんのことですが,川添による書評の部分も考察の対象としません。しかしそれ以外のものはごく短い巻頭言も含み,考察の対象にしたいと思う部分が含まれています。ですからそれらを順に考察してくことにします。ひとつのコラムと3本の論文ですから,長くなるかもしれません。
先週の兵庫ジュニアグランプリ を勝ったデュアリスト の父はミッキーアイル です。父はディープインパクト 。3代母がステラマドリッド 。2017年のNHKマイルカップ とクイーンステークス,2018年の毎日王冠を勝った従妹のアエロリット など,近親に多数の活躍馬がいます。
2歳9月にデビューして2着。11月にレコードタイムで未勝利を勝つと12月の1勝クラスも連勝。3歳1月にシンザン記念で初の重賞制覇を飾ると3月のアーリントンカップも勝って重賞連勝。さらにNHKマイルカップ も一杯に逃げ切り,5連勝で大レースを制覇しました。そのまま安田記念 に出走しましたがこれはジャスタウェイ の16着に大敗。
秋初戦のスワンステークスは逃げ切って重賞4勝目。しかしマイルチャンピオンシップ は13着に大敗し,続けて出走した阪神カップもリアルインパクト の7着。
4歳初戦の阪急杯はハナ差の2着。高松宮記念 は3着でした。安田記念 は15着と大敗。
秋はスプリンターズステークス から始動し4着。香港スプリント に遠征して7着。
5歳初戦の阪急杯で重賞5勝目。高松宮記念 は2着でした。
ラストシーズンとなった秋はスプリンターズステークス で復帰し2着。マイルチャンピオンシップ は直線でほかの馬に不利を与える後味の悪い内容ではあったものの逃げ切って優勝。大レース2勝目。引退レースとなった阪神カップは6着。この年のJRA賞 の最優秀短距離馬に選出されました。
ディープインパクトの産駒は瞬発力に長けた馬が多い中,逃げたり先行したりして粘ることを身上としたこの馬はやや異色の存在。タイプとしていえばダイワメジャーに近いです。能力そのものはダイワメジャーほどではないにせよ,牝系が優秀なのは種牡馬としての魅力のひとつ。初年度産駒からデュアリスとのほかに小倉2歳ステークスとファンタジーステークスを勝っているメイケイエール も出ていて,上々の滑り出しでしょう。
7月10日,金曜日。I歯科に歯科検診の予約を入れました。午後3時25分に,お寺の奥さんから電話がありました。8月に母の三回忌を営むことになっていましたので,その期日の調整に関する電話でした。
7月11日,土曜日。妹は土曜レクリエーションでした。ですからこの週末は妹を迎えに行きませんでした。
7月12日,日曜日。伯父,父のきょうだいの長男から電話がありました。日野公園墓地の父と父の両親の遺骨を,お寺の会堂へ移すための手続きに関する確認のための電話でした。伯父は事前に石材店に対する支払いを完了させておかなければならないと思い込んでいて,それを済ませておいてほしいという要望を出しましたが,僕は春の彼岸のときの石材店の店主との会見で,支払いは当日に現金でするという確認を取っていましたので,先に日程を決めてしまってよいと答えました。
7月13日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時10分でした。この日も問診票の記入などをする必要がありませんでした。病院に到着すると僕はすぐに保険証確認 をしますが,この日はしていません。確認は1ヶ月に1度で,僕は前週の検査のときに済ませてあったからです。すぐに予約票を出して中央検査室へ。待っている患者はひとりでしたので,採血をしてから採尿をしました。この日は使用済みの注射針は持参していませんでした。
診察が始まったのは午後3時25分でした。HbA1cは7.5%で,6月 より上昇していました。サマリーによれば血糖値 の平均は,6月が163.0㎎/㎗で7月は196.1㎎/㎗と高くなっていました。これは6月にトレシーバの注射量を減らした影響でしょう。しかし低血糖は0になっていました。HbA1cはこのくらいであれば問題ないとのことでしたので,このままの措置が継続されることになりました。この日もこれ以外に異常は何も出ていませんでした。
先週の検査の結果については,主治医から口頭で伝えられました。いずれの検査の結果も問題はなかったとのことでした。
この日は薬局にインスリンも注射針もありました。帰宅したのは午後4時45分でした。
5日と6日に箱根温泉で指された第33期竜王戦 七番勝負第七局。
羽生善治九段の先手で矢倉 。後手の豊島将之竜王が雁木。後手が銀損の攻めを敢行する代償にと金を作る展開に。
先手が8六に歩を打ち ,後手が8五の飛車を逃げた局面。ここは☗4五桂と取られそうな桂馬を逃げる手も有力だったようです。ただ☖4三金左あるいは右で飛車を切る攻めになります。☗2四歩と突いたのはそれを嫌ったからだと思われます。
後手はこれを無視して☖3七歩成と取りました。こうされては先手は攻めていくほかなく,☗2三歩成☖同金☗4三銀。ここで☖3三金と寄ったのがうまい受けでした。先手は☗5二銀成☖同王☗6一銀と攻め続けましたが☖5三王が力強い一手。
これで先手は飛車を逃げざるを得なくなりましたが,この展開は後手の2枚のと金が生きる形。☗2四歩を取ってもらえないのであれば☗3四飛☖3七歩成☗同飛のような順で妥協するほかなかったことになりそうです。
4勝1敗で豊島竜王が防衛 。第32期 からの連覇で2期目の竜王です。
6月16日,火曜日。午後7時55分に前日に依頼しておいたトレシーバが配達されました。
6月19日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
6月22日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
6月26日,金曜日。午前11時20分に,地域担当支援主任 のSさんから電話がありました。3日に三者面談 の書類を送付したのですが,そこに記入の漏れがあったので訂正してほしいということでした。この日に妹を通所施設に迎えに行きましたので,事務所で訂正しました。
6月29日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
7月2日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。午後8時55分にピアノの先生 から電話がありました。土曜日に行われるピアノのレッスンの開始時刻の件です。
7月3日,金曜日。妹の本牧脳神経外科への通院でした。この日は採血をしました。妹から採血するのは大変なのですが,この日は右腕の肘の裏から1度だけで採血することができました。
7月4日,土曜日。午後1時45分にピアノの先生から電話がありました。レッスンは午後2時からの予定でしたが,15分ほど遅れるとのことでした。ただ実際には午後2時5分に先生は到着しました。
7月6日,月曜日。妹を通施設に送りました。
7月8日,水曜日。6月の通院で主治医に支持された諸検査の日でした。
病院に到着したのは午前10時55分でした。検温および問診票の記入なしに入場することができるようになっていました。午前11時が神経伝導検査の予約時間で,概ねその時間通りに検査が始まりました。その後,ほとんど待ち時間なしに,血圧・脈波検査,頚部血管エコー検査の順で行われました。やはりこれらの検査は予約時間とは関係なく,検査に空きがあればすぐに行うことができます。すべての検査が終わったのは午後12時15分でした。清算をして,院内の食堂で昼食を摂りました。僕は普段の通院のときは途中まで歩いていくようにしていますが,この日は午前中でしたのでバスで来院しました。なので帰りは家まで歩きました。帰りであれば瞬間的に血糖値が低下することは不安視する必要がないからです。
昨日の別府記念の決勝 。並びは岩本‐諸橋の東日本,松浦‐小倉の中国四国,北津留‐中川‐園田の九州で浅井と古性は単騎。
松浦と諸橋がスタートを取りにいき,内の松浦が誘導の後ろを確保して前受け。3番手に岩本,5番手に浅井,6番手に北津留,最後尾に古性で周回。残り3周のバックの出口から北津留が上昇開始。古性も続きました。ホームで北津留が松浦を叩き,4番手に古性,5番手に引いた松浦,7番手に動かなかった岩本,最後尾にこのラインを追走し続けた浅井という隊列の一列棒状に変化して打鐘。ここから岩本が発進。浅井も続き,ホームの出口で北津留を叩いてかまし先行。バックに入って浅井が発進。叩かれた北津留ラインから園田がスイッチして浅井を追う形に。さらに後方から松浦の捲り。小倉は追走を阻まれて単騎に。直線は粘り込みを図る浅井,捲り追い込みの松浦,浅井追走から浅井と松浦の間に進路を取った園田の3人の争いに。一杯に粘った内の浅井が優勝。外の松浦が4分の1車輪差の2着。中の園田が半車輪差で3着。
優勝した三重の浅井康太選手 は10月の富山のFⅠ以来の優勝。記念競輪は5月の宇都宮記念 以来の29勝目。別府記念は初優勝。単騎のレースで,打鐘の時点では最後尾だったのですが,岩本ラインを追走し続ける形のレースとなり,その岩本が北津留を叩いての先行となったので,最終バックでは3番手に。そこからの捲りで接戦を制することになったのですから,どのラインを追走するべきかの判断が的確だったということになるでしょう。とくにこの開催は4日間を通じて好調だったように思います。
中央検査室で検査を待っている患者はひとりだけでした。ですからその場で順番を待ち,まず採血をしてから採尿をし,最後に注射針の処理をしました。
診察が開始されたのは午後3時でした。HbA1cは7.2%で,5月 よりもさらに下降していました。低血糖は全体の1.9%で,さほど多くはありません。むしろ減少していたくらいです。これはよい傾向です。しかしサマリー から,発症する時間帯に集中がみられることが判明しました。昼食前と夕食前には一切なく,朝食前と就寝前に発症していたのです。割合でいうと,朝食前はその時間帯の全体の3.7%が低血糖で,就寝前はその時間帯の全体の3.6%が低血糖だったのです。この低血糖は,夕食前に注射している持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を減らすことで避けれれるのではないかというのが主治医の見立てでした。ですからトレシーバの注射量を,0.01㎎だけ減らすという措置が講じられることになりました。これは4月 に増やしたばかりですので,3月以前に戻すという措置です。
この日はこれ以外には異常は出ていませんでした。異常がなかったのは5月と同様です。
最後に主治医から,糖尿病関連の検査を受けるようにとの指示が出されました。神経伝導検査,血圧・脈波検査,頚部血管エコー検査の3種類の検査です。こういった検査を受けるのは僕としても慣れたものですから,承諾しました。次の診察のときには結果が出ている方が都合がよいので,その診察の1週間前の水曜日に検査を受けることにして,主治医に予約を入れてもらいました。予約の時間は神経伝導検査が午前11時,血圧・脈波検査が午前11時半であるのに対し,頚部血管エコー検査は午後2時となっている点を主治医は気にしていましたが,実際にはこれらの検査は空きがあれば予約時間と関係なしに行われるということを僕は過去の経験から知っていましたので,僕自身にとってはまったく気にならないことでした。
いつものように帰途に薬局に寄りました。この日はトレシーバの在庫が不足していました。なので配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後4時10分でした。
第21回チャンピオンズカップ 。
サトノティターンは加速が鈍く1馬身の不利。先手を奪ったのはエアアルマス。1コーナーから2コーナーにかけて外から上昇してきたインティが2番手。3番手がアナザートゥルースで4番手にクリソベリル。5番手はメイショウワザシとヨシオ。7番手にアルクトス。8番手にチュウワウィザード。9番手はタイムフライヤー,ゴールドドリーム,カフェファラオの3頭。2馬身差でクリンチャー。3馬身差でエアスピネルとモズアスコット。3馬身差でサンライズノヴァとサトノティターンという隊列。最初の800mは48秒5のミドルペース。
3コーナーを回ってエアアルマスとインティは併走。3馬身差の3番手にクリソベリルが上がって直線。坂の下から追い出されたクリソベリルは伸びを欠き,その外からチュウワウィザードが伸びてきました。エアアルマスは早々に一杯になり,インティが一旦は単独の先頭でしたが,外からチュウワウィザードが差し切って優勝。さらに後ろから脚を伸ばしたゴールドドリームが2馬身半差の2着。インティがクビ差の3着でクリソベリルは4分の3馬身差の4着。
優勝したチュウワウィザード は川崎記念 以来の勝利で大レース3勝目。クリソベリルが台頭してきてからはずっと勝てずにいました。よってこの馬が勝ったということは,クリソベリルが十分に力を発揮することができなかった結果だということになるでしょう。勝てずにいたものの今日のメンバーの中では最もクリソベリルに接近した結果を残してきた馬ですから,クリソベリルが崩れたのであればこの馬が勝つのが自然な結果であったと思います。父はキングカメハメハ 。母の父はデュランダル 。6代母がファンシミン で4代母が1986年に京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年にエプソムカップ,新潟記念,オールカマーに勝ったダイナフェアリー 。伯母に2018年にクイーン賞 を勝ったアイアンテーラー 。Wizardは魔法使い。
騎乗した戸崎圭太騎手は2018年の皐月賞 以来の大レース16勝目。チャンピオンズカップは初勝利。管理している大久保龍志調教師は川崎記念以来の大レース6勝目。チャンピオンズカップは初勝利。
帰宅後,午後8時にピアノの先生 から電話がありました。妹も自由に連れて帰ることができるようになりましたので,6月からピアノのレッスンを再開することにして,日時を決定しました。
6月8日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
6月12日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
6月13日,土曜日。この日が5日の電話で決定したピアノのレッスンの日でした。予定通り,午後2時半からのレッスンでした。
6月15日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
午後からは内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時10分でした。病院の到着時刻がまちまちになるのは,これもウォーキング を兼ねて途中まで歩いていくからです。僕の家とみなと赤十字病院は,普通であれば歩いていくような距離ではありません。とはいえ,僕はそれが苦にはなりませんから歩いていくことはできます。たぶん1時間はかからないだろうと思います。ですが僕は病院まで歩いていくということはしません。これはあまり長く歩いてしまうと,その後の血液検査の血糖値 が低くなってしまう可能性があり,主治医に要らぬ心配を与えてしまうかもしれないからです。また,途中まで歩いていくといいましたが,僕の家からですと,たとえばみなと赤十字病院と桜木町駅であれば桜木町駅の方が近いです。根岸駅からみなと赤十字病院方面を経由するバスは,根岸駅からみなと赤十字病院を通った後で桜木町を経由して横浜駅へ向かうのですが,途中の経由地よりも,その後の経由地の方が近いのです。ですから僕は桜木町の方へ歩いていくというケースもあります。これはことばの正しい意味でいえば途中まで歩いていくというのとは異なるでしょう。それでも僕の家の位置関係の上でいえば,みなと赤十字病院よりも先に,同じバスが通るもっと近いところがあるのは事実なので,感覚としていうなら先まで行って戻っているということになるのでしょうが,そのような仕方で歩くこともあるのです。
5月一杯で妹の移動制限は解除されていましたが,病院の入口のところで,検温をして問診票に記入してから院内に立ち入るという方式はこの日もまだ続いていました。
人間の受動状態の現実的本性 は,感情の模倣 affectum imitatioによっても決定されます。とくに,人間が別の人間の欲望cupiditasを模倣することによって決定されます。ただし,このことをいうときには,あることが暗黙ともいえる前提条件となっています。それは,人間は自分以外の人間の欲望を表象するimaginariということです。他人の欲望を模倣するためには,その他人が何を欲望しているのかをあらかじめ知っている,認識しているのでなければなりません。このことは自明の理といっていいでしょう。ですから,ある人間が別の人間の欲望を模倣することによって,自分の受動状態の現実的本性が決定されるということを示す場合には,一般に人間はどのようにして他人の欲望を認識するcognoscereのかということを考えておかなければなりません。
もしもある人間が現実的に存在しているとして,もしもその人間がただじっとしているだけであれば,だれもその人間が何を欲望しているのかということを認識することはできないでしょう。したがってどの人間も,その人間の欲望を模倣することはできません。つまりこういう場合には,その人間の欲望を模倣することによって,模倣した人間の現実的本性actualis essentiaが決定されるということはないのです。
ですから僕たちは,ある人間が何らかの行動をするときに,その行動の内容によってその人間が何を欲望しているのかということを認識するのです。いい換えれば,他人の欲望の表象imaginatioは,その他人の行動によって決定されるといっていいでしょう。ごく簡単にいえば,ある人間Aは別の人間BがXというものを購入しているのを表象するとき,BはXを入手することへ向かう欲望を有しているというように表象するのです。そして人間は一般に感情の模倣というのをしますから,そのように表象する場合には,AもまたXを入手することに向う欲望をもつようになるということになります、もちろんこの場合の感情の模倣には,程度の差があるのであって,同じようにBがXを購入しているのを表象しても,AはXを入手する欲望を強く有するけれども,Cは現実的には問題にならない程度の欲望しか抱かないという場合があるでしょう。
しかし,仮にその程度がきわめて弱い場合であっても,頻度が高まれば欲望の模倣の度合も強まることになる筈です。
グループホーム がこのような措置を採ったことは,新型コロナウイルスの感染を防止するという観点から適切なことだったと思います。そしてその後の状況から鑑みると,この措置が現在まで継続していることもまた当然でしょう。ですがこうした措置が採られた結果として,妹のグループホームのほかの利用者とのコミュニケーションは大幅に減少したわけです。そしてこのことが,妹の現実的本性が変化したこと,具体的にいえばまるでだれかと話しているかのように小声で囁くという新しい癖 が出始めたことの,一因をなしているかもしれないと僕は考えているのです。
この理由はごく簡単なものです。すでにいったように,僕は妹の囁きを何とか聞き取ろうとしているのですが,それは叶っていません。しかし,妹は明らかにだれかと話をしているように見えますので,だれと話しているのかと尋ねたことはあります。そのときに妹がどう答えたのかというと,グループホームの利用者の実名をひとり挙げて,その人と話しているということだったのです。ですから妹のその利用者とのコミュニケーションの頻度が,それまで,というのはグループホームにおけるこの措置が採用される以前という意味ですが,変わっていなかったとしたら,妹の新しい癖が生じることはなかったのではないかという仮説が僕の中にはあるのです。よって僕は,妹の,ほかのグループホームの利用者とのコミュニケーションの頻度の減少が,妹の新しい癖の原因,それがすべてではないとしても,原因の一部を構成しているのではないかと推測しているのです。
もちろんこれは推測であって,僕はこれが妹の新しい癖の原因であると主張したいわけではありません。もし何年か後に,新型コロナウイルスの感染が収束するとか,感染しても社会的には問題にならないという状況が出現し,グループホームでの妹の状況が以前と同じような形になり,この新しい癖を妹が出さなくなったとしたら,確かにこれが原因であったということになるでしょう。しかし,すでについた癖が,状況の変化で簡単に収まることはないでしょうから,確定的にそういえる日が来ることはないのだろうと僕は思っています。
昨晩の第66回クイーン賞 。
アッシェンブッテルは伸び上がるような発馬で1馬身の不利。サルサディオーネがすんなりとハナへ。ステラモナーク,パールデュー,ラインカリーナ,メモリーコウの順でこの5頭が先行集団。2馬身差でシネマソングス,ナムラメルシー,マルカンセンサーの順で3頭が好位。2馬身差でアッシェンブッテル。2馬身差でサルサレイアとアブソルートクイン。4馬身差でナラ。最後尾はアンシンカブルとペイシャゲランの併走。最初の800mは48秒1のハイペース。
3コーナーを回ったあたりでサルサディオーネのリードが3馬身くらいに。メモリーコウが押しながら2番手に上がって直線に。逃げたサルサディオーネはメモリーコウとそれをマークするように追い上げてきたラインカリーナを突き放し,逃げ切って楽勝。大外から末脚を伸ばしたアッシェンブッテルが2馬身半差の2着。最内から伸びたサルサレイアが8馬身差の3着。ラインカリーナの外から伸びたマルカンセンサーがアタマ差で4着。メモリーコウが4分の3馬身差の5着でラインカリーナがクビ差の6着。
優勝したサルサディオーネ は9月のオープン以来の勝利。重賞は4月のマリーンカップ 以来の2勝目。ここはJRA勢に重賞での実績に欠ける馬が多く,この馬が実績上位。楽に逃げることができれば確実に力を発揮する馬で,ここはハナを取って競りかけられなかった時点で逃げ切りが濃厚となりました。船橋コースもこの馬にとっては走りやすいところがあるのだと思われます。父はゴールドアリュール 。母の父はリンドシェーバー 。母は2002年に東京プリンセス賞を勝ったサルサクイーン 。
騎乗した大井の矢野貴之騎手はJBCスプリント 以来の重賞3勝目。クイーン賞は初勝利。管理している堀千亜樹調教師もJBCスプリント以来の重賞3勝目でクイーン賞は初勝利。
妹の新しい癖についての僕の考え方を示しておきます。
僕はこの癖が,妹にとって必要なことなのだろうと考えているといいました。これは基本的に第三部定理七 に起因します。すなわちこの癖は,妹のコナトゥス conatusによるものだと僕は考えているのです。人間の現実的本性 actualis essentiaというのは不変なものではなく,そのときそのときで変化します。つまり妹が新しい癖を出すようになったのは,妹の現実的本性が変化したのだというように僕は解するのです。なので僕はこの癖を,必要でない限りは遮ることをしないのです。
どんな人間であっても,その現実的本性が変化するのであれば,変化する原因causaというのがなければなりません。このことは第一部公理三 から明白です。したがって妹が新しい癖をみせるようになったのには,何らかの原因があったからです。ただ,その原因が何であったのかということは,僕にははっきりとは分かりません。ただ一点だけ,このことについて推測できることがあります。
移動制限があった間,妹は通所施設にも行かず,また家にも帰らず,ずっとグループホームにいました。この間,おそらく一歩も外へは出なかったものと思われます。そして,グループホームでの生活にも,大きな変化がありました。
妹は家に帰っていない場合,昼食は通所施設で摂りますが,朝食と夕食はグループホームで摂ります。そのときは食堂で利用者全員,といっても全員がグループホームに揃っているとは限りませんから,そのときにグループホームにいる利用者全員と職員で摂ります。そして夕食後には,大抵の利用者はその場に残り,娯楽を楽しみます。また,休日で通所施設に行かなくてよい日は昼食もグループホームで摂りますが,そういう日はそこにいる全員で,食後に限らず全員で娯楽を楽しむということがよくあるのです。
ところが,新型コロナウイルスの影響から,このような娯楽は一切なくなりました。そして食事も,それぞれがそれぞれの自室で摂るようになったのです。これはもちろん感染のリスクを減少させるための措置です。よって妹はグループホームにいる間は,ほとんどの時間を自分の部屋でひとりで過ごしていたし,今もそうなのです。
1日に鶴巻温泉で指された第10期女流王座戦 五番勝負第三局。
里見香奈女流四冠の先手で中飛車。西山朋佳女流王座が三間飛車の相振飛車 。後手が早い段階で美濃囲いにしたので先手は飛車を8筋に振り直し,居玉のまま端攻めに出ました。形勢はともかく,実戦的には仕掛けたところで先手の方が指しやすくなっていると思え,後手は序盤の段階でもっと工夫する必要があったのではないでしょうか。
王手銀取りを銀を引くことによって受けたところ。ここで☗8九飛と引くと☖8四歩☗9四歩☖同銀☗8四飛☖8三銀で千日手を狙うことができます。
実戦は☗8五飛 と回避しました。これは自信があったというよりは,先手だからという意味合いの方が強いと思います。後手だったら千日手にしたかもしれません。
☖8四歩に☗9五飛と歩を取り☖9四飛に☗9八飛。
ここで☖7三王 と上がり入玉を含みに受けたのですが,これが疑問で☗8五歩以下先手の攻めが続きました。ここは☖7三金と上がっておくべきで,それならいずれ後手にも攻めの手が回ったかもしれません。
里見四冠が勝って2勝1敗 。第四局は9日です。
妹は5月18日にグループホーム へ行った後,移動の制限のため家には帰っていませんでした。これだけ長く帰らなかったのは初めてです。そして,妹には明らかな変化がひとつありました。
妹にはある癖がありました。これは入浴中やベッドに入っているときといった,ひとりのときに限られるのですが,大きな声で歌を歌ったり,人名を連呼したりするのです。人名を連呼するというのは意味が分からないかもしれませんが,たとえば学校で教師が生徒の出席を取るときのように,異なった人名を次つぎと声を発して呼んでいくのです。妹はグループホームではひとりで入浴することはありませんが,部屋ではひとりです。ベッドではこのようなことをしているという報告は,前任のグループホームの担当者から受けていました。それは,妹にとってグループホームでの生活が,自宅での生活と変わらないものになっているという証拠だと僕には思えましたので,悪いことではないと思っていました。ところが6月5日に帰宅して以降,妹はこれを一切やらなくなりました。
そのかわり,あたかも眼前にだれかいるかのように,小声で語り掛けるというような行為をするようになったのです。そしてこれは,ひとりのときであろうがなかろうがなされるのです。したがって,僕がいるときでも,急にこうした囁きをします。僕は何とか聞き取ろうと思っているのですが,とても小さな声なので,何と言っているのかは残念ながら聞き取ることができません。この新しい癖は,現時点でも続いています。
傍から見るとまるで夢の中にいるかのようです。基本的に僕はそれが今の妹にとっては必要なことなのであろうと考えますので,遮ることはしません。ただ,たとえば送っていく日の朝の準備中などにもこの癖を出すことがあり,そういうときはこちらから声を掛けます。その癖が出ている間も,こちらの声が聞こえないというわけではありませんから,妹はこちらに注意を向けてくれます。これも傍から見ると,夢の中にいたのが急に現実に戻ったというようにみえると思います。小声ですからだれかに迷惑がかかるということはありませんし,僕としても困っているわけではありません。
第22回兵庫ジュニアグランプリ 。北海道のグロリアスルカが出走取消となって11頭。
先行争いがありそうなメンバー構成でしたが,デュアリストがハナに立つとほかの馬は競りかけず,2番手にゼンノアンジュ,3番手にレディバグ,4番手にジョーロノという隊列になってこの4頭が先行集団。2馬身差でルーチェドーロ。2馬身差でツムタイザン。3馬身差でビーアイフェリペ。2馬身差でフセノチェリー。ここから大きく離れてサンゼント。大きく離れてオンドレースンドレ。また離れた最後尾にハイクォーツと,残りの7頭はばらばら。ミドルペースでした。
3コーナーを回るとデュアリストにゼンノアンジュが並び掛けていきましたが,直線ではデュアリストがまた突き放しました。ゼンノアンジュは一杯となり,レディバグが2番手に上がり,デュアリストを追い詰めていったものの届かず,一杯に逃げ切ったデュアリストが優勝。レディバグが半馬身差の2着。ゼンノアンジュは4馬身差の3着。
優勝したデュアリスト はここまで2戦2勝。とくに前走は7馬身差のレコードタイムで圧勝していました。ゼンノアンジュも2勝していて,この2頭が能力は上位。前走はともに逃げ切っての圧勝でしたので,まずどちらが先手を奪うのかが注目点でした。内枠の有利さはありましたが,あっさりとハナに立てたことで,こちらが有利になったのだと思います。デビュー戦は逃げたわけではないので,逃げなくても競馬ができることは間違いありませんが,現状は先手を奪ってスピードを生かすというレースが合っているのではないでしょうか。父は2016年のJRA賞 の最優秀短距離馬に選出されたミッキーアイル で,その父はディープインパクト 。従姉に2012年にクイーン賞 を勝ったレッドクラウディア 。Dualistは二元論者。僕にとってはデカルトが代表になります。
騎乗した福永祐一騎手は第8回 ,12回 ,15回 に続く7年ぶりの兵庫ジュニアグランプリ4勝目。管理している安田隆行調教師は兵庫ジュニアグランプリ初勝利。
5月18日,月曜日。妹を送りました。
7日に受け取った郵便物の内容からすれば,この日は通所施設に出勤する日です。ですがその後はグループホームの利用者は,その内容とは無関係に,ずっとグループホームに待機していたのです。なのでこの日はグループホームに送っていけばいいのか,それともいつものように通所施設に送ってよいのかが,分かっていませんでした。家を出る前に電話で確認するのがベストですが,その時間帯ですとグループホームは多忙ですし,通所施設にはまだ職員が来ていないかもしれません。グループホームに行くにせよ通所施設に行くにせよ,上大岡でバスを乗り継ぐのは同じですから,とりあえず上大岡まで行き,上大岡から通所施設に電話を入れました。グループホームの利用者はグループホームに待機しているということでしたので,グループホームに送ることになりました。
11日にグループホームの妹の担当の職員からの電話で話したように,この月はこれ以後,妹はずっとグループホームに預け,迎えに行っていません。その間にピアノの先生 からの電話があり,5月はレッスンを行うつもりでいたようですが,僕が妹を迎えに行くことができませんでしたので,こちらから断りました。したがってピアノのレッスン は,4月,5月と2ヶ月にわたって行われなかったことになります。僕の方もこれ以降の5月中は大したことがありませんでしたので,ここからは6月以降の日記となります。
通常であれば,5月中には三者面談 が行われる筈でした。しかし今年は新型コロナウイルスの影響から,保護者と利用者,そして職員が同席しての三者面談は行われず,書面上のやり取りで済まされることになりました。事前に郵送されたものに,僕が記名して送付するという形式です。その書類を6月3日の水曜日に送りました。
6月5日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。グループホームでの待機は5月中に終了し,6月1日の月曜日からは妹は通所施設に通っていました。これは平日は常にです。要するに6月1日からは以前と同様のシフトになったと理解してください。ですからこの日は通所施設に迎えに行ったのです。