スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&母数

2022-05-16 19:11:29 | 将棋
 14日に遊行寺で指された第5期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 里見香奈女流四冠の先手で中飛車。後手の西山朋佳女王の三間飛車で相振飛車。この将棋は後手が玉の囲いに工夫をしたところ,先手が咎めに出て,それがうまくいった将棋でした。
                                        
 第1図で後手は☖3四飛と浮きました。これは☗2六歩☖同歩☗同飛に☖2四歩と受けるためだったと思います。ただそこから☗7九角☖4五歩☗2五歩と合わされると,後手は角が負担になってしまいました。
                                        
 この展開は後手にとってまずかったので,第1図では☖1四歩~☖1三角と上がるか,単に☖3三角と上がるかして,2二に飛車を回る余地を作るべきだったと思われます。工夫を凝らすにしては後手の準備が足りていなかったという印象です。
 里見四冠が勝って2勝1敗。第四局は30日に指される予定です。

 僕たちは,自分が悲しみtristitiaを与えたと表象するimaginariことは稀で,自分が喜びlaetitiaを与えたというように表象することはしばしば生じます。良心の呵責conscientiae morsusは自分が悲しみを与えたないしは悲しみを与えるであろうという表象像imagoがそれを感じるための必要条件であり,その反対感情である歓喜gaudiumは,自分が喜びを与えたないしは喜びを与えるであろうという表象像がそれを感じるための前提条件です。したがって,僕たちは良心の呵責を感じることは稀であり,歓喜はしばしば感じる,あるいはしばしばではないとしても,良心の呵責を感じるよりは多く感じるのです。
 良心の呵責は他人の悲しみが自分の悲しみに結び付く感情affectusであり,歓喜は他人の喜びが自分の喜びと結びつく感情です。この観点からは,良心の呵責も歓喜も原則的に推奨される感情です。いい換えれば人を敬虔pietasにさせるような感情です。しかしこれはあくまでも原則であって,僕が示した例のように,その原則からは外れる良心の呵責もありますし歓喜もあります。どのような場合に例外とされるのか,いい換えればどのような場合に良心の呵責や歓喜が人を敬虔から遠ざけてしまうのかということは,個々の良心の呵責あるいは歓喜を吟味するほかありません。そもそも第三部定理五六により,Aに対する良心の呵責とBに対する良心の呵責は,同じように良心の呵責であったとしても別の感情であると考えなければなりませんし,同様にXに対する歓喜とYに対する歓喜は同じ歓喜であっても別の感情であると考えなければなりません。ですから,どの良心の呵責が,またどの歓喜が,推奨されないのかということは,本来は個別に考えなければならないのです。僕が例を出したのは,原則外の推奨されない良心の呵責や歓喜があるということを示すためだったのです。
 それでも,良心の呵責と歓喜では,母数は異なるのですから,原則的には推奨されるとか,推奨されない例外があるということについては,良心の呵責と歓喜とで,完全に同じような意味で解するのは避けておく方が安全です。当然ながら母数が多い方が,例外もまた多く生じるからです。同じ割合で例外が生じるなら,母数が多い方が例外も多くなるでしょう。
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ヴィクトリアマイル&頻度

2022-05-15 19:29:56 | 中央競馬
 第17回ヴィクトリアマイル
 ソダシとレシステンシアがまず前に出ましたが,押して外から追い抜いていったローザノワールの逃げに。2番手にレシステンシアで3番手にソダシという並びに落ち着きました。4番手にレイパパレ。5番手にディヴィーナとクリノプレミアム。7番手にデアリングタクトとファインルージュ。9番手にソングライン。10番手にミスニューヨークとアンドヴァラナウト。2馬身差でマジックキャッスルとデゼル。14番手にアカイイト。2馬身差でメイショウミモザとアブレイズとシャドウディーヴァ。1馬身半差の最後尾にテルツェットという隊列。前半の800mは46秒3のスローペース。
 直線の入口でローザノワールのリードは3馬身ほど。2番手がレシステンシアで3番手は外のレイパパレに。ソダシはローザノワールとレシステンシアの間に進路を取りました。離しての逃げでしたがペースはスローだったのでローザノワールはかなり頑張りましたが,ソダシの末脚が強烈。単独の2番手に上がるとローザノワールも差し,そのまま突き抜けて優勝。逃げ粘ったローザノワール,ローザノワールとレシステンシアの間に突っ込んできたソングライン,レシステンシア,レシステンシアのすぐ外から迫ったファインルージュの4頭がほぼ横に並んでフィニッシュ。2馬身差の2着は一番外のファインルージュ。レシステンシアがクビ差で3着。ローザノワールがハナ差の4着でソングラインがハナ差で5着。
 優勝したソダシは札幌記念以来の勝利。大レースは昨年の桜花賞以来となる3勝目。この馬は秋華賞で負けてからダート路線へ。チャンピオンズカップは大敗でしたがフェブラリーステークスは3着と頑張りました。この結果から,ターンが1回の1600m戦がよいだろうという判断の下,ここに参戦。芝に戻ることはまったく不安はありませんでした。その陣営の判断が的確であったということになるでしょう。適性が判明しましたので,これからのレース選択も楽になってくるのではないかと思います。父はクロフネ。母の父はキングカメハメハ。3代母がウェイブウインド。母の7つ上の半姉に2010年のNARグランプリの最優秀牝馬に選出されたユキチャン。馬名はサンスクリット語で純粋。
                                        
 騎乗した吉田隼人騎手はかしわ記念以来の大レース7勝目。ヴィクトリアマイルは初勝利。管理している須貝尚介調教師はかしわ記念以来の大レース16勝目。第12回以来5年ぶりのヴィクトリアマイル2勝目。

 僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusとその反対感情としての歓喜gaudiumについては,もうひとつだけいっておきたいことがあります。
 スピノザは第三部定理四〇で,自分が憎まれる原因causaがないと表象しているのにある人から憎まれていると表象したら,その人のことを憎み返すといっています。次の第三部定理四一では,自分には愛される原因がないと表象しているのにある人から愛されていると表象した場合には,その人のことを愛し返すといっています。一方,もしも自分が憎まれる原因を与えていると表象している場合は,自分を憎んでいると表象している人のことを憎み返すのではなく,第三部諸感情の定義三一にある恥辱pudorを感じることになります。同様にもし自分が愛される原因を与えていると表象している場合には,自分のことを愛していると表象している人のことを愛し返すのではなく,第三部諸感情の定義三〇にある名誉gloriaを感じることになります。
 このときにスピノザは,憎み返しと名誉はしばしば生じる感情affectusであって,愛し返しと恥辱は稀にしか生じない感情であるといっています。なぜそうであるのかというと,僕たちは自分が愛される原因を与えているということはしばしば表象するimaginariのに対して,自分が憎まれる原因を与えているということは稀にしか表象しないからです。よって,愛される原因を与えていない人から愛されているという表象imaginatioは,愛される原因を与えている人から愛されているという表象ほどには多く生じることがありません。同じように,憎まれる原因を与えていない人から憎まれているという表象は,憎まれる原因を与えている人から憎まれているという表象よりもずっと多く生じることになるのです。よって愛し返しは名誉ほど多くは生じませんし,憎み返しは恥辱よりも頻繁に生じることになるのです。
 このことは,僕が定義した良心の呵責とその反対感情としての歓喜とも関係します。というのは,憎まれる原因を与えるとか愛される原因を与えるというのは,感情としてみれば,何らかの悲しみtristitiaを与えたとか何らかの喜びlaetitiaを与えたといっているのと同じことだからです。そして良心の呵責と歓喜は,与えた喜びおよび悲しみと関係しています。
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女流王位戦&感情の複雑さ

2022-05-14 18:55:16 | 将棋
 11日に札幌で指された第33期女流王位戦五番勝負第二局。
 里見香奈女流王位の先手で中飛車。後手の西山朋佳白玲・女王が三間飛車にしての相振飛車。互角の中盤戦が長く続く将棋でした。
                                        
 第1図から☖4三歩と打ち☗同銀不成に☖8五歩と突きました。先手は飛車取りを無視して☗1三角成。後手としても☖8六歩と取るほかありませんが☗3五馬。そこで☖7六歩と突いたものの☗5四銀成☖7五銀☗6四歩と打たれました。
                                        
 第2図となっては先手優勢がはっきりとして,差がつくことになりました。第1図では☖4六角☗同飛に☖7六歩と突き,☗同飛☖8七角☗3六飛☖7八角成のように指せば,少なくとも互角の戦いが続いたように思います。実戦のように☖8五歩と突くにしても,☖4三歩と打った意味は把握しかねるところです。
 里見女流王位が勝って1勝1敗。第三局は25日に指される予定です。

 厳密にいうと,ここで僕が示した例は,AがBの喜びlaetitiaを模倣していると同時に,BのCに対する憎しみodiumも模倣しているのであって,この点に注意すれば,スピノザは憎しみを全面的に否定するnegareから,この種の歓喜gaudiumを推奨しないという結論になるのです。僕が定義した歓喜は,自分がなしたあるいはなすであろう他人に対する利益の観念ideaを原因causaとして伴った喜びであるので,喜びの模倣としては限定的です。しかしこの例は歓喜に限らず,喜びを模倣する場合は全般的に妥当します。BがCを憎んでいて,Cの害悪を表象するimaginariことによってBが喜んでいるとき,AがBの喜びを模倣するなら,AはBの喜びと同時にBのCに対する憎しみをも模倣しているということは一般的に真verumだからです。いい換えれば,Bに対して利益を与えたのがA自身であるか否かは無関係であるからです。なので,喜びの模倣は原則的に推奨されますが,そこに憎しみの模倣が同時に存在するなら,それは推奨されません。もちろんこのことは悲しみtristitiaの模倣にも妥当します。他人が喜びを感じていると表象して悲しんでいる人間の悲しみを模倣するということは,実際は悲しんでいる人間の喜んでいる人間に対する憎しみを模倣しているというのと同じことだからです。
 推奨されていないのは憎しみなので,こうした事例が歓喜や良心の呵責conscientiae morsusが推奨されない場合の例として必ずしも適切ではないという面があるということは僕も認めます。ただ,これはだれもが反省的に考えてみれば経験から理解できることだと思いますが,人間の感情affectusというのは単純なものではありません。憎しみや愛amorがあるがゆえに,そうでない場合は感じない喜びや悲しみを感じるなどということは,僕たちにはしばしば生じることなのです。なので,たとえば良心の呵責なら良心の呵責,あるいはその反対感情としての歓喜なら歓喜だけに着目して,それが推奨される感情であるということを,一般的にいうことはできないということは,こうした人間の感情の複雑さから,容易に理解できるのではないでしょうか。何かが一般的にいえるなら,それはたとえば憎しみとか高慢superbiaといった感情が,全面的に否定されるということだけなのです。
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羽田盃&憎しみとの連関

2022-05-13 19:18:49 | 地方競馬
 昨晩の第67回羽田盃
 シャルフジンがすぐにハナに立ちましたが,向正面にかけてクライオジェニックが競りかけるような形になりました。2馬身差でリヴィフェイス。4番手にイルヴェントとカイル。2馬身差でフレールフィーユ。7番手にフウト。8番手にプライルード。3馬身差でミゲルとリコーヴィクター。11番手にライアンとナッジ。13番手にミヤギザオウ。コブラとファルコンソードは離れた最後尾を並んで追走。最初の800mが47秒4の超ハイペースになったこともあり,かなり縦長の隊列となりました。
 競りかけてきたクライオジェニックを振り切ったシャルフジンは直線の入口では3馬身くらいのリード。この時点で2番手はイルヴェントでその外にリヴィフェイス。ただこの2頭はシャルフジンに追いつくには至らず,迫ってきたのは最内を突いたミヤギザオウと大外のライアン。この2頭がシャルフジンを差しての優勝争いでしたが,先に内から抜けていたミヤギザオウの優勝。ライアンがクビ差で2着。最後は疲れたシャルフジンは1馬身差の3着。
 優勝したミヤギザオウは南関東重賞初挑戦での優勝。前走がクラシックのトライアルで3着に入っての挑戦なので格は下。このレースは大きく離された2頭を除くと,一番後ろにいた馬が勝ってその前にいた馬が2着と,超ハイペースの影響が大きく結果に出ました。しかも外を回った2着馬に対して内から伸びてきたという利もあっての勝利。ですから自ら勝ちにいって優勝争いができるのかといえば,必ずしもできるとはいいきれないところがあるでしょう。むしろこれからが試金石になりそうです。母の父はディープスカイ
 騎乗した大井の真島大輔騎手は川崎スパーキングスプリント以来の南関東重賞25勝目。羽田盃は初勝利。管理している大井の森下淳平調教師は南関東重賞15勝目。第59回以来8年ぶりの羽田盃2勝目。

 他人を喜ばせようとすれば,そのことによって悲しませてしまう場合もあり得ます。その場合は他人を喜ばせようとするその感情affectusは,スピノザによって推奨されることはありません。なので歓喜gaudiumはこの条件に該当してしまう場合は推奨されません。しかし,他人に対して何もしないのであれば,その他人を喜ばせるということはありませんが,悲しませるということもありません。なのでこの観点から良心の呵責conscientiae morsusが推奨されることはないにしても,否定されるということもないのです。この点では,歓喜と良心の呵責は反対感情ではあっても差異があるといわなければなりません。それは各々の感情が,どういう方向にその感情を抱いた人を向かわせるのかという相違に由来するのです。
 さらにもうひとつ,歓喜の場合にも評価の仕方については気を付けておかなければなりません。他人の悲しみtristitiaを自分の悲しみと結びつけるような感情,いい換えれば他人の悲しみを模倣することは,それ自体でみれば推奨されるのですが,それがほかの感情とも関連している場合には全面的に推奨されるわけではない場合もあります。これと同じように,他人の喜びlaetitiaが自分の喜びに結び付くような感情,つまり喜びの感情の模倣imitatio affectuumの場合にも,これと同じことが妥当します。
                                   
 Aという人間がBという人間が喜んでいるのを表象するimaginariことによって,自分も喜びを感じたとしましょう。そしてこの喜びが,僕が定義した歓喜に合致していると仮定します。この限りではAはBの喜びを促進するような現実的本性actualis essentiaを有するがゆえに,この歓喜は推奨されるのです。しかし,たとえばBがCを憎んでいるとして,Cが悲しんでいるがゆえに喜びを感じているとしましょう。第三部定理二三によって,こうしたことは実際に生じます。そこでAがBのこの喜びを模倣して喜びを感じたなら,AはそのBの喜びを促進しようとしますから,Cの悲しみを増進させるような行動をとることになるでしょう。しかしその行動は,AとCとを対立させるもの,いい換えればAを不敬虔impietasにさせる行動ですから,スピノザはそれを推奨するどころか否定するnegareことになります。つまりこの歓喜は全体的には否定されます。
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農林水産大臣賞典東京プリンセス賞&推奨の条件

2022-05-12 19:13:16 | 地方競馬
 昨晩の第36回東京プリンセス賞
 好発はラインブレイカーでしたが,外からレディオガガが前に出て逃げました。リードは2馬身。2番手にレディオスター。2馬身差でラインブレイカーとデュアルテイルズ。5番手はクールフォルテとフィガロアルビアンとハッピースパイラル。8番手はスピーディキック。9番手にトーセンキャロルとトキノゴールド。11番手にコスモポポラリタとカーロデスティーノ。2馬身差でエミーブレイズ。14番手にコーミズアムール。2馬身差でレディーアーサー。最後尾にリンカイテンという隊列。最初の800mは49秒6のミドルペース。
 3コーナーを回ってレディオガガのリードは1馬身に。レディオスターから2馬身差でクールフォルテが続き,その外からスピーディキックが捲り上げてきました。直線に入るとレディオガガが一杯になりレディオスターが先頭に。クールフォルテは追いつくことができず,スピーディキックが並び掛けてきて2頭の競り合いに。外から競り落としたスピーディキックが優勝。馬場の内目の方から差してきたコスモポポラリタが,競り落とされて一杯になったレディオスターを差し切ってクビ差で2着。レディオスターが1馬身差で3着。追いつくことができなかったクールフォルテは1馬身差で4着。
 優勝したスピーディキック桜花賞に続いての勝利。南関東重賞3連勝の3勝目となりました。ここは能力は上位で距離の延長が最大の課題。わりと早い段階から動いての勝利でしたので,その点は克服することができたとみていいでしょう。この馬は北海道時代は短距離で活躍していて,2着馬は中距離の北海道重賞を2勝していた馬。着差はクビと大きくはありませんでしたが,おそらくレディオスターが強敵とみて,それを負かしにいったために僅差になったと思われますので,総合的な能力でもこちらの方が上とみてよいものと思います。能力だけなら関東オークスでも十分に勝負になると思いますが,距離延長はやはり課題として残っているとも思います。父はタイセイレジェンド。母の父は2003年にシンザン記念と武蔵野ステークス,2007年に佐賀記念を勝ったサイレントディール
 騎乗した大井の御神本訓史騎手はブリリアントカップ以来の南関東重賞55勝目。東京プリンセス賞は初勝利。管理している浦和の藤原智行調教師は南関東重賞3勝目。東京プリンセス賞は初勝利。

 僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusの反対感情としての歓喜gaudiumは,たとえ受動感情として生じるのであっても,他人の喜びlaetitiaと自分の喜びとが結びつく感情affectusです。いい換えれば他人の喜びを模倣する感情です。ただ,受動感情というのは,感情の総括的定義から分かるように,観念ideaとしてみた場合には混乱した観念idea inadaequataです。ですから,自分の喜びと結びついている喜びが,本当に喜びであるかどうかは不明です。なのでもしもそれが喜びでないのであれば,他人の喜びを促進することにはなりません。たとえ喜びを促進しなくとも,喜びも悲しみtristitiaも与えない,いい換えればより大なる実在性realitasにもより小なる実在性にも移行させないのなら,問題はありません。しかし,喜びを促進していると表象していることが,実際には悲しみの方を増進させているなら,その場合の歓喜が推奨されることはありません。つまり,歓喜というのは,他人を悲しませる方向に人を向かわせる可能性があるので,全面的に推奨される,あるいは無条件に推奨されるような感情ではないのです。
                                   
 なお,このことは良心の呵責の場合にも成立はします。というか,良心の呵責は悲しみであって,喜びである歓喜とは異なり,常に受動感情なので,むしろ論理的には歓喜の場合よりも成立するといえるでしょう。ただし,それはその感情が推奨されるかどうかという観点とは異なります。というのも,スピノザはたとえ受動感情であっても,その感情が人を敬虔pietasにするのであれば推奨するのですが,敬虔ということをスピノザは態度や振る舞いとして考えているのであって,ある思惟の様態cogitandi modiとしてみているわけではないからです。そして僕の良心の呵責および歓喜のそれぞれの定義Definitioから分かるように,それらの感情がある態度なり行動なりと関連する場合には,歓喜というのはある行動へと人を駆るような感情であるといえますが,良心の呵責というのは,ある行動を停止するように人を駆るような感情です。歓喜によって何かをなすなら,その何かをなすことによって他者を喜ばせようとするのですが,良心の呵責によって何かをなすとは,なそうとしていたことあるいはなしたことをせずに他者を悲しみから救おうとするからです。
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直談判&原則論

2022-05-11 19:23:20 | 将棋トピック
 米長が棋士とコンピュータソフトが公開の場で対戦することを禁じた後,最初のイベントとして開催されたのが,当時の竜王であった渡辺明とコンピュータソフトとの対戦でした。2007年3月21日のことです。
 このときは渡辺が対局しましたが,米長は本当は佐藤康光をコンピュータソフトと対戦させたかったようです。佐藤は1秒に1憶3手読む,という異名があり,それはコンピュータが1秒に1億手を読むなら,ということとの対比です。つまりこうした異名を持つ佐藤がコンピュータソフトと対戦すれば,エンターテイメントとして盛り上がるだろうと米長は考えたのです。それで実際に佐藤にその打診をしました。
                                        
 打診を受けた佐藤には,プロ棋士,それもトップクラスの棋士とコンピュータソフトが対局をするということについて,米長が軽く考えているようにみえていたようです。そこで打診については断った上で,自分の考えを米長に対して一対一で詳しく説明しました。こうした事実があったということは,米長自身が後に明かしていることです。米長はこのときのことを,佐藤にこんこんと説教をされた,というようにいっていますが,米長というのは独特の表現をすることが多々あるので,これもそのうちのひとつだと解しておいた方がよいでしょう。ただ米長と佐藤がこの件に関して,それなりの時間をかけて一対一で話し合ったのは間違いない事実です。
 プロ棋士がコンピュータソフトと対戦することをイベントとして開催することについては,棋士の間でも一致した意見があったわけではなく,しかしこのイベントに関しては対局を断った佐藤の尽力によって,将棋連盟がまとまって盛り上げることになり,それが佐藤が棋士間での信頼を集める要因になったという話もありますが,これは事実であるのかどうか,僕には確かめようがありません。ただ,会長であった米長と直談判をしたのですから,佐藤のことを信頼に足る人物だとみなした棋士がいたとしてもおかしくありません。なのでこのときの一件は,後に佐藤が新会長に就任するにあたって,意外と大きな出来事であったという可能性は否定できないでしょう。

 僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusの反対感情としての歓喜gaudiumは,自己満足acquiescentia in se ipsoと自己愛philautiaを分けて考えたとき,自己満足の一種であるなら推奨されますし,自己愛の一種であるなら推奨されません。ではどのような歓喜がこの場合の自己満足の一種となり,どのような歓喜がこの場合の自己愛の一種となってしまうのかを,もう少し具体的に検討してみます。
 他人の悲しみtristitiaと自分の悲しみを結びつけるような感情affectusは,スピノザの哲学では原則的には推奨されるのでした。それは,自分の悲しみの原因causaが他人の悲しみにある場合には,人間は自分の悲しみを除去あるいは減退させるために,その他人の悲しみを除去あるいは減少させるように行動するという現実的本性actualis essentiaを有しているからです。これと同じように,他人の喜びlaetitiaと自分の喜びとが結びついているような感情は,スピノザの哲学では原則的には推奨されることになります。人間の現実的本性は,悲しみを忌避しまた除去あるいは減少させるように人間を動かすのと同様に,喜びを希求しまた促進させるようにも人間を動かす本性であるからです。したがって,自分の喜びの原因が他人の喜びであると確知される限り,その人は自分の喜びをさらに増進するために,その他人の喜びを促進するように行動する現実的本性を有しています。これは,この事態だけでみれば,他人を喜ばせるように行動するということですから,敬虔なpius振る舞いであるということになります。よってこの種の感情,喜びのうち,他人の喜びが自身の喜びの原因,少なくとも主たる原因となっているような感情は,スピノザの哲学では原則的には推奨されます。そして,ここで考察している歓喜というのは,自分が他人に与えた,あるいは与えたであろう利益の観念ideaを原因として伴った喜びであり,この利益というのは感情としていうなら喜びにほかなりませんから,まさに他人の喜びが自分の喜びの原因となっているような感情なのです。なので原則的には,この種の歓喜というのはスピノザによって推奨されることになります。いい換えれば,この種の歓喜というのは,人と人とを融和させるような感情であることになります。
 ただこれは原則論で,例外もあり得ます。
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日本選手権競輪&良心の呵責の反対感情

2022-05-10 19:16:39 | 競輪
 8日にいわき平競輪場で争われた第76回日本選手権競輪の決勝。並びは真杉‐平原の関東に佐藤,脇本‐古性‐東口の近畿,清水‐荒井の西国で守沢は単騎。
 若干の牽制が入りましたが,古性と脇本がスタートを取りにいき,脇本の前受け。4番手に清水,6番手に真杉,最後尾に守沢の隊列。守沢は結果的にこのラインを追走するレースになりました。残り3周のバックの出口から真杉が上昇開始。脇本はペースを落として誘導との車間を開けたので,残り2周のホームの入口では真杉が前に。守沢の後ろに清水がスイッチしたので,脇本が7番手になっての一列棒状に。バックまで誘導を使った真杉が打鐘前から発進。脇本は残り1周のホームから発進しました。バックでは脇本に合わせて清水が発進。さらに平原も番手捲り。脇本は外を回る形になったので古性がマークしきれず,さらに佐藤の牽制もあったために単騎となりましたが,直線の入口までに清水と平原を捲り切りました。そのまま直線はさらに差を広げた脇本が優勝。2着は番手捲りの平原と平原マークの佐藤,平原と佐藤の間を突いた守沢で接戦。外からうまく守沢の勢いを殺した佐藤が1車身半差で2着。守沢が4分の1車輪差の3着で平原が4分の1車輪差で4着。
                                        
 優勝した福井の脇本雄太選手は前回出走の豊橋のFⅠから連続優勝。グレードレースは3月の玉野記念以来。ビッグは一昨年の寛仁親王牌以来で7勝目。GⅠは6勝目で日本選手権は2019年以来の2勝目。2018年のオールスター競輪を当地で制しています。このレースは真杉の先行が有力。ただ真杉の先行で平原の番手捲りであれば,脇本が乗り越えることができるのではないかとみていました。清水にも発進されて楽ではありませんでしたが,見事に捲り切りましたので,これが現状の力量だとみていいでしょう。今年は競輪に専念しますので,大きな活躍が見込めるものと思います。

 僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusは,第三部諸感情の定義二七の後悔poenitentiaの類似感情です。自由な決意decretumによってなしたかどうかとは関係ないとはいえ,自分のなした行為の観念ideaを伴った悲しみtristitiaである点では,一致するからです。そしてこの後悔は,自己満足acquiescentia in se ipsoの反対感情なのです。厳密にいうと,スピノザは自己満足の反対感情はふたつあるといっていて,ひとつは第三部諸感情の定義二六の自己嫌悪humilitasで,もうひとつが後悔なのですが,それは自己満足をどのような観点からみるのかということによって相違してきます。したがって,後悔が自己満足の反対感情であるという点は間違いありません。よって良心の呵責が後悔の類似感情である限り,スピノザの哲学の文脈では,この種の良心の呵責の反対感情は自己満足であることになるのです。
 スピノザは,自己満足は喜びlaetitiaであるとしても,全面的に推奨はしません。このことはスピノザが自己満足と自己愛philautiaを分けて記述しているということから明白です。スピノザがいう自己愛は,第三部諸感情の定義二五の感情affectusにほかなりません。このときスピノザは,推奨することができるような自己満足については自己満足というのに対し,推奨することができないような自己満足については,自己満足とはいわずに自己愛というのです。これは必ずそうなっているというわけではないかもしれませんが,基本的にスピノザはこのラインで自己満足と自己愛を使い分けていると理解して間違いありません。たとえば高慢superbiaは自己満足の一種ですが,スピノザの分類でいえば,高慢は自己満足ではなく自己愛であるということになるのです。これに対して理性ratioから生じる自己満足は,人間が得ることができる最高の喜びであるといっても差し支えなく,こうした自己満足は確かに自己満足であり,自己愛ではないということになります。
 したがって,この種の良心の呵責の反対感情を歓喜gaudiumというとするなら,歓喜は自己満足の一種になるのですが,それは自己愛の一種でもあり得るのです。そしてもしも自己愛の一種であるような歓喜は推奨され得ないことになるでしょう。逆に,もしもそれが自己愛ではない自己満足の一種であるときは,その歓喜は推奨されます。
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NHKマイルカップ&自己満足の一種

2022-05-09 19:09:13 | 中央競馬
 昨日の第27回NHKマイルカップ
 ジャングロは立ち上がって2馬身の不利。先行集団を形成したのはキングエルメスとトウシンマカオとオタルエバーの3頭。2馬身差でソネットフレーズとソリタリオとセリフォスとタイセイディバインとフォラブリューテの5頭。2馬身差でアルーリングウェイとダンテスヴューとステルナティーアとダノンスコーピオンの4頭。インダストリアとプルパレイも差がなく続きました。3馬身差でカワキタレブリー。2馬身差でセイクリッド。4馬身差でマテンロウオリオン。3馬身差でジャングロという隊列。前半の800mは45秒6のミドルペース。
 先手を奪ったのはトウシンマカオで2番手にオタルエバー。内の3番手にキングエルメスという隊列で直線に。トウシンマカオは少し外に出ました。キングエルメスのさらに内からセリフォス。トウシンマカオの外からダノンスコーピオン。大外からマテンロウオリオン。ダノンスコーピオンとマテンロウオリオンの間からカワキタレブリーの4頭が伸びてきました。最後はダノンスコーピオンとマテンロウオリオンの争いとなり,先に前に出ていたダノンスコーピオンが優勝。マテンロウオリオンがクビ差で2着。カワキタレブリーがクビ差の3着でセリフォスは1馬身4分の1差で4着。
 優勝したダノンスコーピオンはアーリントンカップからの連勝。重賞2勝目で大レース制覇。このレースは確たる有力馬が不在の混戦。各々に一長一短があるメンバー構成。この馬の場合,共同通信杯で負けていて,東京の1600m戦はある程度のスタミナも要求されるので,その点が不安材料でした。1800mのオープンは勝っていましたので,実際はその面で不安があったというわけではなく,共同通信杯は別の理由で負けていたということだったのでしょう。ただ,クラシック路線で上位争いをしている馬たちほどのレベルには達していないような気もします。父はロードカナロア
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は桜花賞以来の大レース34勝目。NHKマイルカップは初勝利。管理している安田隆行調教師は昨年のJBCスプリント以来の大レース20勝目。NHKマイルカップは初勝利。

 僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusは,自分がなしたあるいはなすであろう害悪の観念ideaを原因causaとして伴った悲しみtristitia,でした。したがってこの感情affectusの反対感情を定義するとすれば,自分がなしたあるいはなすであろう利益の観念を原因として伴った喜びlaetitia,ということになります。なお,良心の呵責の定義Definitioの中にある害悪は,とくに説明しませんでしたが,自分の害悪ではなく他人の害悪に限定されます。したがって,その反対感情の中にある利益は,自分の利益を意味するのではなく他人の利益を意味します。
 次に,害悪は,もしもそれを感情としてみるならば悲しみです。よって良心の呵責というのは,自分が他人に対して悲しみを与えたこと,あるいは与えるであろうことを表象するimaginariことによって,自身が悲しみを感じる場合のことを意味します。したがって,その反対感情でいわれている利益というのは,感情としていうなら喜びを意味するのであり,自分が他人に対して喜びを与えたこと,ないしは与えるであろうことを表象することによって,自分自身が喜びを感じるということを意味します。そしてここでは良心の呵責の反対感情のことを歓喜gaudiumというという決まりになっていますので,そのような喜びを歓喜ということになります。一般にこの感情だけを歓喜ということには不自然な面が残りますが,それをいえば第三部諸感情の定義一六の感情だけを歓喜というのも不自然であるといえるでしょう。これは定義なのであって,とりあえずその感情のことを,あるいはその感情のことだけを歓喜というという意味なのであって,一般的にそのような感情のことを歓喜というという意味であるわけではありません。
 このように定義された歓喜は,自己満足acquiescentia in se ipsoの一種であるといえます。このことは第三部諸感情の定義二五から明白です。他人に対して喜びを与えることというのは,自分自身の働く力agendi potentiamのひとつであると解することができるからです。つまり自己満足のうち,他人に対して喜びを与える自己の働く力の場合のことが,歓喜であるということになるのです。
 実は,僕が定義した良心の呵責の反対感情が自己満足の一種になるということは,『エチカ』の文脈からは当然なのです。
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ケンタッキーダービー&推奨されない歓喜

2022-05-08 19:41:12 | 海外競馬
 日本時間で今日の朝にアメリカのチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーダービーGⅠダート11/4マイル。
 クラウンプライドは少しばかり押して2番手に。向正面では逃げた馬との差がクビから半馬身くらいの間で推移しました。3コーナーの手前で逃げた馬とクラウンプライドの間に1頭が入ってきました。ここで逃げた馬は一杯になって後退。クラウンプライドは上がってきた馬の外を併走。コーナーの途中では一旦は少しばかり前に出たようにみえます。しかしその外からもう1頭が捲り上げてきて,直線の入口ではそちらが先頭に。直線では鞭が入れられましたが余力がなく,馬群に飲み込まれることに。勝ち馬からはおよそ18馬身4分の1差の13着でした。
 逃げた馬が早々に一杯になったように,先行馬には苦しいペースでしたから,もう少し控えていればもっと上位の着順はあったかもしれません。ただその場合はレースに参加することもできずに惨敗というケースもあり得たでしょう。ダート競馬の本場といえるアメリカの,3歳馬の最高峰のレースに挑戦したわけですから,しっかりとレースに参加した内容は,僕は悪くなかったと思います。先行して一杯になったのですから,力不足であったということでいいのではないでしょうか。

 ある種の悲しみtristitiaは,人間の現実的本性actualis essentiaに反し,非道徳であったとしても,推奨される場合があります。したがって,ある種の歓喜gaudiumは非道徳的であるだけでは全面的に推奨されないということの根拠としてやや弱い面があります。そこで,歓喜が推奨されない場合を,もっと具体的に考察していきます。この場合,それがどのように解されるとしても,歓喜が良心の呵責conscientiae morsusの反対感情であるということに注意してください。
                                   
 まず良心の呵責を第三部諸感情の定義一七の感情affectusであるとした場合は,その反対感情が第三部諸感情の定義一六の感情であることになります。この場合の歓喜は,憎しみodiumと結びつくことによって,推奨されない場合というのを容易に説明することができます。たとえば,Aという人間が現実的に存在しているとして,BがAに対して危害を与えてくるに違いないという不安metusを感じていたとしましょう。このとき,たとえばBが大けがをして入院したとなれば,とりあえずその不安は解消するでしょう。よってAはこのときに歓喜することになります。これは,Bのけが,感情でいえばこれは悲しみに違いありませんから,Bの悲しみがAの喜びlaetitiaの原因causaとなっています。このことは第三部定理二三によって,AがBを憎んでいるという意味なのです。なのでこの種の歓喜は推奨され得ません。これは,自分の悲しみが他人の悲しみと結びつくとき,その悲しみは人を敬虔pietasにさせるので推奨されるということから考えればよく理解できるでしょう。ちょうどそれとは逆に,他人の悲しみが自分の喜びに結び付く場合,またその反対に,他人の喜びが自分の悲しみと結びつくような感情は,スピノザの哲学では推奨されないのです。前者の場合は喜びを感じている人は他人の悲しみを維持また促進させるように作用させますし,後者の場合は悲しみを感じている人は他人の喜びを阻害あるいは除去させるように作用させるからです。これらはどちらの場合も人と人とを対立的にさせることは明白でしょう。
 次に,僕が定義した場合の良心の呵責の反対感情としての歓喜について考えます。歓喜も一般的には,第三部諸感情の定義一六の場合だけに成立するものではありません。
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農林水産大臣賞典かしわ記念&歓喜について

2022-05-07 19:15:35 | 地方競馬
 5日の第34回かしわ記念
 ショウナンナデシコの逃げになり2番手にテイエムサウスダン。3番手のソリストサンダーとカジノフォンテンまでが先行集団。3馬身差でタイムフライヤー。6番手にエアスピネル。3馬身差でサンライズノヴァ。4馬身差でギャルダルとインティ。7馬身差でナラ。大きく離れてユアマイラブ。大きく離れてマイネルヘルツアス。また離れてグレートコマンダー。さらに離れてサンライズサーカスという隊列。前半の800mは48秒6のミドルペース。
 3コーナーからショウナンナデシコとテイエムサウスダンは雁行。その後ろのソリストサンダーとカジノフォンテンも併走で続きました。手応えはテイエムサウスダンがよく見えたのですが,直線では一杯になり,再び突き放したショウナンナデシコが鋭く逃げ切って優勝。直線でテイエムサウスダンの外に出したソリストサンダーが1馬身差で2着。一杯になったテイエムサウスダンが3馬身差で3着。カジノフォンテンも4馬身差の4着で,典型的なインを回った馬が有利な前残りの決着となりました。
 優勝したショウナンナデシコマリーンカップに続いての勝利。重賞3連勝で大レースは初制覇。重賞連勝中といっても牝馬限定戦でしたから,格は下。ただ格上の馬は近況はこの馬ほどではなかったので,勝つチャンスもあるだろうとみていました。いきなり牡馬相手の大レースに出走して勝ったということは評価しなければなりませんが,1番枠から逃げることができたというのは大きな勝因となっているでしょうから,たとえば次に帝王賞に出走して,同じように互角に走れるかというと,必ずしもそうはいえないところもあるのではないかと思います。父はオルフェーヴル。母の父はダイワメジャー。従兄に2017年のシンザン記念を勝っている現役のキョウヘイ
                                        
 騎乗した吉田隼人騎手は大阪杯以来の大レース6勝目。かしわ記念は初勝利。管理している須貝尚介調教師は昨年の桜花賞以来の大レース15勝目。かしわ記念は初勝利。

 良心の呵責conscientiae morsusは,それをどう解するとしても,スピノザによって,少なくとも部分的には推奨されるでしょう。これがこの考察の結論ですが,関連した補足をしておきます。
 第三部諸感情の定義一七の感情affectusは,第三部諸感情の定義一六の歓喜gaudiumの反対感情です。そしてニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheは,スピノザが歓喜と良心の呵責を反対感情として規定していることをおそらく重視しています。そのために,ここでは良心の呵責をどう解するとしても,つまり第三部諸感情の定義一七に定義されている通りに解するとしても,あるいは後悔poenitentiaの類似感情として解するとしても,または僕が定義したような仕方で解したとしても,それは歓喜の反対感情であるということを前提としました。そして,良心の呵責はどのように解するにしても,スピノザはそれを部分的には推奨するのですから,その反対感情となる歓喜については,たとえそれが喜びlaetitiaであったとしても,スピノザが全面的に推奨することはありません。
 まず,第三部諸感情の定義一六の感情について,スピノザがそれを全面的に推奨することはないということは,この定義Definitioから明白です。というのも,この感情は喜びなので,人間の現実的本性actualis essentiaには反しません。なのでこの観点からは歓喜が否定されることはありません。このことは,歓喜をこの定義から外れた感情,つまり良心の呵責を第三部諸感情の定義一七とは異なった感情と解したときの反対感情としてみた場合も同様です。どのように解するとしても良心の呵責は悲しみなのですから,その反対感情である歓喜は,悲しみの反対感情である喜びでなければならないからです。しかしこの定義は同時に,この感情が観念ideaとしてみた場合は混乱した観念idea inadaequataである場合もあるということを排除していません。そしてその場合には,道徳的な観点から否定されることになるのです。実際に僕たちは,何らかの誤った情報によって歓喜する,第三部諸感情の定義一六の意味で歓喜するということがあるのであって,その場合には混乱した観念によって歓喜していることは明白です。だから歓喜が喜びであるという理由で,それが全面的に推奨されるということはないのです。むしろ部分的に否定されます。
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日刊スポーツ賞東京湾カップ&評価の仕方

2022-05-06 19:09:27 | 地方競馬
 4日の第36回東京湾カップ
 ロマンスグレーが逃げて2番手にマイブレイブ。3番手にイライジャとタツノエクスプレス。5番手にキャッスルロック。6番手にメンタイマヨ。7番手にキャッスルブレイヴ。2馬身差でフレッシュグリーン。最後尾にダーラナホースという隊列で発走後の正面を通過。向正面に入ったところでロマンスグレーのリードは2馬身くらい。マイブレイブの後ろも2馬身くらいの差が開いてタツノエクスプレスが単独の3番手に。イライジャ,キャッスルロックと続いて2馬身差でメンタイマヨ。この後ろは5馬身くらい開いてキャッスルブレイヴ。フレッシュグリーンとダーラナホースの間も2馬身くらいと縦に長くなりました。ミドルペース。
 3コーナーではロマンスグレーとマイブレイブとタツノエクスプレスの3頭が抜け出し,4番手のキャッスルロックとの差は4馬身くらい。ここからマイブレイブが一杯になって脱落。優勝争いはロマンスグレーとタツノエクスプレスの2頭。直線の競り合いは長く続きましたが,外から競り落としたタツノエクスプレスが優勝。ロマンスグレーが半馬身差で2着。後方2番手から追い込んだフレッシュグリーンが2馬身半差で3着。
 優勝したタツノエクスプレスは南関東重賞初制覇。このレースはクラウンカップで上位に入った馬の争いになるケースが多いのですが,今年は上位組の参戦がなかったので,どのような結果になるのかに注目していました。勝ち馬がクラウンカップの6着で,2着馬がこのレースのトライアルの勝ち馬。レースの全体のレベルというのは年によってそう大きく変動するものではありませんから,トライアルのレベルはそのあたりにあるという目途になったかと思います。安定した成績を残してはきたものの,南関東重賞では着外に終わっていた馬の優勝となりましたので,今年の東京湾カップはレース全体のレベルがさほどではなかったという評価でいいと思います。父はアジアエクスプレス
 騎乗した大井の和田譲治騎手はクラウンカップ以来の南関東重賞8勝目。第35回からの連覇となる東京湾カップ2勝目。管理している川崎の田辺陽一調教師は南関東重賞3勝目。東京湾カップは初勝利。

 憐憫commiseratioが全面的に推奨されるなら,僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusも全面的に推奨されることになる筈です。なぜなら,この場合の良心の呵責は,自身がなしたあるいは自身がなすであろう他人の害悪の観念ideaを伴った悲しみtristitiaであり,この場合も害悪を感情affectusとしていうなら悲しみにほかならないからです。この場合に憐憫と良心の呵責の相違は,その対象となっている人間の悲しみの原因causaが,憐憫の場合は自分にはなく,良心の呵責の場合は自分にあるという点だけです。なので憐憫が全面的に推奨されるのと同じ理由で,良心の呵責も全面的に推奨されることになるでしょう。
 一応の注意を与えておけば,こうしたことは憐憫も良心の呵責も,その感情それ自体で評価されています。憐憫の対象とか良心の呵責の対象に対して,さらに別の感情を抱く場合があるのであって,そうした感情のことは無視しなければなりません。そもそもある対象に対して憎しみodiumを感じている人は,その対象に対して憐憫とかこの場合の良心の呵責といった感情を抱かないあるいは少なくとも抱きにくくなっています。さらに前にもいっておいたように,僕たちはある人に対して害悪いい換えれば悲しみを与えないことに良心の呵責を感じるということもあり得るのです。そうした事情を考慮に入れるなら,憐憫にせよ良心の呵責にせよ,受動感情として全面的に推奨されるということはあり得ません。ただこれらの感情は,それ自体でみた場合は,他人の悲しみが自分の悲しみと結びついた感情であり,そのゆえに悲しみを回避しまた除去しようとする現実的本性actualis essentiaを有している人間は,その他人の悲しみを除去しようとするコナトゥスconatusを有していることになるので,全面的に推奨される受動感情になるということです。
                                   
 ここまでのことから理解できるように,スピノザはおそらく良心の呵責を,全面的に否定するということはありません。第三部諸感情の定義一七の感情そのものと解しても,あるいは後悔poenitentiaの類似感情と解しても,そして僕が定義したような,もっと一般的な広い意味に解したとしても,全面的にあるいは部分的に推奨されるのです。この点はスピノザとニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheの間で相違があると僕は考えます。
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農林水産大臣賞典兵庫チャンピオンシップ&全面的な推奨

2022-05-05 19:15:52 | 地方競馬
 昨日の第23回兵庫チャンピオンシップ
 ドライスタウトは立ち上がるような発馬で1馬身の不利。バウチェイサーが逃げて2番手にコンシリエーレ。3番手はべラジオボッキーニとブリッツファング。5番手にアイスジャイアント。6番手にノットゥルノ。7番手にベルレフォーンとドライスタウト。9番手にローグネイション。10番手にタンバグリ。最後尾にクレールアドレとアントラシートという隊列で1周目の正面へ。ここでペースが落ちたので,前の集団が凝縮しました。
 2周目の向正面からペースアップ。べラジオボッキーニは後退し始めたので,バウチェイサー,コンシリエーレ,ブリッツファング,ドライスタウト,ノットゥルノという順に。逃げたバウチェイサーも3コーナーの前で一杯になり,コンシリエーレとブリッツファングの雁行に。4馬身くらい開いてノットゥルノが3番手に上がりドライスタウトは苦しくなって4番手。直線の入口では外のブリッツファングがコンシリエーレの前に。直線は独走となってブリッツファングが圧勝。一杯になったコンシリエーレを差したノットゥルノが8馬身差で2着。コンシリエーレが4分の3馬身差で3着。
 優勝したブリッツファングは重賞初制覇。1月にデビューして新馬を勝つと2月のオープンは9着。先月の1勝クラスを勝ってここに挑みました。オープンでは大敗していましたが,これは1戦1勝のキャリアで出走したものですから度外視してもよいところ。新馬戦は7馬身の差をつけて勝っていて,そのオープンでも1番人気に支持されていたことからも分かるように,素質は見込まれていました。キャリアを重ねての圧勝は,本来の能力を示したものと考えていいでしょう。ジャパンダートダービーでも有力候補になると思います。父はホッコータルマエ。祖母の7つ上の半兄に1997年に弥生賞を勝ったランニングゲイル。Fangは牙。
 騎乗した池添謙一騎手と管理している大久保龍志調教師は兵庫チャンピオンシップ初勝利。

 悲しみtristitiaの模倣という受動passioは,人を敬虔pietasにさせる,あるいは人が理性ratioに従うのと同じ行動をさせます。そしてこの場合にとくに重要なのは,このことは必然的にnecessario生じるという点です。これは,悲しみを忌避する,あるいは除去することが,人間の現実的本性actualis essentiaであるからです。つまり,悲しみの模倣によって悲しみを感じた人間は,模倣した他者の悲しみを,必然的に除去するのです。よって,悲しみの模倣によって感じられる悲しみは,それ自体でみれば,人間の現実的本性に反し,非道徳的でもあるのですが,ほぼ全面的に推奨されることになるのです。僕が単に全面的にとはいわず,ほぼ全面的にといったのは,悲しみを忌避することが人間の現実的本性である以上,悲しみの模倣をした人間は,模倣した人間の悲しみを除去しようとするのではなく忌避しようとする,つまりそれを表象しないようにするという場合もあり得るからで,そうした場合を除外するためです。悲しみを模倣はしているのに模倣している他人の悲しみを見て見ぬふりをするということはあり得るでしょう。『わたしが・棄てた・女』でいえば,ミツは田口および田口の妻子の悲しみをみて見ぬふりをしてカーディガンを買いに行くということも,物語を別とすればあり得たわけです。これは論理的にいうと,模倣した悲しみよりカーディガンを入手する欲望cupiditasの方が大きかったために生じる,第四部定理七の様式で生じるので,悲しみを模倣したのに見て見ぬふりをするというのとは異なるのですが,こうした場合も含めて,実際は模倣した他人の悲しみを除去するように行動しないということはあり,そうした反論に備えるために,ほぼ全面的に推奨されるといっておくのです。
                                       
 これで憐憫commiseratioという感情affectusがなぜ高く評価されるのか,受動であるのに強く推奨されるのかということは理解できるでしょう。第三部諸感情の定義一八は,それ自体で感情の模倣imitatio affectuumによる悲しみであるということを示しているわけではないかもしれません。ただ害悪というのは,感情としてみれば悲しみ以外ではあり得ません。喜びlaetitiaではあり得ないし欲望cupiditasでもあり得ませんから,悲しみであることは明白です。つまり悲しみの模倣なのです。
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ラジオNKKEI盃若潮スプリント&ミツと田口

2022-05-04 19:08:49 | 地方競馬
 昨晩の第2回若潮スプリント
 スタースタイルが先手を奪い,シャインポラリスが2番手,3番手にスティールルージュとグレンノハナでしたが,スティールルージュがスピードを緩めなかったので,発馬後の向正面のうちにスタースタイルの前に出ることになりました。3馬身差でランディスシティ。6番手にジェルジオ。2馬身差でヒストリックノヴァ。8番手にエスポワールガイ。9番手はクラサーベルとカプティフ。最後尾にエルロイという隊列。前半の600mは34秒9のハイペース。
 3コーナーでは先頭がスティールルージュで2番手にスタースタイル。シャインポラリスは後退していきランディスシティが3番手に。シャインポラリスが後退したので3番手と4番手との差が開き,この時点で優勝圏内は3頭。ただ途中からの逃げになったスティールルージュには余裕があり,直線では差を広げていき楽勝。スタースタイルが4馬身差の2着に残り,迫ったランディスシティは4分の3馬身差で3着。
 優勝したスティールルージュユングフラウ賞以来の勝利で南関東重賞は3勝目。この馬は距離が短い方がいいですから,短距離路線にシフトしたここは最有力候補。レースをみれば分かるように,スピード能力で他を圧倒しました。このメンバーでははっきりと能力が上だったと判断していいでしょう。祖母の12歳上の半兄にサウスヴィグラス
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手は東京2歳優駿牝馬以来の南関東重賞24勝目。若潮スプリントは初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞7勝目。若潮スプリントは初勝利。

 『わたしが・棄てた・女』の主人公は,森田ミツという女です。この主人公が,黄色いカーディガンを購入するために,町工場で夜勤をして収入を得ます。その給料日に,同僚の田口という男が給料の前借を依頼するのですが,工場長に拒絶されます。田口が前借を依頼したのは,給料を博打に費やしてしまったからでした。ミツは受け取った給料を手にカーディガンを買いに出るのですが,そこで田口と田口の妻子と出くわします。ミツはそのままカーディガンを買いに出掛けるのですが,すぐに囁きを耳にします。これはくたびれた一つの顔,と表現されていますが,神の声と解してよいでしょう。その囁きは,カーディガンを買おうとしているその金で,田口夫妻を助けてくれという主旨のものです。ミツは抗います。ミツはカーディガンを買うために夜勤までして働いたのに対し,田口が給料を前借しなければならないような苦境に陥ったのは,田口自身の責任だからです。すると神から次のように囁かれます。
                                        
 「責任なんかより,もっと大切なことがあるよ。この人生で必要なのはお前の悲しみを他人の悲しみに結び合わすことなのだ」。
 ミツはこの囁きを聞いて引き返し,田口の妻に給料として受け取った金を貸します。つまりミツ自身が聞いた神の囁きによって,予定していたのとは異なった行動をとることになったのです。
 この囁きは,大切なことは他人の悲しみtristitiaを模倣することである,というように解釈することができるでしょう。僕はそれが一般的にキリスト教が教えることであるとは思いません。ただ,もし他人の悲しみを模倣しさえすれば,それは自分の悲しみとなり,自分の悲しみを除去するために模倣した他人の悲しみを除去するようになる,これは意志voluntasによってそうなるのではなく,自然法則によって,あるいは同じことですが神Deusの本性naturaの必然性necessitasによってそのようになるのです。そしてそのようになることによって,人は敬虔pietasであることができるのですから,ミツが聞いた囁きは,確かに人を敬虔にさせるような囁きであったわけです。そしてこの囁きを聞くという働きを受けるpatiことによって,ミツは確かに敬虔であるとされる行動をとったのです。
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農林水産大臣賞典かきつばた記念&悲しみの模倣

2022-05-03 19:21:17 | 地方競馬
 第24回かきつばた記念
 ラプタスが逃げてピンシャンが2番手。3番手にイグナイターとヘリオス。5番手にサンロアノーク。6番手がタガノビューティーとカツゲキキトキトとワイドファラオ。9番手のインペリシャブルまではさほど差がなく続きました。3馬身差でミラクルシップ。11番手がエッシャー。離れた最後尾がサンマルティン。スローペースでした。
 3コーナーの手前からピンシャンは苦しくなりました。道中で単独の3番手に上がっていたイグナイターが外から2番手。それより内を回ったヘリオスが3番手で,一番内を回ってきたタガノビューティーが4番手となり,直線はこの4頭の争い。一番外に進路を取ったイグナイターが内の3頭を競り落として優勝。ラプタスとイグナイターの間を突くことになったヘリオスが1馬身差の2着。逃げたラプタスが半馬身差の3着で最も内のタガノビューティーはクビ差で4着。
 優勝したイグナイター黒船賞からの連勝で重賞2勝目。このレースはその黒船賞から転戦してきた馬たちが有力。イグナイターは黒船賞と同じ斤量であったのに対し,2着だったヘリオスは斤量が1.5キロも増えていましたので,こちらが有力だろうと思っていました。最内枠からの発走は必ずしも有利ではなかったと思いますが,騎手の位置取りとコース取りがとても巧みであったという印象です。父はエスポワールシチー。Igniterは点火器。
 騎乗した兵庫の田中学騎手は黒船賞以来の重賞3勝目。かきつばた記念は初勝利。管理している兵庫の新子雅司調教師は黒船賞以来の重賞5勝目。第16回以来8年ぶりのかきつばた記念2勝目。

 現実的に存在するある人間が他人の悲しみtristitiaを模倣するとは,ある他人が悲しみを感じていると表象するimaginariことによって,自分も悲しみを感じるということです。このとき,悲しみを模倣した人間は,自分の悲しみの原因causaが他人の悲しみにあると認識するcognoscereことになります。現実的に存在する人間は,悲しみを忌避し,また悲しみを除去しようとするコナトゥスconatusを有しています。よって自分の悲しみの原因となっている他人の悲しみを除去しようとするのです。なお,こうした感情の模倣imitatio affectuumは,第三部定理二七により,フラットな場合も生じますが,第三部定理二一により,他人を愛している場合はなお強化されます。愛amorを感じている人間に対して悲しみの模倣が強化されるということは,逆にいえば憎んでいる相手に対しては弱くなります。それどころか第三部定理二三により,憎んでいる対象が悲しみを感じていると表象する場合は,喜びlaetitiaを感じます。現実的に存在する人間は喜びを希求するのですから,その喜びを促進しようとするでしょう。したがって,憎んでいる他人の悲しみを,なお強めることを希求します。このことからも,スピノザが憎しみodiumを全面的に否定することの一端が窺えます。憎しみは感情の模倣を弱める方向に作用する感情であり,このために他人を悲しみから救出するより,さらなる害悪を与えてより悲しませようとする感情なのです。
                                        
 ここでひとつ,僕がかつて読んだ小説を題材にします。遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』という小説です。遠藤周作はクリスチャンであり,キリスト教が主題とされた小説を多く書いています。これは遠藤周作に限ったことではなく,一般にキリスト教作家全般にいえることだと僕は思いますが,そうした作家たちは,キリスト教を主題とせんがために,小説の中に壮大な虚構あるいは虚偽を創作するケースがあります。この関係から,キリスト教作家の作品については敬遠するという方も多くいるのだろうと僕は推測します。ただ,『わたしが・棄てた・女』に関していえば,キリスト教も主題となっていますが,ハンセン病も大きな主題となっていて,そうした虚構に関してはさほど気にせずに読むことができると思います。
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施設整備等協賛競輪in青森&悲しみの原因

2022-05-02 20:56:15 | 競輪
 青森競輪場で行われた昨日の縄文小牧野杯の決勝。並びは嵯峨‐根本‐新山の北日本,吉田‐山岸‐中田‐武藤の関東,河端‐阿竹の中四国。
 嵯峨がスタートを取って前受け。4番手に河端,6番手に吉田で周回。残り3周のバックを出ると吉田が上昇を開始。しかしホームで嵯峨が突っ張り,周回中の隊列に戻りました。バックに入ってまた吉田が上昇。しかしここも打鐘から嵯峨が突っ張りました。吉田は外に浮く形となり,河端の外あたりでバックまで頑張りましたがそこで一杯となり不発。その吉田をどかすように河端が発進。根本は番手捲りを敢行しましたが,その外から捲り切った河端が優勝。マークの阿竹が1車身半差の2着に続いて中四国のワンツー。番手から捲った根本マークの新山が4分の3車身差で3着。
 優勝した岡山の河端朋之選手は昨年9月の防府のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは嵯峨も吉田も先行意欲が高そうで,先行した方のラインが有利になるのではないかと思っていました。ただ当然ながら先行争いもあり得るところで,その場合は河端の一発もあるだろうと予想。競り合いの先行争いではありませんでしたが,前受けをした嵯峨が吉田を出させないために早めの突っ張り先行となったので,展開が河端に向きました。脚力はありますが持久力にはやや欠けている印象で,そのあたりが課題といえるでしょう。もっともここは日本選手権に出走しないメンバーでの争いで,通常のFⅠよりももしかしたら全体のレベルが低いGⅢだったかもしれません。

 前もっていっておいたように,受動感情とりわけ悲しみtristitiaに属する感情affectusが,理性ratioに従う人と同じような行動へと人を誘う場合には,ある条件が『スピノザ〈触発の思考〉』では設定されています。実はそのことは,悲しみの積極性といくらかの関係を有しています。僕の方からその点を説明しておきましょう。
                                   
 スピノザの哲学において,喜びlaetitiaが肯定され悲しみが否定される理由のひとつに,喜びは人間の現実的本性actualis essentiaに即した感情であるのに対し,悲しみは人間の現実的本性に反する感情であるということがありました。このことから,人間は悲しみは忌避し,喜びは希求することになります。他面からいえば,現実的に存在する人間の欲望cupiditasは,喜びを希求することと悲しみを忌避することへ向かうのです。これは第三部定理二八から明らかだといえます。悲しみを忌避しようとすること,あるいは悲しみを感じたならそれを除去しようとすることは,悲しみの積極性のひとつと解してもよいでしょうから,これは悲しみの積極性といくらか関係を有していると僕はいったのです。
 ここから容易に理解できるように,もしも自分の悲しみの原因causaが他人の悲しみにあると表象した場合,その人はその他人の悲しみを除去しようとするでしょう。自分の悲しみが他人の悲しみを原因としているのであれば,悲しみを感じている人間は自分の悲しみを除去しようとするのですから,その悲しみの原因となっている他人の悲しみを除去しようとするからです。このとき,その行動は,理性に従っている人の行動と重なるのです。理性に従う人は,能動的に他人の悲しみを除去しようとするのに対し,他人の悲しみが自分の悲しみの原因となっている人は,受動的に他人の悲しみを除去しようとするのです。あるいは同じことですが,理性に従う人は能動的に敬虔pietasであるのに対し,自分の悲しみの原因が他人の悲しみの原因であると表象するimaginari人は,受動的に敬虔になるのです。
 他人の悲しみが自分の悲しみの原因となるということは,フラットな状況でも現実的に存在する人間には生じ得ます。これは第三部定理二七でいわれている種類の感情の模倣affectum imitatioが,現実的に存在する人間には生じるからです。
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