スーパーのレジに並んでいた時に
レジ直前で空けていたディスタンスに高齢女性が割り込んできた
「え!」とは一瞬思ったが まあ仕方ないと無視してそのまま先にお会計をさせておいた
高齢になると視野が狭くなることもあるので 私が並んでいることを見落としたのであろう
相手はいわば社会的には「弱者」でもあるので 目くじら立てて「俺の方が先だろ!」とかは言わなかった
特に急ぎの用事もなかったし
だが 相手が学術権威で 科学的根拠のないデマを流布していた場合には話が違う
権威という社会的には「強者」であるから これは徹底して攻撃対象にする
デマや嘘を流布していたのでは「権威」としても社会的役割を果たしておらず 無責任だからである
医療臨床では科学的メカニズムがわからなくても 多くの場合効いているだけで利用されている治療法というのはよくある話ではあるのだが
これは進化生物学における遺伝的進化の「結果」にまで拡張解釈するのは大間違いである
遺伝的進化の「結果」というのは 過去にどのような経緯を辿ったのかを全て把握できているわけではなく 現在生き残った生物種やウイルス株だけでしか類推することができないものであり 医療臨床のように豊富な臨床データに基づいて判断するのとは話が根本的に異なる
結果だけを見れば遺伝的進化というものは「種の保存にとって合理的」だとは言えるが それは「種の保存」自体が結果に過ぎず 結果に対して合理的な進化が起きるのは必然的当たり前の話である
液体が低い場所へと流れる自然現象という結果から 「液体は低い場所へと流れることが目的である」という帰結にはならない
河川は 最も合理的な流路を選んで流れるが 別に河川が海に至ることを目的として合理的流路を選んでいるわけではなく 結果的に最も合理的流路になっているだけの話である
遺伝的進化というものは 自然現象であって シーケンシャルに生ずる「結果」以上の意味は存在しないのであって 結果だけを抽出枚挙してきて「生物の目的は種の保存だ」などという話は 結果に対する事後正当化のこじつけでしかない
リチャード:ドーキンスは 進化的にヒトには利他的行動へのバイアスが組み込まれている可能性について言及しており これがバカな大衆や生物学者にとっては「ヒトには先天的に人間性が組み込まれていて 本能習性任せにしておけば自動的に人間性が発揮される」というトンデモナイ大嘘に利用されているのである
利他的行動はヒトでなくとも大型のオウムでも採るという
利他的行動を採れば あたかも人間性の論証であるかのように錯覚可能かも知れないが 振り込め詐欺師が仲間内で飯を驕ったからといって人間性の論証にはならない
残虐なゲリラやテロリスト同士で統率協調的行動を採っても その仲間内における利他的行動も 人間性の論証には全くならない
バカな大衆は 自分が主観的に気分が悪くなる話をする相手の言っている内容は論理的に理解したがらず 気分が良くなる話だけを信用したがるものである
だから 目先のご機嫌取りや 形式的マナーだけを根拠に勝手に相手に順位序列をでっち上げ 論理客観的根拠もない「常識」的な安心できる話以外には耳を貸そうとはしなくなる
”主観的に気分が良くなる話=正しい話”という解釈しかしたがらないため 論理客観的根拠に基づいた真実の論証には耳を貸さなくなるのである
主観的 観念的に「わかったような気分」に陥っているだけであって 論理客観的には何も「理解」などしていないのである
だから簡単にデマやペテンに騙される
そして 厄介なことに 一度信じ込んだ話を否定されても 過去に一度信じ込んだ自分の判断を事後正当化する形で 気分が悪くなる話には耳を貸さなくなるのである
これが「認知的不協和理論」の肝である
「認知的不協和」なんて熟語を使われると 何やら複雑で難解な印象を抱いてパンピーには理解できないものなのではないかと錯覚しがちだが
実は「気分が悪くなる話は信じたがらない」だけの理論に過ぎない
一度カルト宗教の教祖を信じ込んでしまうと 信じ込んだ自分の判断を事後正当化する形で否定的な話は全部「嘘」だと否定するようになる
これが「洗脳」というものである
ヒトは 先天的な「社会性」という性質があり 統率協調的に権威に服従することで狩猟採集生活の時代には生き延びることができたため 先天的に狩猟採集生活に適応した盲目的な権威服従性が動物行動習性として組み込まれており それが原因でミャンマー軍事政権や香港警察のような封建的独裁にも簡単に迎合してしまうのである
ヒトがヒトにまで進化したのは 生物進化の歴史の中ではごく最近の話であり 生物史全体から見たらヒトなど「新種」に過ぎない
ところがヒトというのは 自分が生まれて数十年の間しか知識がないもんだから それだけが歴史や世界の全てだと勘違いし 過去に起きた事象には興味が働かなくなるため 遺伝的進化を万能だと錯覚したり カルト宗教にのめり込んだり 詐欺師に簡単にカモられたりするのである
その意味において ヒトは何ら「知的生命体」などではないのだが 他人の業績を単に「知っている」というだけで あたかも自分自身でも気付くことが可能な能力であるかのように錯覚し 自らの頭の悪さを自覚しなくなるのである
どんなに大量の知識を知っていても イマヌエル:カントの「純粋理性批判」には論理的飛躍や勝手な決めつけがが著しいことには気付くことのできないバカの方が圧倒的に多いのである
ヒトの大半は「痴的生命体」である
だから戦争だの無差別殺人だのイジメだのヘイトが治まらない
ヒトが先天的にバカであることを自覚認識していれば バカげた錯覚に惑わされて無駄なことに邁進したり 他人に多大な迷惑をかけたりせずに済むのである
ヒトがバカなのは ヒトのせいではない
だが バカなのを自覚したがらないのは本人の責任の範疇である
間違えることそのものが間違いなのではなく 間違えたことを自覚認識しようとせずに間違った認識を押し通そうとすることこそが「本当の間違い」なのである
「過ちて 過ちを認めず これ本当の過ちなり」って 論語だったっけか? 何か中国の古典になかったっけ
ググれば出てくるかもね
知らんけど
Ende;