書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

目的

2021年08月21日 12時57分47秒 | 意識論関連

「印象操作」という言葉がある

要は雰囲気的な「印象」を作り出すことで ヒトの認識を歪めることである

だが これは 騙す方も悪いのだが 騙される方にも問題がある

 

占い師がよく使う手口で

「他人の言うことを信用しないのは 人間として心の狭い態度です」という屁理屈がある

ヒトの多くは他人から「心の狭い奴だとは思われたくない」という恐怖心から この言葉を鵜呑みにして占い師の言っている内容を全て信じ込むように誘導しているのである

「ご苦労さまは上から目線」というマナー産業のデマも同じことで ヒトの多くは他人から「上から目線で物を言う傲慢な奴だとは思われたくない」という恐怖心から やっぱり嘘つきの話を信じ込んで鵜呑みにする

 

「自意識」という言葉があって これは一般的に「他人からの見た目」のことを指すのだが

「他人からの見た目」は実際には「自分の意識」ではなく 前述のように観念的恐怖心であり 条件反射的な無意識に過ぎない

「○○だと思われたくない」恐怖心に苛まされるがあまりに 自分が本当は何をしたいのかがわからなくなるのも 「他人からの見た目」を気に病むことで自分の本当の気持ちが見えなくなるからである

本当にしたいことがわからなくなれば 人生は「生きているだけでストレス」にしかならない

そのストレスを解消する形で エタノールだのニコチンだの 最悪の場合危険薬物に手を出してまで脳を麻痺させようとし始めるのである

「酒を飲んで酔っ払う」ことは 多数の他人もやっていることなので これはどんなに社会的迷惑であろうと感覚的には「怖くない」ため 「本当にやりたいこと」は他人からの見た目を気に病み忌避するが 「泥酔して意識を失う」ことは平気でできるのである

 


全盲の人に強い光を当てても「眩しくない」ことや 聴覚障害者に爆音を聴かせても「うるさくない」のと同じで

大脳辺縁系を損傷した人が「丸焦げにされた赤ん坊の屍体を見せられたら飯がマズい」とは「思わない」としても

大脳辺縁系を損傷した人の場合は 飯が旨いとも不味いとも「思わない」のであって 他人からの「印象」だけで人間性の反証には一切ならない

飯は食べないと死んでしまうから 死んでしまうのは良くないことだから 食べているだけであって 食べることに楽しみがあるわけでもないので 赤ん坊の屍体を見ても「一般的に嫌なこと」だと知識的に「知っている」だけであって 感覚的には何も「わからない」のである

断片的に仲間内に「利他的行動を採ったから人間性だ」とか

「多数と感覚が違う」だけで人間性の反証であるかのように言い張るとか

これらは大衆の観念的「印象」を用いた詐欺ペテンに過ぎない

「丸焦げにされた赤ん坊の屍体を見せられたら飯がマズい」のは 感覚であって理論ではない

社会的意味としての理論的根拠は「次世代の安全性が確立されないことには何をやっても無意味になる」ことである

逆に 「凶悪殺人犯は死刑にしちまぇ!」というのも感覚だが

論理的には「どうして凶悪殺人なんぞするようになったのか」についての原因究明や再発防止こそが社会安全性において最も重要なことであり 刑法罰で「解決」にすることの方が無責任だと言えるのである

 

大脳辺縁系を損傷していなければ 大抵の場合は「丸焦げにされた赤ん坊の屍体を見せられたら飯がマズい」のであって これは別に日頃から他人の迷惑に配慮できないかどうかとは無関係なものであって 糞DQNでも「丸焦げにされた赤ん坊の屍体を見せられたら飯がマズい」とは「思う」ものである

だからといって糞DQNの人間性や人間としての社会性が立証されたことにはならない

 

自分の個人的主観に過ぎない「印象」だけで物事を判断するというのは 既存の自己が持っている固定観念や価値観や先天的本能習性を全く疑わない傲慢さによるものであるのだが

ヒトの多くは その方が「既存の自己を正当化」できるために満足安心して傲慢さを発揮し続け 論理客観的な根拠証拠に基づいた「現時点での選択可能性」を簡単に放棄するのである

これが「バカ」になる構造原理である

バカというのは何も考えないので 考えなければ問題意識自体も働かず 問題だとも「思わない」

自覚症状がないからバカは難治性が酷いのである

暗記速読の類いさえやっときゃ「頭が良くなる」と「思って」いるバカは多いが イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の何ページに何が書いてあるのかを憶えたところで その内容の論理整合性の崩壊には誰も気づかない

養老孟司もマルクス:ガブリエルもニーチェもプラトンも同じことであり 世の中の「哲学書」として分類扱われている書籍の大半は 本当は論理客観的根拠の欠けた観念論に過ぎず 社会的には意味が全くない


私の文章には「バカ」という言葉が大量に使われており 日本語の文章の規則(形式)を無視した書き方もしているので 読み手の気分が悪くなって「品格がない」だとか思っているバカも少なくないことはわかっている

逆に言えば 詐欺師やペテン師というのは外見上の「品格」を装うことでヒトを騙すのであって 私にはそのつもりがないので外見には興味がない

読み手がどう「思う」のかどうかは関係がない

個人の主観的な「印象」で物事を判断すること自体が「バカ」だと言っているのである

 

本論は多数大衆から好かれて人気を得ることが目的ではなく ヒトの頭の悪さを「理解」していただくことが目的である

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする