書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

個人的好き嫌い

2021年08月30日 23時14分30秒 | 意識論関連

 捜査関係者によると、男性は「数人で一緒にいる時に(花森容疑者に)ため口を使ったところ、『年齢が上なのにため口はおかしい』と怒られた」と話しているという。

https://mainichi.jp/articles/20210829/k00/00m/040/291000c 毎日新聞

被害者意識が激しすぎるだろ

硫酸で解決する話でもないし

嫌いな奴なら付き合わなきゃ良いだけであって 本当に攻撃すべき相手ってのがいるだろよ

合理性がないわ

糞の役にも立たないわ

個人の主観的な好き嫌いなんぞどうでも良いんだよ

社会安全性とか持続可能性にとって有害な「嘘」を暴けよ

個人的に嫌いな奴を殺そうが殴ろうが煮込もうが 社会的には何の役にも立たねぇよ

社会の役に立つのは「真理」だけだからな

「社会にとって本当に役立つ」ことが見えないことには話にならんだろ

『年齢が上なのにため口はおかしい』ことの論理的根拠なんぞねぇよ

そいつにとっては年下からタメ口きかれても気にしないんだろうよ

そういう奴が嫌いなら付き合わなきゃ良いんだ

「嫌いでも存在は認める」のがダイバーシティってもんだ

個人的好き嫌いなんぞ それ以上の意味なんぞねぇんだよ

個人的に「和田まあやかわいい」と思ったからといっても 他人には関係がないだろ

それと一緒だよ

自分の個人的好き嫌いが社会正義になるわけねぇだろ

バカの解決法ってのは常に暴力破壊になる

理由は簡単で「論理的に説明できない」からだ

世の中には嫌なことなんぞいくらでもある

その中から自分が生き続けてゆく上において最も合理的に嫌なこと 合理的に大切なものをを客観的に見極めれば 目先の自分の感情論なんぞ「小さな事」だと認識できるのである

個人的にバカな病理診断医が嫌いかどうかなんぞどうでもよろしい

バカな生物学者だの哲学者だの経済学者だのマスコミだの日医大客員教授をいちいち殴ろうが殺そうが何の解決にもならん

本当に社会安全性を高めるには「どうしてヒトはバカになるのか」を解明することである

そのためには 誰がバカで 何が嘘なのかを識別できないことには話にならない

たとえ司法であっても懲罰報復では何の「解決」にもならないのである

 

 


Ende;

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出口

2021年08月30日 21時17分44秒 | 日記

ワクチンの異物混入の話が出てきた途端に急にアチコチから異物混入の報告が出てきた

ワクチンの取説には「異物混入がないか確認してから使用すること」って書いてあるそうなんだけど

目が悪いと見えてない可能性ってのもある

いままで見逃してたのかも知れない

ワクチンは白濁しているので 赤外線LEDと赤外線マクロ撮影カメラで透視するようなシステムがあると確認しやすいのかも知れない

部品自体はそんなに高価じゃないから簡単に作れそうではある

磁石に反応する「黒い粉状の異物」もあるというので 100均でネオジウム磁石買って検査の時に使えるかも

 ◇

ワクチン接種後に30代男性が2名亡くなっていて 因果関係はまだ不明とのこと

基礎疾患もなかったという

アナフィラキシー症状は女性の方が多いそうだけど 死亡例は2名とも男性

2件とは言え ご家族のショックは計り知れない

例の心臓筋膜炎症が原因なのかしら

接種後のケアをもうちょっと厳格なものにしないと危ない気がする

バイタルセンサーの情報を常にモニタリング出来る機材みたいの何かないのかな

アップルウォッチつけてると転倒とか心拍異常とか検出して自動的に家族に知らせるそうだけど

初期のアップルウォッチってバッテリーが持たないとかいう話があったが

日中誰かの目に触れる場所なら充電して 夜中寝る時にアップルウォッチ的なものを着けといた方が良いと思う

持ってればの話だけど

心臓の筋膜炎症って対処出来るんじゃなかったのかしら

接種から3日目の症例がなかったとか?

いやもうただでさえ救急医療が逼迫してんのに ワクチンの副反応で救急搬送とか有り得ないんだけど

最悪アップルウォッチ的なものを持ってない人には接種を控えるとか 可能な限りの対策が欲しいわ

このまま原因不明で3例目が出たらワクチン全部止まるぞ

ますます「出口」が遠のくな

酔っぱらいが居酒屋ハシゴなんかしなきゃ良かったのに

最悪だよ

 

 

Ende;

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更科功

2021年08月30日 15時05分49秒 | 意識論関連

本来生物は、生きるために生きているのであって、生きる以上の目的はないのだろう。生きるために大切なことはあっても、生きるよりも大切なことはないのだろう。まあ、生きていれば、それだけで立派なものなのだ。

更科 功

 出典:https://diamond.jp/articles/-/223378 -ダイアモンドオンライン

 


⇨「立派」かどうかは更科功の主観であって 客観的根拠にはならない

本当は生物というのは「死なずに生き残っている」ものを生物と分類しているだけであって 「生きるために生きている」というのは嘘であり 生きることは目的ではなく結果である

どんなに生きたいと願おうが望もうが呪おうが死ぬ個体は死ぬし 死ななかった個体は「死んでいない」だけのことである

 

生きることより大切なことはないのだろう」というのであれば 先天的遺伝疾患によって生き続けることも子孫を残すこともできない人の存在価値を勝手に蔑むことにもなるのである

こうした「生存絶対的正義」を振りかざすから優生学などというオカルトによって差別や虐殺が起こるのであって 科学者としてあまりに無責任で容認できない

自己の生存価だけを目的にしてしまえば 環境破壊も社会の安全性や持続可能性にも配慮は効かなくなる

 


チャールズ:ダーウィンは遺伝的進化を進歩だとも万能だとも言っていない

このことを生物学者共はいままでずっと勝手に曲解し 遺伝的進化には目的があって 遺伝的進化さえすれば必ず正しい結果が得られるかのように言い張り 遺伝的進化によって本能習性の全ては常に正しい行動しか促さなないかのように説明し続けてきたのである

その事実をはぐらかすための言い逃れを更科功はしているのであり 科学者として社会的に悪質である

 

そもそも養老孟司なんぞが推薦文を書いているのがおかしな話で 「客観的事実などない」などという科学を根底から否定するような事を言い出すキチガイに推薦文を書かせている時点で科学書としてかなり信憑性を疑うべきである

 

 

 

生きることより大切なことはない」と 本当に言えるだろうか

女房子供を無責任な事故や犯罪で失ってなを 生き続けることに人生の意味をどうやって見つければ良いというのであろうか

社会安全性や持続可能性や平等性や公平性を抜きに ただ「生きている」だけでは人間としての尊厳もヘッタクレもなくなるのである

「生きている」だけなら 死なない程度に食事を与えられながら一切の自由を奪われ奴隷労働をさせられていても構わないとでも言うのであろうか

更科功も含めて 生存絶対主義や遺伝的進化万能論に基づく優生学を容認してきたデクノボウ生物学者共にとっては 人間としての個人の尊厳なんぞどうでも良いのであって こんなペテンを放置してきたマスコミにも重大な問題がある

物事を深く検証できないバカには 何が問題で 何が間違いなのかを認識することができず

ただ漫然と「社会が悪い」などという根拠のない屁理屈を言い出すだけである

ただ漫然と「社会が悪い」と言うだけなら 通り魔や糞DQNにでもできる「簡単なお仕事」である

簡単なことでは真理は見極められない

あらゆる視点から欠損のない理論でなければ 「真理の論証」にはならないのである

バカだと一面的な論証だけで気分的に「納得」し 気分が良くなれば何も検証しなくなって鵜呑みにする

だからバカはバカが治らない

とても面倒臭い

 

 


Ende;

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経済的「自立」は 社会的「自律」とは無関係である

2021年08月30日 12時12分50秒 | 意識論関連

猿山のサルに リヤカーいっぱいのサツマイモで給餌している映像って

見たことないですかね?

飼われているサルの場合 毎日充分なエサを与えられているにも関わらず 奪い合いでケンカしたりもする

無駄なんですけどね

むしろエサを喰いすぎて生活習慣病になったりしている

冷静に「毎日充分足りてるじゃん」とは思わない

なぜかというと 自然環境下においては飼育環境下とは異なり 環境資源(エサ)が乏しいため 食べられる時に食べておかないと飢えて死んでしまうので 必要以上に食べようとする個体種への淘汰圧力の結果として がめつくエサを奪い合う個体種への収束進化が進んだ結果 先天的に奪い合うことが本能習性として組み込まれている

飼育環境下なら 毎日充分なエサを与えられているにも関わらず エサを独占しようと奪い合うことをやめようとはしない

それは「学習」できない

それが「サルの正義」であり サルの先天的本能習性というものである

 

いうなれば 「遺伝子レベルの貧乏性」とも言えるものであり 合理性を欠いた無駄な行動を抑制することは出来ないのである

遺伝的進化というものは 過去の生息環境における淘汰圧力の結果を色濃く反映するものであり 環境変化に対して柔軟に適応することができない

寒冷地に適応したネアンデルタール人は 地球レベルの環境変異に適応できずに絶滅したとも言われている

知らんけど

 

ヒトが ヒトの個体が自律的な社会的責任判断選択よりも 目先の利己的利益や組織への同調迎合ばかりを優先してしまうのも かつて祖先の生息環境における淘汰圧力の結果である

「怖い相手には逆らわない」という卑屈な態度が野生環境下においては生存に適することになる

だからイジメは誰も止めなくなる

イジメの標的は 大抵弱者とか少数派である なぜなら「攻撃しても反撃されそうにないから 怖くない」からだ

これがヒトの先天的本能習性というものの実態である

利己的には怖い相手には服従迎合し 同調しておいた方が「自分の身のため」ではある

「生き残る」ためには卑劣であろうと残虐であろうと構わない だから私は繰り返し「生存自体に意味はない」と言っているのである

そこには人間性や倫理は不要にされるからである

社会安全性や持続可能性のためには人間性や倫理は必要不可欠なものである

どうせ誰もがいつかは死ぬのに 何で他人を危険にさらしてまで「生き残ら」なければならないのか その「理由」がないことを理解しているから 人間性や倫理に適するのである

他人への迷惑に配慮の出来ないバカと 配慮のできる人と 自分はどちらになりたいのか その選択は理性である 先天的な生存本能にはない

それこそ「悟性」なんつうのはカントの妄想ファンタジーに過ぎず 糞の役にも立たないばかりか 「理性を批判する理屈」などというトンチンカンな話で大衆の脳を酔わせ 思考を撹乱して真理から遠ざけるオカルトである

 

大脳辺縁系を損傷してしまうと何も感じなくなってしまうため 赤ん坊が丸焦げにされた映像を見せても食事に支障はなくなるのだが それは別に人間性の反証にはならない

単に他の人から見た主観的な「印象」として違和感を覚えるだけであって

実際には大脳辺縁系を損傷した人が利己的利益追求のような非情な行動に執着するようなことはなく

純粋理性状態というのは 実際には批判対象ではなく 人畜無害なのである

 

ナチス政権下のポーランド アウシュビッツ ビルケナウ ユダヤ人絶滅収容所の官吏 アドルフ:アイヒマン中佐は ユダヤ人を効率的に殺害するための計画書の作成に邁進したが 屍体を直接見ることは嫌ったという

ありていに言って「飯が不味くなるから」であろう

それが人間性の論証には絶対にならない

「この世に絶対なんぞない」と言われるが これは絶対である

「ヒトは素手では空を飛ぶことはできない」くらい絶対である

「赤ん坊の屍体を見たら食事が喉を通らない」からといって それが短絡的に人間性や倫理の論証には全くならないからだ

原発の津波に対する脆弱性を放置した東京電力の安全担当者であっても「赤ん坊の屍体を見たら食事が喉を通らない」だろう

「赤ん坊の屍体を見たら食事が喉を通らない」という主観的感情があるだけでは 「常に人間として倫理的行動が採れること」の論拠には全くならない

振り込め詐欺師であっても「赤ん坊の屍体を見たら食事が喉を通らない」だろう

暴力団員であっても「赤ん坊の屍体を見たら食事が喉を通らない」ない奴もいるだろう

大脳辺縁系を損傷しておらず 精神を著しく病んで異常な趣味でもなければ大抵の場合は「赤ん坊の屍体を見たら食事が喉を通らない」ことは珍しいことでも何でもない

それなら世の中の大半を占めるバカな大衆に人間性や倫理が働くのかと言えば そんなことは全くないのである

だから社会の諸問題が全く解決しない

気分的に その場限りに「優しい気持ち」にさえなっときゃ人間性だと

気分的に その場限りに気分が良くなるようにご機嫌取りをしてくれさえすれば人間性だと

そういうバカげた根拠のない観念を鵜呑みにしているバカなら 自律的な社会的責任判断能力は発揮することができない

バカは自分の主観的「印象」でしか物事を判断できず 論理客観的真偽の判断ができないからである

 

マスコミ記者が首相や分科会会長に対してぶら下がり密集囲み取材を一切やめようとしないのも 「猿山のサル」や「バーゲンセールで奪い合いをしているバカ」とやっていることは一緒である

「みんながやっているから仕方ない」と称して 自分には責任がないと「思って」いるのである

NHK主導で民放各局と協議して密集囲み取材にならないように工夫するという「考え」は全く出てこない

慣習を繰り返してさえおけば安心満足で その慣習に問題があっても対処することができない

脳容積が充分であっても自分では物事を判断選択出来ない「残念な生き物」なのである

 

無責任で卑怯な行動を採っていても 大多数の他人が責任ある行動を採っていれば 自分だけは「得」をすることはできるが

これは社会という多数他人に対する「甘え」である

たとえどんなに経済的に「自立」できているとしても 社会的責任を負っていない以上は 人間として社会的には「自律」できていないのである

人間性や倫理というものがなければ 社会は崩壊する

当たり前の話である

当たり前の話を自発的に気付くことができないのは

「バカ」だからである

 

以上の話で気分が悪くなるなら それは心当たりがあって「図星」だからである

バカは反射的に拒絶反応を示し 都合の悪いことには耳を貸さなくなるものである

だからバカというのは難治性が酷い

カルト宗教の信者や 「へずまりゅう」だの田代まさしと一緒である

自分がバカのままで良いのかどうかは 私が決めることではない

 

 

 


Ende;

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