書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

社会的生活習慣病

2021年08月29日 10時34分16秒 | 意識論関連

社会的な生活習慣病とは言っても 社会を構成している個人の無意識性が原因であることに違いはない

一般的な生活習慣病に陥る原因は 欲望のままに暴飲暴食を繰り返してしまうのが原因であり 暴飲暴食をしている方が満足で安心だからこそ生活習慣病になることが理性では解っていながら歯止めが効かなくなる

これと同じで社会的生活習慣病においても 権威に服従して組織に迎合しておいた方が満足で安心だからこそ 洗脳状態に陥って社会ごと暴走破綻に陥るまで歯止めが効かなくなる

これらは共に「意識」の問題である

 

イジメに同調する子供は 暴力的で「怖い」相手に同調迎合しておいた方が満足で安心できるからこそ イジメは集団組織的 統率協調的に酷い結果を生み出すことになる

これは暴力団でもミャンマー軍事政権でも北朝鮮政府でも香港警察でもナチスでもポルポトでも戦時中の日本軍でも同じことである

規模が違うだけで 個人の行動バイアス自体に違いはない

 

ナチス政権下のポーランド アウシュビッツ ビルケナウ ユダヤ人絶滅収容所の官吏アドルフ:アイヒマンは ナチス政権への忠誠忠実さをアピールするために 効率よくユダヤ人を大量虐殺するための計画書の作成に日々邁進し続けた

彼はナチス政権からの評価を得ることこそが自分の地位身分の永遠の保証になると信じ込み 自分の置かれた環境における最も満足で安心な行動として 部下にユダヤ人を虐殺させるための膨大な計画書を作成したのである

彼はナチス政権にとっての「良い仕事」をしたのだ

それによってナチス政権から「中佐」の地位を獲得している

 

客観的に見れば ナチズムの行為は正気の沙汰ではないのだが 集団組織的に協調して何かを行っていると 自己客観性を失って目先の満足快楽安心ばかりを追求し始め キチガイの集団暴走状態に陥るのである

「自分の意識」というものが 主観的な「感情や気分」だと思っているからこそ 客観性を簡単に喪失するのである

ナチス政権下のドイツにおいては ユダヤ人迫害は多数派の正義であり 多数派に同調迎合しておいた方が「個体の生存」にとっては有利であり 且つ本能的に安心満足だったのである

自分が置かれた環境によって刷り込み学習された価値観を鵜呑みにし 自発的に物事を客観的に検証しないことには「本当のこと」は見えなくなる

「時代が悪かった」とか 「組織の体質が悪かった」などと言い逃れをするのは簡単だが そもそも時代や組織といった社会は多数の個人の無意識性が生み出したものであって 個人に本当の意味での意識があれば「時代」や「体質」といった社会環境に左右されることなく自律的に社会的責任判断することは可能である

だが それは簡単ではない

自分の気分感情的には 多数派の行動には無為に同調せず 排除差別の標的にされかねない「目立つ」行動選択になるからだ

子供のイジメにおいても イジメに反対すれば標的にされることを怖れ 大多数の子供は沈黙傍観するのである

大多数が沈黙傍観している環境では 少数の暴力者は「否定されないことは正しいこと」として認識され 暴力者のクラスター内部では同調迎合して統率的協調性を発揮し 暴力こそが正義になってしまうのである

ヒトという種の生物は それが快楽として感じられるように先天的にできているのである

 

進化的説明をすれば 統率的な協調行動というものは過酷な自然環境下においては生存や種の保存にとって有利な行動であり 統率的協調性に同調迎合してくれない個体は統率を乱すために排除する必要性があるため 先天的に民族浄化を行う行動習性が存在するのである

だからこそSNS上ではマイクロソフト社のAIが学習してしまうほど根拠のない差別に基づいた誹謗中傷が横行するのである

ヒトは 統率協調的な集団行動を採ることが安心満足で快楽となるように収束「進化」しており 本能習性として少数異端者を集団から排除して 同じ観念を共有することこそが絶対的安全性だと「感じる」ようにできているのである

暴飲暴食をして満足するのと同じように 多数派に同調迎合することこそが安心満足だと主観的に「感じ」られるようにできているのである

 

自然環境下において生存する(死なずに済む)ためには 卑怯だろうが残虐だろうが無責任だろうが関係がない

遺伝的進化というものは自然環境下における過酷な生存競争による強力な淘汰圧力が働かなければ生じることはないのであって 遺伝的進化によって人間性が組み込まれる構造など存在しないのである

バカな生物学者共は「組織集団内部における利他的行動」だけを抽出してきて それこそが「先天的な人間としての社会性だ」などと言い張るが ナチス政権下における価値観に基づいた評価基準や組織内部のみの利他的行動が人間性の論証になどなるわけがないのである

ヒトに限らず生物の多くは遺伝的進化によって 高い生体の恒常安定性を獲得してはいるものの それは決して完全無欠の絶対的なものではない 生活習慣病はその欠陥の一例である

遺伝的進化というものは 過去の祖先の生息環境の影響を色濃く反映し 一度組み込まれた先天的本能習性によって促される気分感情による行動バイアスは そう簡単に環境変化に適応することは出来ないために あっけなく絶滅することも珍しいことではない

遺伝的進化というものは 決して完全万能なものではなく あくまで「現状における結果」に過ぎず 「目的」だの「生存戦略」だのといった概念は論理的に成立しないのである

今現存している生物だからといって 決して永遠に種の保存が続く保証など どこにもないのである

 

ヒトは今 自らの無意識な暴走によって生息環境を破壊し 絶滅への道程を歩んでいる

過去に絶滅した生物群と同じように 進化の果てに絶滅しても何の不思議もないのである

遺伝的進化には何の保証も存在しない 単なる「現状の結果」に過ぎないからだ

しかし ヒトは 何が本当の意識であるのかを認識区別することは不可能ではない

不可能ではないが 簡単でもない

何せ数億年に渡る過酷な自然環境から受けた淘汰圧力によって磨かれた 野蛮な動物的行動習性という本能的な無意識行動バイアスに抗う必要性があるからだ

いくら説明しても主観的に気分の悪くなる話に耳を貸さないバカが治らない限り どうにもならんよ

社会を救うのは 特定の英雄だの天才だの神だの仏ではなく 80億の一人一人の個人の自律的な社会的責任判断選択なんだからね

私が出来るのは 私の責任判断の範囲だけであって 他人の行動にまで責任を負う義務なんぞないからね

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする