書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

なんなん?

2021年08月25日 16時41分56秒 | 意識論関連

そもそも生物種が特定の種に「収束」進化していること自体 現状観測可能な生物種以外が全て死滅していることを意味するのである

ティラノサウルスだのオパビニアだのアノマロカリスだの三葉虫だのエディアカラ植物群といった生物は全て死滅しているのである

「現存している生物であれば永遠に絶滅しない保証」なんぞどこにもない

いわば 今生きている生物は 偶然今生きているという「結果」に過ぎず 遺伝的進化には目的も最終形態も完全体も存在しないのである

実際に環境の僅かな変化で簡単に絶滅してしまった生物は数知れず 決して生物の全てが生存にとって最も最適化されている論理的根拠など どこにもありゃしないのである

「進化の系統樹」によって生物が分類可能であるということは 現状の生物群は枝の間が全部絶滅しているから分類可能なのであって ゲノムのバリエーション変異というのは本来無限にあっても良いはずである

無限にバリエーションがあったら中間種だらけで分類はできなくなり 進化の系統樹などという分類は不可能である

様々な淘汰圧力によって あらゆる中間種の全てが死滅したからこそ生物は系統分類可能なのであり 事実上無限に存在可能なゲノム変異のバリエーションを分母として 現存する生物を分子とすれば ほぼ絶滅種が99.999999999%(雑な計算だが 9が全然足りてないかもしれない)だと考えて良い

かつて起きた様々な淘汰圧力によって ホメオスタシス(恒常性)をある程度獲得した生物だけが生き残っているため あたかも究極の絶対的最終形態か何かと勘違いしているバカ生物学者が大半のようだが 勘違いも甚だしい

遺伝的進化の全ては偶然生き残ったという「結果」だけであって その先に最終形態のような進化の「目的」があって自分たちヒトも進化の先に何か「超人」のようなものになれるとでも思っているらしいが 客観的には絶滅しない保証なんぞどこにもありゃしないのである

生物の行動は、個体として生き残って種として繁栄していくように遺伝子的に規定されています。」などと言う話には科学的根拠がなく もはや誤謬などという生易しい「間違い」ではなく 従来の生物学上のパラダイムを温存して体制維持をするための悪質な「デマ」に他ならない

ヒトという種の生物は かつての生息環境によって遺伝的に組み込まれた行動バイアスがあり 塩分や糖質や脂質を過剰に摂取しようとする傾向があるため 本能欲望のままに飲み食いしていれば生活習慣病になって苦しむことになるのである

イヌやネコも自分で体調管理が出来るわけではなく 飼い主がケアしなければ簡単に肥満に陥り様々な疾患で寿命を縮めてしまうのである

遺伝的進化による行動習性というのは かつての生息環境の影響を色濃く反映し 急激な変化には適応することが困難である

なのにどうして「繁栄していくように遺伝子的に規定されている」などと言えるのであろうか

たまたま塩分や糖質や脂肪をあまり摂りたがらない変異個体が生じたとして その個体種への遺伝的進化が起きるためには それ以外の個体種が絶滅しないことには収束進化は生じないのである

アンタがたまたま淘汰対象だったとしたら 親族一同全員死滅しても構わないとでも言うんですかね? そうならなきゃ遺伝的には「進化」なんぞ起きやしないんですよ

バカなの?

このことだけを挙げても 遺伝的進化は決して万能などではないし 遺伝的に進化しなければならない理由にもならない

ヒトはここ数万年は遺伝的にはほとんど進化はしていないが 生活している社会環境の変化によっては暴力などの犯罪は減ることもある

これは 社会環境の変化によってヒトの行動に影響を及ぼしたのが原因であって 環境によっては暴力団だのミャンマー軍事政権といった暴力集団が出来上がることも珍しくはないのである

遺伝的進化によって日本の犯罪認知件数が減ったわけではなく 社会構造から不公平とか不公正や不条理が減った結果として犯罪者数の減少になったのであって 遺伝的進化だけで世の中の問題が解決するわけがないのである

温室効果ガス削減において 遺伝的進化を待つ余裕なんぞあるわけねぇだろ

バカか

ヒトが夜中に居酒屋ハシゴしたがる習性があるからこそ 感染症が収束しないのであって こうした本能習性を持った個体種が淘汰されて遺伝的に収束進化することを悠長に待っていたら 医療崩壊なんぞ食い止められるわけねぇだろ

どんだけバカなんだよ

信じらんねぇよ

社会安全性とか持続可能性を確立担保するために必要なのは 遺伝的進化などではなく 今現存する「ヒト」の先天的欠陥を自覚認識し 間違った行動に陥らないよう自発的に行動選択するという 本質的な意識や意思が重要なのである

「本能習性のままに行動しときゃ 何も考えなくても自動的自然に勝手にヒトは進化して安全性や持続可能性が高まって絶滅を免れることができる」などと思ったら とんでもない大間違いである

ふざけてるのか?

おちょくってんのか?

なんなん?

 

 


Ende;

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心配

2021年08月25日 10時31分21秒 | 意識論関連

メンタリストのDaiGoは慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程 後に中退とWikipediaにあった

本人は一度東大を受験しており 希望の大学に入れなかったことからコンプレックスを抱えたとも書いてあった

弟の松丸 亮吾が東大工学部に進んだこともコンプレックスの一因かもしれない

どの大学に進んだかでコンプレックスを抱えるなどというのは 世間的な順位序列や身分地位というものを鵜呑みにし過ぎである

東大なんてのは養老孟司が名誉教授扱いされている大学であり 医学部からテロリストを輩出した経緯もある

世間的な順位序列観念というものは 何ら人間性や倫理の基準にはならず 精々世間的に「頭が良いのね」的な評価によって金儲けに有利な程度の話に過ぎない

学力学歴も 世間的評価も そんなものは世間的成功や金儲けにはなるかもしれないが 人間性や倫理の論証には一切ならない

東大医学部の学生がテロを行うのも 慶応出身者のDaiGoが「ホームレスは死ね」と言い出すのも 学力学歴と人間性や倫理とは無関係であることの証明でもある

大学では 本当は倫理や人間性が何なのかは教えていないし 誰もわかってなどいないのである

本当の人間性や倫理とは 畑村洋太郎著 国会原発事故調査委員会報告書に書かれている「個人が自律的な社会的責任を負う」ことであって 世間的評価や順位序列は関係がない

そもそも他人に順位序列をでっち上げること自体が大衆観念に基づいたものであって 先天的本能としての社会形成習性によって促される盲目的服従対象として 序列が「上」の者に無条件でひれ伏す卑屈さの現れでもある

ヒトという種の生物は 先天的には他人との関係性に順位序列をでっちあげ 誰か特定の「権威」とみなした相手を盲目的に信頼し 自分では何も考えずに「権威」とみなした相手の言っていることを唯々諾々と鵜呑みにしたがる習性がある

そのため 世間的成功者だの高学歴だのといった基準で人間の優劣をでっちあげることで 世の中の不平等というものは生ずる大きな要因でもある その最も顕著な例がミャンマー軍事政権による市民弾圧であり 何の批判精神も発揮せずに盲目的に唯々諾々と命令に服従する従順で忠誠忠実な兵隊によって残虐行為が行われているのである

形式外見的には「軍隊」だが 中身は「酔っ払った暴力団員」と同じである

他人と自分との間に優劣序列を決めつけることは 人間性や倫理に準ずると言えるであろうか

たとえノーベル賞を受賞していても間違ったことを言う場合もあるわけで 既存の「権威」というものには何の論理客観的保証もないのである

 

他人が間違いを犯している場合には それは指摘しなければならない 相手がノーベル賞受賞者であろうが東大名誉教授であろうが 京大学長であろうが 文化功労賞受賞者であろうが 日本医科大学付属病院客員教授であろうが関係がない

肩書身分は人間性や倫理の根拠には全くならないからだ

DaiGoのように心理学の論文を片っ端から読み漁って 大量の知識を「知って」いても 自分の言動には責任を持つことができないこともある

ヒトとは そういう欠陥が誰しも先天的に存在するのである

DaiGoの大脳辺縁系であろうと 弟の松丸亮吾の大脳辺縁系であろうと 私の大脳辺縁系であろうと 他の誰の大脳辺縁系であろうと さしたる違いはない

遺伝的にはほとんど同じ「ヒト」であって 先天的にはヒトは誰しも「似たようなもの」なのである

誰であっても個人的な好き嫌いはある 「ホームレスが嫌い」と思うこともあるだろうし 「糞DQNが大嫌い」と思うこともあるだろう だが 個人的な好き嫌いで他人に優劣序列順位をでっちあげておいて人間性や倫理だと言うことは出来ない

個人的好き嫌いはあっても構わないが それが社会的行動に直結していたのでは「社会的責任を負う」ことにはならない

論理客観的根拠に基づいて何が「本当に」重要なのかを見極められないことには 「社会的責任を負う」ことにはならない

根拠のない個人的な好き嫌いだけでは 客観的事実(本当のこと)であることとは無関係だからである

「個人が自律的な社会的責任を負う」と言うと バカな奴は 「自分で何でも勝手に判断して良いんだな」という都合の良い解釈をし 論理客観的根拠もない自分勝手な固定観念や好き嫌いだけで「ホームレスは死ね」などと言い出すようになるのである

個人的好き嫌いという「主観的事実」と 論理客観的根拠を伴う「客観的事実」の区別は大学では教えない

養老孟司が「客観的事実などない」と言い出した根拠説明は 個人的好き嫌いと客観的事実を混同してすり替えた論理整合性のない屁理屈である

客観的事実を否定した時点で 科学者としてはポンコツデクノボウ糞野郎の無能者でしかないのだが 客観性の著しく欠けた大衆マスコミの大半はその事実には誰も気づかず むしろ観念的な「納得感」だけでデマを鵜呑みにし 誰も養老孟司がオカルトだとは「思って」いないのである

 

評価承認欲求というものは ヒトの先天的な社会形成習性を促すための順位序列への執着性の表出である

権威とみなした相手からの評価承認欲しさから 学力学歴に異常執着し 知識の「量」さえ増やせば大衆からは「頭が良い」と誉められることを鵜呑みにし 他人の評価に酔いしれ 中毒になることで自律的に物事を検証することを全くしなくなるのである

自分の人生において 最も重要なものとは何か それが目先の評価や報酬に意識を奪われ その道の行く先に何があるのかを検証することもなしに暴走するから 間違いに陥るのである

「意識が狭い」からこそ見えるはずのものも見えなくなる

目先のエサに飛びつくことだけを 動物的に行動「学習」し その行動の先に何があるのかを自分で検証して選択をしないから 本当は望まない結末に陥ってしまうのである

チンパンジーをエサで釣って瞬間記憶能力を「学習」させても チンパンジーは「その先に何があるのか」には一切興味はない

人工知能によるテスラの自動運転車が 学習したことのない危険を危険だと認識出来ないのも同じことである

意識がなければ「気付く」ことができないのである

どんなに金儲けに成功して どんなに世間的評価を受けようとも ヒトは誰しもがいつか必ず死ぬのである

アップル社のCEOでも死ぬ時は死ぬのである

今生き続けることの意味を深く考えれば 目先の有象無象の評価だとか 世間的序列だとか 資産の量だとか そういうものは人間としての価値にはならないことは明らかである

社会安全性や持続可能性を基準にした行動選択をしなければ これからも自分が生き続けることの「理由」になどならない

社会が破綻することがわかっているなら その社会の中で生き続ける意味も価値もないからだ

誰も破綻したくて生きているわけではないはずである DaiGoのように無責任な発言で信用を失うことを望んでいるわけではなかろう それなら どんなに多数の有象無象から嫌われようとも安全性や持続可能性を徹底的に追求することの方が 心安らかに死ねるのである

 

世の中には 変えられるものと変えられないものがある 意識は変えることが出来るものだが それは簡単ではない

簡単であるなら 私が説明にこんなに苦労する必要はない

本来いちいち説明せずとも 自分で考えればわかるはずのことであって 私の脳だけが特異に天才なわけでもなければ 先天的に優秀なわけでもない

多くのヒトが理解可能な話であるならば それは理解可能な誰であっても思いつくことは可能なはずである

それなら 思いついた者が天才なのではなく 思いつかなかった多数の方がすっとぼけて何も考えていなかっただけのことである

誰も望んでバカになりたいとは思っていないのだろうが ヒトは先天的にバカでいる方が安心で満足できるように出来ているのである

先天的本能習性は運命ではない それはただの「結果」であって 本能習性に抗う選択可能性というものがヒトには残されているのであり 「どうあるべきか」という「目的」に基づいた行動選択にこそ 本当の「意識」の存在価値がある

「他人からどう思われるか」ではなく 「自分はどうあるべきか」にこそ本当の「自分の意識」があるのであって 世間的評価基準や身分肩書順位序列といった既存の常識を鵜呑みにせず 全てをゼロベースから検証して見直す必要がある

自分が生まれ育った環境や社会や時代は 自分では選択不可能なものであり その環境から「学習」されたあらゆる価値観もまた 自分で主体的に選択したものではない

差別の根本は順位序列である

「俺の方が優秀だ」という勝手な思い込みによって ミャンマー軍事政権は国民を弾圧するのである それは戦前戦中の日本と何ら違いはない

他人との間に順位序列をでっちあげた時点で 「人間として劣っている」のである

順位序列というのはイヌとかサルの基準であって 動物的な本能習性が促す無意識な価値観である

私は多数一般大衆やマスコミや権威に「バカ」と連呼するが 本来同じ脳の容量や構造を持っているはずなのに 何で私にわかるものが他人は気づかないのかと むしろ憤慨しているからこそ「バカ」じゃねぇのかと言っているのである

最初から本当に「バカにして」いれば バカ相手に懇切丁寧に噛んで含めるように上から目線で教えて差し上げるのかも知れないが 本来誰でも気付けるはずの話をいちいち説明しなければならない不条理性は 大多数の「バカ」さからくるものであって これは「バカ」としか言いようがない

本来私が懇切丁寧にひけらかすような内容ではない

なんすか 「絶対に知覚することのできない叡智界」って 何で鵜呑みにできんの?

バカなの?

「世界は存在しない」だとか「客観的事実など存在しない」だとか「ウイルスは弱毒化する」だとか

何でその話鵜呑みにした?

大丈夫か? どうした? 何があった?(松田ゆう姫)

 

 


Ende;

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