書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

書籍に装丁されていれば「正しい」わけではない

2021年08月24日 15時29分59秒 | 意識論関連

ネット上の情報の大半は 論理科学的根拠のないデマか 間違いである

それなら書店に並ぶ書籍であれば 論理客観的根拠を伴った真実しか書かれていないのかと言えば そんなことは全くない

「本なら信用できる」という話は 「本になって大手出版社から発行されてさえいれば常に正しい内容が担保されているはずである」という勝手な思い込みによるものであって

実際には「哲学書」として分類出版されている書籍の大半はカントだのニーチェだのプラトンといった論理客観的には何の根拠もないファンタジー妄想に過ぎない

科学哲学者のカール:ライムンド:ポパーも哲学者ではあるが 彼の言っている内容との整合性がぶっ壊れている話の方が大衆人気は高いのである

どちらが「正しい」のかといえば 論理客観的根拠に基づいたポパーの方が「より正しい」と言えるにも関わらず バカな大衆は「哲学には好き嫌いがあります」などという訳のわからぬ屁理屈を持ち出してファンタジー妄想までをも「哲学」だと信じて疑わない

ポパーはプラトンの盲目的権威性を非常に激しく糾弾しているのである(プラトンの呪文)

哲学であれ何であれ 個人的な好き嫌いは何にでもあるものであり 個人的に「好き」なら「正しい」ことの論証にはならない

どんなに多数のヒトが「好き」だと「思って」いても それが客観的に根拠を伴った「正しい話」であることの論証には全くならず

むしろ ヒトという種の生物の欠陥がもたらす傾向性の論証にすらなりうるのである

わかりづらいかな

要するに プラトンだのニーチェだのカントだのハイデガーといった話が哲学書扱いされている事自体が「バカな多数大衆が信じ込む話には論理客観的根拠は要らない証拠」になるって言ってんだよ

一切合切凡庸な貴方には解らないかもね

 

科学は多数決ではない

それは哲学も同じことである

科学や哲学というのは 本来客観的根拠に基づいて真実(本当のこと)が何かを見極めるためのものだからである

ところが 大衆やマスコミなどの多くは論理客観的根拠なんぞどうでも良くて 個人の主観的「印象」の多数決で人気さえ集まれば「正しい話」だと勝手に錯覚して真実を見誤るのである

真実が見えていなければ 合理性のある効率的な対策もできなくなる

地球環境の保全にしても 紛争の原因や再発防止にしても イジメや教育改革にしても あらゆる社会的諸問題は「何が本当の根源的原因なのか」がわからなければ 「何が本当にやるべき対策なのか」もわからなくなり

合理性も具体性もないのに大衆多数人気の集まっている「流行りの話」ばかりが蔓延することになる

 

養老孟司の「脳化」の話なんぞ 根拠のない勝手な「線引きの見本市」であるにも関わらず 大衆やマスコミの大半 いや ほぼ全員は根拠がないデマに過ぎないことには関心も興味も批判精神も持たずに鵜呑みにしているのである

NHKはマルクス:ガブリエルの「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すればなくなる」だとかいう話を平気で「新時代の哲学」などと称して垂れ流したことについては何の説明も弁解もしていない

それどころか未だにマイケル:サンデルだの養老孟司の言うことを平気で垂れ流していることを「失態」だとすら「思って」いない

よくもまあ そんなことで受信料を国民から徴収できるものだと どんだけ面の皮が厚いんだと 呆れるばかりである

 

NHKや民放各局が政府から独立性を持っていることに疑いを持つ決定的な証拠は何もないが 大学職員などの学術権威の言っている内容を独自に検証することをしていないことは確かである

学術権威と言われている人物に何かを訊いて その内容に論理客観的な根拠とか証明が本当にあるのかを全く独自には検証せず ただ「研究者がそう言っていた」という内容を無条件で鵜呑みにし垂れ流しているに過ぎない

それが社会的に無責任だとは一切「思って」いないらしい

それでも自分達職員の給料のために受信料だけは徴収し続けるつもりである

 

「メディア・リテラシー」とは 視聴者読者がメディアの内容を自分で検証する必要性を説いているのだが だからといってメディア自身が放送している内容に責任を持たなくても良い理由には全くならない

「メディア・リテラシー」というのはマスコミの無責任な報道の言い逃れのための免罪符にはならない

「書籍になっていれば メディア・リテラシーは持たなくても良い」という話には一切ならない

 

 ◇

 

先日「サイエンスZERO」でワクチンの安全性についてのトピックを放送していたが 内容は「ワクチンって こんなに凄いんだよ」的な正当化の話ばっかりがメインになっていて 統計的なリスクの大きさについてはほとんど説明がなかった

mRNAワクチンというのは ウイルスの遺伝情報の中からヒトに取り憑くためのスパイクタンパク質の情報だけを抜き取って人工的に増やしたものだという

従って もしワクチンがヒトのDNAを書き換えられる能力があるとしたら ウイルスそのものにも同じ能力があることになる

ワクチンはRNAだけなので 自己増殖することはないが ウイルスの方は体内で自己増殖してより高い影響を及ぼすことを考えれば もしスパイクタンパク質の情報に何らかの人体への影響があるとしても ワクチンを打つことのリスクよりもウイルスそのものに感染するリスクの方が圧倒的に高いことになる

しかもデルタ株の場合 アルファ株の1200倍もの増殖力を持っているという話もある

mRANワクチンというのは 今回のCOVOD-19ウイルスとしては初めて採用されたものではあるが 以前から癌ワクチンとしての臨床データはある程度取られていて 人体への長期的影響は今の所見つかっていないことが確認されているという

 

何度も言うけどさ 哺乳類への進化の過程で胎盤獲得において何らかのウイルスの影響があったことは分子生物学的には証拠があるとは言っても

それ 9000万年くらい前の話だからね

ティラノサウルスがいた時代にネズミみたいな姿の哺乳類への進化が生じた段階での話であって ほとんど「日常生活をしていたら隕石が頭を直撃して死ぬ」程度のリスクくらいだと思って良い話なのよ

「絶対に起こらない」とは言えないけど まあ 怖がることではないよ

怖がってどうなる話じゃないじゃん

実際そんな臨床知見ないし

そもそも前述のようにワクチンよかウイルス感染そのものの方がリスク高いんだからね

最近 基礎疾患のない20代男性がデルタ株で重症化 搬送された時には既に意識はなく サチュレーション(血中酸素飽和度)60%台で即時ECMO装着したという話が 神奈川県の病院であったそうだ

正直ECMOって 棺桶に頭突っ込んだようなもんだからね 治療でナントカ引きずり戻そうとはするけど 戻せるとは限らない

もし自分の親族だったら若年層でも「医者が診断して打っても大丈夫って言うなら 打っておいた方が良いよ」とは言うね

 

20台の姪っ子もワクチン打ったけど アナフィラキシーとか筋膜炎症とかの副反応はなかった

アナフィラキシーか その疑いのある事例はその大半が女性だったという 男性は今の所「数名」との話

 ◇訂正:360名中30名が男性だった

 ◇訂正2:と書いてみたんだけど 厚生労働省のPDFには「名」数ではなくて「件」数って書いてあるので どゆこと?って思って調べてみたら ワクチンって2回打つので1回ごとに1件ってことだそうな

ってこたなに 一人で2回ともアナフィラキシーが出ちゃった人とかいるのかしら

で 厚生労働省は副作用が大きかった場合にはお小遣いくらい(最大月額3万7000円)の給付金はくれるそうだ

アナフィラキシーって凄いのかな

なったことないのでわからんけど

 

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_hukuhannou-utagai-houkoku.html
新型コロナワクチンの副反応疑い報告について
  -厚生労働省

 

Ende;

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「見えて」いないものについて

2021年08月24日 12時09分45秒 | 意識論関連

大脳辺縁系を損傷した人が 「赤ん坊の屍体を見ても食事ができる」という現象から受ける「印象」を どんなにたくさんのバカが見て「人間性が失われている」と「思って」も それが大脳辺縁系を損傷した人の人間性の反証には全くならない

大脳辺縁系を損傷した人の場合 そもそも旨いとか不味いとか「思う」ことすら損傷しているので 何を見ても食事には差し支えがないだけのことである

大脳辺縁系を損傷してさえいなければ 大抵の場合は赤ん坊の屍体を見ながら食事を摂ることが困難になるのであって 「赤ん坊の屍体を見て食事が喉を通らな」ければ人間性の論証になるわけではなく 凶悪殺人犯であっても「飯が不味くなる」ことはある

ナチスのユダヤ人絶滅収容所の官吏であったアドルフ:アイヒマンは ユダヤ人を虐殺するための計画書の作成に必死になった凶悪な戦争犯罪者だが 屍体を直接見ることは嫌ったという

きっと「飯が不味くなった」からであろう

 

大脳辺縁系を損傷した人が特異に利己的利益追求をするわけでもないし

科学的な論理客観的真理(答え)の追求を永遠に続けようとするわけでもない

バカ「哲学者」共が言うように 「理性=悪」という観念的な方程式にこじつけるための印象操作として 「赤ん坊の屍体を見ても食事ができる」という現象だけで立証したかのような意識誘導(詐欺)を働いているのである

大脳辺縁系を損傷してしまえば 利己的利益追求も 真理の探求心も失われ 何のために生きているのかも 何もかも「わからない」のであって 「次の診察をいつにしますか?」と問いかけても「わからない」としか言いようがないのである

 

フィニアス:ゲイジは事故で大脳辺縁系を損傷したことで「野獣のようになった」と言われていたが 実際のところ詳細な臨床データが残っているわけでもないので 明確なことは言えず 論理客観的な証拠としては使えない

バカ「哲学者」共は ゲイジの事故後の写真から受ける「印象」だとか 「日常生活を送っていた」などの「証拠」から 「ゲイジの人間性の論証」だと言い張るが 数枚の写真から受ける見た目の「印象」だとか 「日常生活を送れる」ことが短絡的に人間性の論証には全くならない

 

そもそも これらのバカ「哲学者」共が言い張る根拠のないデマでは イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容が正しいことの論証には一切なっていないのだ

「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの 「絶対に知覚することの出来ない叡智界」というのはカントの妄想ファンタジーに過ぎず 何せ「理性を超越」していることになってるために論理客観的根拠の全てをスルーして突拍子もない決め付けを根拠にしているのであって こんな話を「哲学」だと信じ込んでいること自体 「脳が壊れている」としか言いようがない

にも関わらず バカ「哲学者」共が学術界から追放されないのは もしかするとマスコミ関係者の多くもカントの「純粋理性批判」を鵜呑みにしていたポンコツだらけで 本論の内容をハナから理解しよともしない洗脳状態である可能性もある

要するに「グル」なのかもしれない

 

そもそもカントの言う「人間は叡智界に属しているのだ」などという話は 論理客観的な根拠のない「答え」であり 「理性=答えの追求=悪」という論理方程式が崩壊しているのである

 

何度も言うが ヒトは「信じたい話だけを信じようとする」習性が先天的にあり 論理客観的証拠根拠に基づいた「本当のこと」にはハナから興味がないのである

大半の「ヒト」はそういう欠陥を自覚していないし 問題だという自覚症状もない

そのため 遺伝的進化を永遠に続けることが「正義」だという生物学者共の観念を盲信し 疑うことすらしなくなる

そして優生学の観念を信じ込んで「死刑によって進化が促される」という根拠のない屁理屈をも正当化し続けるのである

 


日本では 死刑制度に異議を唱えただけで多くのヒトからは嫌われるという

自分達の主観的「感覚」や「印象」こそが絶対的に正しい完全無欠の人間性だとでも勝手に錯覚しているからである

だから 養老孟司が言う「嫌な上司は無視する 意識から外す」だとか フリードリヒ:ニーチェの言う「できそうにないことは やらない方が良い」などという怠惰を正当化する「名言」の類いを有り難がって信奉するのである

プラトンやニーチェやハイデガーはナチス政権にも都合よく解釈されたことから 欧米では危険性が指摘されているのだが 日本人は西洋に対するコンプレックスが抜けないもんだから 西洋哲学者や文学者達の言葉さえ断片的に借りてきて「名言」扱いして引用しておけば「知性」か何かだと勘違いして崇拝し 簡単に思考停止に陥り 問題意識が全く働かない

たとえドイツであってもマルクス:ガブリエルのようなオカルトが「人気」を集めていることからも 哲学界はオカルトばかりを信奉するポンコツの集団であることは明白である

「倫理の話」と称して「トロッコ問題」ではぐらかしているマイケルサンデルがハーバードの教授でいられるのも アメリカ人の頭の悪さの証明である

 

生物学界における遺伝的進化万能妄想に基づく「論証」の類いが温存されているからこそ 山極寿一や松沢哲郎のようなオカルト老害が京都大学で学術権威として君臨できたのである

多くの大衆は「東大や京大やハーバード大で間違ったことなんか教えないはずだ」と「思って」いるのだろうが それは主観的「印象」に過ぎない

物理学者や工学者や天文学者は興味がないから検証していないだけであって これもまた同じ大学職員として無責任であると言える

専門外を理由に大学組織の腐敗を放置しておいて良い理由には全くならない

 

 

 


Ende;

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