書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

無意識という大罪

2021年08月17日 14時08分57秒 | 意識論関連

虐待を連鎖している親が「俺はそういう育て方しかされてない だから そういう育て方しかできねぇ!」と主張することがある

これは生育環境から受けた「常識」を 合理性とか論理性を無視して観念的に刷り込み学習されたことが原因である

 

宮台真司が「自分で考えるなど10年早い 何も考えずに丸暗記しろ」などと言い出し その理由は「自分は教師からそう教わったからだ」などと言い出すのも 構造的に同じである

 

自分が育った環境が 本当に合理的で理に適ったものなのかどうかを検証するための「意識」がなく

「俺はそういう育て方された」ことを事後正当化することで 認知的不協和を解消する形で疑いを持たなくなる

これによって合理性も論理的根拠もない「常識」によってヒトは無駄で非合理な行動を次世代に押し付け 問題解決能力を剥ぎ取ることに邁進するようになるのである

自分が受けた育て方というものが 本当に合理的で論理的に意味のあるものかどうかに関係なく 自分が受けた育て方を受容せざるを得なかった無力を事後正当化する形で無意味な「連鎖」は生ずるのである

 

ヒトという種の生物は 一度信じ込んだり 甘んじて受け入れた物事に対し

そこに合理的根拠があろうがなかろうが関係なく 盲目的に受け入れ信じ込むことを事後正当化しておかないと気分が悪くなる性質がある

過去の自分の無為無力や愚かさを事後正当化しておかないと 自分の存在自体が正当化できなくなるという感覚が出来上がってしまうからである

 

しかし 本当の自己存在というのは 過去の自分の判断や選択にあるのではなく 今現在における論理客観的な選択可能性にこそ証明されうるものなのである

過去の自分を事後正当化しているからこそ 現時点での選択可能性が失われるのであって これこそが本当の意味で「自分がない」状態だと言えるのである

「自分は虐待されて育った」とか 「自分で考えずに丸暗記しろ」などといった過去の経験による価値観の拘束が生じ 合理的根拠のない「常識」に囚われる形で 本当に正しい選択の可能性を放棄し 喪失することで人間性や倫理も失うようになるのである

 

カルト宗教などでの「洗脳」も ヒトが一度信じ込んだ自己の選択というものを事後正当化しておかないと気分が悪くなるという先天的情動バイアスに起因するものであって

デマを信じ込んで論理客観的に物事を見られなくなるのも 振り込め詐欺師に騙されるのも 構造は一緒である

これらに共通している原因は 主観的な気分感情が論理客観的検証(考え)を阻害してしまうというヒトの先天的欠陥に因るものである

 

では どのようにすればこのような先天的欠陥に惑わされずに本当の自分の選択可能性を発揮することができるのかと言えば 目先の自分の感情を疑う必要がある

DaiGoが「ホームレス死ね」と言い出したのも DaiGoの個人的な目先の感情の強度程度だけで頭がいっぱいになってしまったのが原因である

感情というものは自分の意思とは無関係に その場限りに動物行動的なバイアス(無意識)として生ずるものであり「欲望そのものを欲することはできない」のである

それなら目先の感情や欲望の強度程度に左右されない統合的な「本当の目的」に基づいた 論理客観的根拠のある行動選択ができて 初めて真実の「自分の選択」だと言うことができるのである

 

ヒトは先天的には動物に過ぎないので 人間としての行動が採れるようには構造的にできておらず 目先のエサや安心感ばかりを求めて自分が社会の一員であるという責任感を簡単に忘れてしまう習性がある

それこそ生育環境が劣悪だと主体的に物事を検証することが全くできなくなり 他人の迷惑に全く配慮できない糞DQNにも簡単に陥ることも珍しいことではない

”ヒトという種の生物=人間”ではない

ヒトでありさえすれば 常に人間性が発揮される構造は存在せず あくまで現時点での知識に基づき検証された「目的」に適う選択ができてこその「人間」なのである

「虐待されて育ったことが正しいのか」「自分で考えるな 丸暗記しろと教師に強要されたことが本当に正しい教育なのか」 それを証するのは理性であり感情でも悟性でも純粋統覚でもない

「ヒトは実証不能の謎の叡智界に属しているから 何も考え検証しなくても自動的自然に人間性が発揮できて必ず正しい選択に至る」ような都合の良い バカな大衆の気分が良くなるようなファンタジー妄想こそが ヒトから理性を奪い 本当の人間性を喪失させるのである

「人間は叡智界に属している」だとか「天空の星々と云々…」といった論理客観的には何の根拠も示されていないカントの勝手なファンタジー妄想の方が 何も考えないバカな大衆や「哲学者」共にとっては気分が良くなるため 疑うことも検証することもできなくなるのである

ヒトは 信じたいことだけを信じようとする習性がある

気分が良くなることは信じたいが 気分が悪くなる「既存の自分にとって都合の悪い気分の悪い話」には耳を貸さなくなるのである

 

人間性を伴う本質的な自己 その意識の本質とは 既存の自己に刷り込み学習されたあらゆる「常識」や価値観に囚われることなく 論理客観的に検証し 根拠に基づいた本当に正しい選択ができることである

自分の遺伝子は自分では選択不可能であり その遺伝子から作られた脳も その脳に生育環境から刷り込み学習されたあらゆる「常識」もまた選択不可能なものである

従って 既に存在しているだけの「自己」だけでは本当の「自己」や本当の「意識」の論証には全くならず

むしろ既存の自己の常識や価値観に囚われることなく 素直に自由に考え選択できることこそが 本当の「自分」であり「意識」の本質なのである

既に存在している自分が短絡的に自分の本質なのではなく

既存の自己の常識や価値観に惑わされることなく 現時点における選択可能性の広さこそが 自己の本質であり意識の本質なのである

 

ヒトはすぐに思考選択の自由度を喪失しがちである

原因は簡単で 気分的に「嫌な話に耳を貸さなくなる」からである

植え付けられた常識や価値観だけで行動していれば ミャンマー軍事政権の兵隊や 香港警察の警官のように自国民を迫害することも簡単にできるようになる

東大医学部の学生が地下鉄毒ガステロをやらかしたのも 太平洋戦争に国民の多くが迎合して特攻を正当化するのも 構造的には同じである

既存の常識や価値観だけで行動しているというのは 条件反射行動に過ぎず 無意識な行動バイアスに流されているだけの不自由な状態なのである

だから本当には望んでなどいない結末に陥ることになる

 

動物行動習性としての「社会性」 すなはち先天的な本能としての社会形成習性が促す行動とは

自分が所属している集団組織の利益に適う行動しか促されることはなく 社会全体への配慮に基づく「社会的責任判断選択」能力を阻害するようにしか働くことはない

ヒトは 何らかの集団組織に属していることをレゾンデートル(自己存在証明)やアイデンティティーのようなものだと錯覚する習性があり

何らかの集団組織にとっての利益に適う行動を採ることこそが安心で満足感を得られるように先天的になっている

ヤクザの「鉄砲玉」も 日本軍の「特攻隊」も 「組織の利益のための自己犠牲」であり それが組織内部においては「美しい」行動なのである

東京電力福島第一原発における 組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を放棄し 原発の津波に対する脆弱性を放置したことによって起きた「人災」も同じ構造である

「お国の為」と称して軍事政権の「無駄な戦争の長引かせ」に加担しただけの特攻は「英霊」扱いされるが 戦争そのものに反対して投獄死した「政治犯」は裏切り者としか扱われない

内部告発者は社会全体にとっては有意義だが 実際には裏切り者として排除差別の対象にしかならない

 

こうした不条理や不公平は 国民がバカしかいないのに制度だけ民主主義制度を導入しているという「バカ主義」の結果である

民主主義制度を有効に機能させるためには 民衆の一人一人がバカで愚かなままでは無理なのである

そのための義務教育なはずなのだが 学力偏差値ビジネスのエサに利用されているだけで 本質的な知能が全く向上しないからこそ 「ワクチン怖い」などというデマによって医療崩壊を招く事態にも陥るのである

 

バカだと問題を解決することができない

人類は破滅への方向が濃厚でありながら 地球環境の維持すらままならず

糞しょうもない詐欺師の嘘に騙され暴力団に資金提供を続けているのである

バカを脱するために必要なのは 自分がバカであることを自覚することで バカげた判断をしないようにすることである

それは「目先の気分的には満足できない」のかも知れないが 結果的には「望まない結末に陥らないため」には必須なのである

「自分だけは間違えない 自分だけは大丈夫」という過信によって 自分の運転技術が衰えている自覚をしなかったからこそ 東池袋プリウス暴走事故は起きたのである

こうした傲慢な態度に「罪はない」という話になるわけがなかろう

 

誰の個人的主観にも意味はない

重要なのは 論理客観的な根拠を伴った自律的な社会的責任判断にこそ存在するのである

 

 

Ende;

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